『クスリ凸凹旅日誌』▶5話:飛んで、飛んで、 ワールドプロモーションの旅

2005年8月17日~24日
英国(ラットランドウォーター ロンドン)

ブリティッシュ・バード・ウォッチング・フェア(BBWF)は英国ラットランドウォーターで開催される世界最大のバードウォッチャーのための旅行博。釧根連携で出展しました。


ナンバーワンよりオンリーワン
 ANAヨーロッパの社長であったNさんが観光振興室に来られたのは確か2003年であった。Nさんは東北海道の自然資源のポテンシャルの高さを評価し、中でもバードウォッチングが世界的に見ても有望な観光資源であることを強調した。
 彼自身勤務地のロンドンで在住日本人を対象としたバードウォッチングツアーを販売した実績もあり、一方で自らが熱烈なバードウォッチャーとして道東を何度も訪れている経験をお話しされた。自分自身の経験知がビジネスの可能性を拓く、言わば〈好きこそものの上手なれ〉を地で行くような人であった。ボクも自宅の小さな庭に餌台を置いて家族で始めたバードウォッチングがファミリーブームとなっていて、公私混成の観光振興にちょっと胸が踊った。


 Nさんの観光開発理念はナンバーワンよりオンリーワンに集約された。野鳥観察は日本だけでなく世界のバードウォッチャーにとっても、この地域が魅力的なデスティネーションになることをNさんは自らのバーダーとしての経験と、旅行エージェントとしての経験を重ね合わせて、この地域の可能性を確信しているようであった。
 合理的な説明と共に、具体的な提案もされ、さすが第一線のビジネスマンはかくありとおもわせた。提案とは、英国で開催されているブリティッシュ・バード・ウォッチング・フェア(以下BBWF)への地域としての参加であった。当時、インバウンド観光誘致の主体は釧路空港国際化推進協議会が担っていた。官民一体の団体ではあったが釧路市がその事業費の大宗を担っていたため、会員であった根室管内の自治体にとっては釧路空港国際化のお付き合い程度の協議会だったのかもしれない。
 しかしアジア圏のチャーター便誘致が本格化し、海外の旅行関係者を地域に案内する機会が増えてきた折り、会員である根室管内も不公平がないようにと紹介するのだが、アジアの団体旅行客ツアー行程の中には根室管内は全然含まれなかった。
 地域側も温泉地がない点もあり、仕方がない諦めムードもある中、Nさんのこの提案は、この地域に眠っていた潜在的な国際観光資源の可能性を開いた。

いざ、バードウォッチングの本場へ
 早速、釧路と根室が中心となってBBWFへの出店準備が進められたが、そこでもNさんのビジネススキルは遺憾なく発揮された。世界最大のバードウォッチングフェアである BBWFへの日本からの出展はニコンやコーワなどの光学機械メーカーのみで、旅行代理店にとってはノーマークのフェアであった。 
 しかし中南米のコスタリカを始めエコツアーが注目され、欧米のネイチャーツアー市場にとってバードウォッチングツアーは、それなりの市場規模を持つに至っていた。
 英国のバードウォッチング人口は約300万人といわれ、人口が6千万人強なので20人に1人はバードウォッチャーであった。BBWFはRSPB(英国王立鳥類保護連盟)と会場になっているラットランドウォーターという地域のトラスト団体が主催者であった。ちなみに、我が国最大の自然保護団体である「日本野鳥の会」が会員約3万人ほどの時、RSPBは約60万人の会員を有していた。 


 BBWFは観光のみならず、鳥文化全般に関わる人々が集まるフェアであった。世界の探鳥地として可能性を秘めた地域の政府機関や自治体、イギリス国内の旅行代理店、そして世界を代表する光学機械メーカー、書籍、バードカービング、音楽、絵画等々。鳥に拘る国際文化祭という趣であった。
 巨大なテントが何張も設営された屋外フィールドに大小合わせて4百以上のブースが出展される規模であった。人気のあるフェアのため、出店希望者は既に2百件以上の出展待ちがあった。Nさんは主催者と掛け合い、極東地域からの出店を待望していた主催者とも話がつき、我々はスキップして参加が認められた。
 開催期間の3日間の間、我々のブースには一般のバードウォッチャーはもとより世界から出店してきた政府機関や自治体の人たちも入れ替わり立ち替わりやってきた。口々にタンチョウやオオワシのことを尋ね、改めて東北海道の魅力を評価する人が世界にいることを実感した。
 我々も他のブースに出向き、イギリスの旅行代理店にはツアーの誘致を促し、中南米やアフリカのブースでは来客者に振るまわれる食べ物やワインを頂いたりして、お互いちょっとした国際交流の場でもあった。

フェア参加が地域にもたらしたもの
 BBWFへの出店は我が国の政府機関や観光団体にも北海道のネイチャーツアーの可能性を認知せしめるとともに、アジア圏一辺倒であったインバウンド誘致に新たな方向性を見いだす先鞭となった。
 しかしながら釧路空港国際化推進協議会の基本戦略はチャーター便の誘致だったため、協議会としては2年間この事業に関わったがそこで釧路の参加は撤退となった。担当者だったボクとしてはそれでは済まない、と思い継続の意思を示していた根室市とともに阿寒町(合併前)、鶴居村、浜中町の管内自治体や民間団体、個人に働きかけ、結局、BBWF参加は以降、10年間地域連携で継続実施された。
 その間にNさんはANAを早期退職され、根室に移住を果たすという本気度を我々に見せ付けた。根室観光協会に籍を置き野鳥観察施設であるハイド(hyde)の建設、漁業者と連携し落石クルーズによる海洋野鳥観察ツアー開発、国際野鳥ガイドの人材育成事業等々この地域の受け入れ態勢の土台を作った。


 ボクも役所を退職した後、自然ガイドという仕事を選んだ理由はこのBBWFへの参加やNさんとの出会いがその原点になっている。当時会場で英国バーダーのリクエストにあったのは「日本に是非行きたいが、ガイドを紹介してほしい」というものであった。そしてそれを実現するためには大きなハードルが我々にはあった。
 ネイチャーガイドが自家用車を移動案内手段に使う上での合法的措置。 
 日常会話・野鳥観察の専門用語を習得したガイド養成。顧客・ガイドも含めた保険対応等危機管理支援など。当時から、そして今もなお解決していない問題を抱えている。ボクが問題解決にどれだけ寄与できるかはわからないが、その一端を担うのがネイチャーガイドを目指した理由でもある。
 この地域の世界に通用するオンリーワンの観光資源が豊かで多様性にあふれた自然素材であることは間違いないと確信している。そのなかで、ネイチャーガイドが観光プレイヤーの一翼として認知され、地域の雇用にとって可能性を広げることがボクのミッションと自覚している。その意味で、BBWFはこれからの道東観光誘致のベースになった旅であった。  

釧根のスタッフとNさんの会社の方、そしてボランティアで支援してくれた国際バードガイドのSさん。一同でブースの前で記念写真。牧草地に設営されたテントなので草地です