〈第七巻〉③母なる川と「くすり乃たけごんげん」

【第七巻】 摩周から屈斜路へ
神なる山は何処 ? 屈斜路カルデラを巡る

扉写真は屈斜路湖釧路川河口。上の写真は円空作薬師像(厳島神社蔵)

▶母なる川と「くすり乃たけごんげん」
釧路に住むボクたちにとって、釧路川は屈斜路湖に源を発し、154㎞に及ぶ流れの道中で釧路湿原の中を蛇行しながら、多くの支流を集め、太平洋に注ぐ母なる川である。
水源の湖である屈斜路湖は、松浦図には「クスリ湖」と表記されている。クスリ・トゥ(薬・温泉の湖)は釧路の地名由来の一つである。
アイヌの人たちは自分たちの生活圏の中で、誰もがわかる大きな湖や河川については、特段名前をつけるわけではなく、ただ単にトウ(湖)やペッ(川)と呼んだそうだ。だから松浦図の記載どおり、アイヌの人たちが昔からこの湖をクスリ湖と呼んでいたという確証はない。アイヌ文化の伝承者・山本多助エカシは、クシリ・オンネ・トー(薬温泉の・大きな・湖)と伝えているし、そもそも〈アイヌは、クスリではなく、クシリという〉とのことで、釧路川も「クシリ・シ・ペツと云った」とのこと。(『森と大地の言い伝え』チカップ美恵子編著 北海道新聞社刊より)

松浦図拡大。屈斜路湖に「クスリ湖」の表示。その北側に「トウエトクシヘ又ウラエウシノホリ云」(藻琴山)の表記が見える

▶現在の河口には眺湖橋がかかり、源流部カヌーの起点となっている。
松浦図にはクッチャロという地名が見れる。アイヌにとって川は〈海から発し、山に向かって上るもの〉とのことで、自然の地理地形の多くは人体になぞらえて名前が付けられている。湖から見ると水源地の川口部は人間の喉元を表すクッチャロという言葉が標準化されている。阿寒湖でも阿寒川の川口にある滝の名前はソーパロ(滝の口)で、そこから先の細い入江の箇所にもクチャロの名前が見える。
カルデラ湖である屈斜路湖や阿寒湖の湖岸や湖底からは温泉が湧き出しており、クスリは温泉と薬効で結ばれる。
江戸時代の文献では一貫してクスリという表記になっている。その点から、クスリというアイヌ語は和語からの借用語ではないか、との説もある。

釧路川下りの基点。屈斜路湖河口に架かる「湖眺橋(こちょうばし)」


▶クスリの初見は寛永20年(1643)、オランダ東インド会社所属のM・G・フリース艦長率いるカストリクム号の航海記録に残っていたものが最初とある。外国人によって最初に記され、和語とアイヌ語の共用語として今日の地名に引き継がれているクスリではある。
釧路川が母なる川とすれば、母又は父なる山として、ここで取り上げてみたいのは藻琴山である。
▶釧路の厳島神社に江戸時代の仏師・円空の彫った薬師仏がある。円空が寛政6年(1666)に来道した折りに彫った計約40体の道内各地に残されている仏像の一つである。この座像の背面に「くすり乃たけごんげん」の銘がある。この像は内浦湾に面した礼文華峠にあるケボロヰとよばれる洞窟にあった5体のうちの1体で、5体は蝦夷地を代表する山岳にあて、はるばる霊山を訪ね難いのでこの洞窟に背銘像をそろえて遥拝したと云われている。(続く)

摩周第三展望台から屈斜路カルデラを望む。左手の白い山がアトサヌプリ(裸の山。硫黄山)。奥に見えるのが藻琴山。いずれも「くすり乃たけごんげん」の候補。