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凸凹海外研修報告その1(スペイン編)ガウディ恐るべし

開業以来毎年2回ずつ国内外の観光地を視察している。「遊びじゃないの?」という声も聞こえるが、研修なんである。報告もし、成果も仕事に反映しなければならない。まあ、旅行者の立場で仕事を再点検する意味では、遊びの気分も大切ではある。
さて、今回はスペインとはいってもバルセロナ、マドリッドの二大都市とイタリア、ローマの8泊10日間の旅であった。類比的に考えるタイプなので、バルセロナで言えば、共通項である港町を軸に、ガウディ建築物(毛綱建築物)、サン・ジョゼッペ市場(和商市場)、地中海海鮮料理(太平洋海鮮料理)なんかが比較項目になってくる。

■建築物や街並みの魅力
アール・ヌーボー(新しい芸術活動)の時代にフランスやスペインで活躍した、芸術家たちのなかでアントニオ・ガウディは最も著名な建築家だとおもう。いうまでもなくサクラダ・ファミリア教会の設計者かつ施工者でもあるが、ガイディは工期途中で不慮の死(交通事故)でなくなり、かつ設計図も戦争中に消失したので現在は継承者たちが2026年の完成を目指して試行錯誤しているそうだ。ガウディ建築物は有名なもの(世界遺産に指定されているような)だけでも5棟くらいあって、その他の建築家たちの作品が街中にあって、相当奇抜なものも多いが街の景観に溶け込んでいるところが凄い。はっきり言えば、これはバルセロナのオンリーワン観光素材なので、比較するものもないが、釧路にもポストモダンの建築家で郷土出身の毛綱毅曠(故人)がいる。大小あわせれば10棟ほどの毛綱建築物が市内に点在している。
一朝一夕に街並み景観を形成することは不可能だが、地道な積み重ね、つまり街の歴史を語る活きた素材が建築物や街並みのアイテムである。その方向性は大切に市民共有したいものである。

生誕のファザード、ガウディ生前の部分。鐘楼上部にエレベーターで昇れる(要事前予約)
尖塔基部までエレベーターで上がるとこの感じ
渦巻状の螺旋階段を下まで降ります
サクラダ・ファミリア教会細部の土台に亀
受難のファザード(生誕のファザードの裏手)、直線的なデザインのキリスト受難を描く彫刻群。ガイディ死後の建築
教会内部。ガイディ死後、森林をイメージした設計。ガイディ何をおもう
世界遺産カサ・ミラ、ガウディ建築。
街に連なる建築、右は世界遺産カサ・バトリュ
カサ・バトリュ内部、曲線デザインとステンドグラスが美しい
グエル邸屋上の煙突デザイン、タイルモザイクもガイディお得意
アントニ・タピエス美術館、これもモンタネールの作品
カタルーニャ音楽堂、馬好きにはたまらないアングル

ガイディの最高傑作ともいわれるコロニアグエル教会。
バルセロナ郊外なので観光客もあまり居ない
ここは石とレンガ中心ですべて曲線で構成、ガイディ恐るべし

日誌からみる武四郎の人となり

■ドナルド・キーンが亡くなって、あらためて 『百代の過客<続>』 を読み直し、氏の日本における日記文学への深い眼差しに興味惹かれた。 キーン氏は同書に武四郎を取り上げ、 「アイヌ民族の権利の、力強く、そして説得力のある擁護者としての姿が、文中から立ち現れてくる。」と 武四郎を評し 、また日記が武四郎自身の人となりを自ずと語ってくれているのが面白い、と述べている。
■ 現在、私は仲間との勉強会「武四郎を読む会」で、武四郎の日誌『戊午東西蝦夷山川地理取調日誌』を解読しているが、そのなかでも、そのことを納得するような件があった。勉強の対象テキストである『戊午東西蝦夷山川地理取調日誌』は在野の武四郎研究者であった秋葉実さんの解読による著書で、現在、読み合せているのは1858年、武四郎第6回目(最後の)蝦夷地探訪の部分である。「戊午久須利日誌」と題され、後に刊行本『久摺日誌』として紹介される釧路から阿寒湖畔、網走、斜里を巡り、摩周、弟子屈を経て釧路に戻るまでの日誌部分である。
■ ご存知のとおり、武四郎の旅はアイヌの案内人の同行があってはじめて成立したもので、依頼者とガイドとの関係性もガイドである私にとっては興味のあるところだ。今回、ご紹介するのはこの日誌の塘路泊を記述した個所で、武四郎とアイヌ案内人とのつながりと旅仲間に対する眼差しの優しさにいたく感心したのである。同文箇所の秋葉解読文と私の訳文を以下に示す。

上段:『戊午東西蝦夷山川地理取調日誌』部分抜粋 下段:塩による訳文

■ ここで共感するのは、武四郎のマメな優しさ、上下関係より仲間関係重視、郷愁に対する感性、武四郎の旅のイメージなどであるが、ガイドの疲労に配慮して自らが米を研ぐ武四郎の姿勢は、彼の繊細な心遣いを表している。まさに寝食を共にして、苦難に満ちた蝦夷地探訪をアイヌ案内人とともに成し遂げた基本姿勢である。
また、ケンルカウスがイトウをさげて現れた様を「生涯の話の種に」という件には、エピソードの積み重ねのなかに旅の価値を認め、現場のなかの事実を積み上げながら、真のアイヌの姿に触れようとした人となりが垣間見れる。
■ 尊王攘夷論者として対ロシアから蝦夷地を守り日本がこれを統治する武四郎の考えには揺るぎはなかったのであろうが、武四郎のおもいどおりにアイヌを同化させることにはならなかった失敗談のエピソードも日誌には綴られていて、武四郎自身の揺らぎや困惑も垣間見れる。私が武四郎に学ぶのは、思想的影響をうけながらも、現地現場でそれを補正しながら真実を見極めようとする姿勢である。

フェルメールを追って

■今回もっとも印象に残ったマウリッツハイス美術館(ハーグ:オランダ)

凸凹海外研修のもう一つの旅の目的は西洋絵画鑑賞。フランスからベルギー、オランダへ。ブリューゲル、ルーベンス、レンブラントなどの巨匠の作品の追っかけでした。しかしながら、各美術館収蔵作品が必ず見れるとは限らないことを痛感!出張貸出中、整理のため閉鎖など、こちとらわざわざ日本から来たんだぞ!と思わず文句もいいたいところ。特にブリューゲルはその美術館を代表する作品、例えば「バベルの塔」(ボイマンス・ファン・ブニンヘン美術館)が出張中。館員に当方の事情を話すと済まなそうにしていた。

さて、出発前に日本でも過去最大のフェルメール展が開催されており、私も帰国時に観賞するため予約チケットを購入した。フェルメールには15人子どもがいて、故郷のデルフトという小さな街からほとんど出ることなく、これまた小さな部屋でおこる些細な日常を描き続けた人。不思議だね、こんな絵が世界中の人を感動させるなんて。今回、東京で見た代表作「牛乳を注ぐ女」でその秘密が少しわかったような気がした。明暗、色彩、構図という絵画の基本を突詰めると絵がおのずと語りかけてくる、というのを実感した。それにしても独占観賞できたルーブルやオランダの美術館が夢のよう。東京の人ごみのなかでの絵画鑑賞のコツも習得したんだけど、やっぱり絵画はゆっくり愛でる余裕が必要だね。

■締めは東京上野美術館でのフェルメール展。すごい人で一気に日本を体感。写真撮影厳禁なので、外の巨大看板のフェルメールを皆と一緒に撮影

凸凹海外研修、欧州3カ国珍道中の旅

晩秋のパリ。ルーブル宮を散策するパリジャンたち。

凸凹海外研修はパリからベルギー、オランダ2週間。パリでは、前田一歩園創設者前田正名がパリ留学時の協力者である種苗店ヴィルモランの現社長と面談。その後、友人の娘さんが開業したモンマルトルのパテスリーで甘い再会。パリで活躍している今昔の縁者との出会いに旅の醍醐味。ちょっと深夜特急便の気分でした。
今回は、ここ数年はまっている西洋絵画観賞の旅、北方ルネサンスから17世紀、市民社会がメインとなったベルギー、オランダの作家たちの作品を追っかけて北上です。ブリューゲル、レンブランド、フェルメールなどの名画を見るのと活躍した街を訪ねるのが目的でした。
その一つ、ガイド仲間が昔、駐在していたお勧めブルージュ(ベルギー)訪問。7.8年越しの夢が実現しました。馬車の蹄の音と、鐘楼の音色で目覚め、運河をクルーズ、美術館で名画に触れました。夜はベルギー料理を味わい、中世の街並みが残る空間に滞在したという感じがしました。
というわけで、どこが研修か?と疑いを持たれる御仁もいられるとおもいますが、当舎のお客様は個人旅行で地域ガイドを使う方たちで、多くの方は海外旅行でそういう観光文化を身につけておられる。そんな、お客様の立場を理解するには、まず自分自身がその立場に身をおいて旅先で様々な経験をすることが最高の研修なのです。本当ですよ!

アムステルダム駅で自由にピアノを弾く、私も弾こうかとおもったけど…

アムステルダムは運河と自転車の街

中央アルプスで凸凹山岳研修、無事終了!

千畳敷から木曽駒ケ岳への登り、いよいよ山行開始

台風に前後して中央アルプスの山岳研修に行ってきました。御嶽の噴火災害から4年、登山できることに感謝しながら、晴れと雨のなか3泊4日の縦走(千畳敷~木曽駒ケ岳~空木岳~駒ヶ根)は記憶に残る山旅となりました。

宝剣岳からの日の出、富士山が右手に

アップダウンの難コースの熊沢岳から東川岳へ

好天の2日目は約10時間の行程。

岩場の歩行が続く宝剣岳、奥に御嶽山を望む

深秋の木曽駒から遠望する富士山、手前に南アルプスの名峰たち

御嶽山におもわず合掌

雨の中、空木岳頂上直下の岩場

もう少しで後が空木岳のピーク

雨中の空木岳頂上で一息