「武四郎逍遥」カテゴリーアーカイブ

紅葉のなか「川の道」トレイルで晩秋の阿寒を堪能

10月18日、阿寒クラシックトレイル「川の道」、好天の中、紅葉に彩られた阿寒川を遡上しました。ヤマブドウ、コクワやキノコ汁、特製クッキーなどグルメと森の香りに包まれたトレッキングでした。fuka森便りにも報告あります

kawanomiti (6)

阿寒川を約8km遡上します
阿寒川を約8km遡上します
川辺には盛りの紅葉
川辺には盛りの紅葉
カツラの落葉が甘い香りを放ちます
カツラの落葉が甘い香りを放ちます
取り立てキノコ汁で昼食
取り立てキノコ汁で昼食

うれしいニュース

DSCN1752

今朝(2015.9.5)の北海道新聞にうれしい記事が2題のってました。一つは、今年の釧路市市民貢献賞で、我が自然ガイドの師匠ともいうべき大西英一さんと阿寒クラシックトレイルでいつもボランティアでサポートいただいている小瀬泰の受賞が決定したとのことです。それぞれ釧路の環境教育と農業振興に大きな功績をはたしている御両人のますますのご活躍を心から祈念したいとおもいます。もう一つは、道と北海道観光振興機構が学生対象におこなった、「道東観光プラン」のコンペに道外から唯一選ばれた愛媛大学の学生プランが「松浦武四郎の足跡をたどる旅」とのこと。何といっても、道外の若者が武四郎をテーマにしてくれたことに感謝です。最終選考はこれからだそうですが、決定の暁には是非、協力したいですね。

DSCN1751 DSCN1750

 

風土に紡ぐ物語<旅する阿寒>第1話

風土に紡ぐ物語《旅する阿寒》①

武四郎探検像(幣舞公園:釧路市街地)
武四郎探検像(幣舞公園:釧路市街地)

北大通を見おろす幣舞公園に松浦武四郎蝦夷地探検像が建立されている。
幕末の蝦夷地探検家で、北海道の名付け親ともいわれる武四郎とアイヌ案内人の銅像だ。こじんまりとしているが、凛々しい。アイヌ案内人は、これから向かう遠い阿寒の山並みを指さし、武四郎は野帳を手に、その表情には未知への期待と異郷の地へ赴く緊張感が漂っているように見える。
昭和29(1954)年早生まれの私は、釧路生まれの釧路育ち。国鉄マンの父は浪花町の鉄道官舎住まいから、マイホームを当時の新興住宅地である松浦町にもとめた。私が小学校に上がる前年だった。
松浦町は、昭和7(1932)年7月に実施された釧路市字地番改正の際につけられたものだが、命名理由には「今より76年前松浦武四郎は不毛の久寿里場所即ち此町の如き泥炭地たりとも東蝦夷地第一の都会たるべしと絶叫したるは超達見として敬意を表すべきである此の因縁を記念の意味に於て松浦町と命く」(釧路市ホームページ『釧路郷土史考』引用)とある。「絶叫した」とか、「超達見」とか、相当思い入れの強い表現だが、武四郎の釧路(当時は「クスリ場所」と言った)に対する評価はすこぶる高く、釧路人の郷土愛を刺激するに十分であった。
さて、昨年、還暦をむかえた私は、長年勤めた釧路市役所を退職し、自然案内ガイドとして再出発した。もともと自然好きで、趣味も登山や野鳥観察等々。また、職員のとき一番長い期間勤めた部署が観光部門であったことも影響している。
釧路市は平成17(2005)年に、阿寒町、音別町と合併し、新生釧路市として再出発したのだが、私は、合併をはさんで、釧路で8年、阿寒で3年、計11年間、この地域の観光行政にかかわることになった。
平成21(2009)年からは、阿寒の観光部門勤務で阿寒湖温泉単身赴任勤務となった。この年になって、「第二の故郷」が出来たことは、望外の喜びとなった。
合併時に新生釧路の新しい観光ポスターをつくった。最後の最後まで、キャッチコピーが決まらず難儀していたとき、阿寒の関係者が「釧路という異国」という数点の候補のなかではもっとも人気薄だったコピーを押した。私も最初から、「どうも陰気なイメージ」と感じていたが、推薦者は、釧路と阿寒のそれぞれの既存イメージを超えたところをアピールしたい、それには、国内にあって、どこか異国を感じさせる道東のイメージを打出したい、という主張が皆を納得させたのであった。
異郷を旅する。少々脱線するが、「旅」と「旅行」の違いについて考えることがある。観光行政に携わっていると、業界用語が身につく。「周遊観光、団体旅行から、滞在観光、個人旅行へ」は昨今の観光業界定番表現である。「旅行」には、予定や行動範囲を設計し、必然的な感動を用意するという、業界的なところがあるが、「旅」には、道草や偶然性のなかで得る、即興的な感動が期待され、未知であるがゆえに、刺激的というニュアンスが強い。
私は、根は臆病で慎重ではあるが、「旅」派である。メインストリートより、わき道に惹かれる。そんな私にとって、阿寒湖温泉への単身赴任は、まさに釧路にあって、釧路でない異郷への旅であり、未知との遭遇、日常性に閉ざされた私の感性を刺激してくれるのでは、との予感に満ちたものであった。

松浦武四郎は、幕末の1845年から1858年の間、6度にわたって蝦夷地の探検をしている。このうち、3度、釧路に立ち寄っている。釧路は縁のある地なのである。6度の蝦夷地探訪の内、後半の3回は、幕府の雇われなので、いわば調査出張旅行だ。特に最後の1858年には内陸部を中心に全行程203日、そのうち釧路・阿寒をはじめ道東の旅は23日に及んだという。このとき、武四郎一行は、釧路から阿寒湖の間を4泊5日かけて、つぶさにこの風土を記録している。出張なので公務目的は、蝦夷地の資源調査や開発の可能性、地形地理調査などであったが、武四郎は公務をこえて、同行したアイヌのローカル情報もふんだんに取り入れ、アイヌ地名採取やアイヌが置かれている苦境の聞き取り調査もしている。公務員の出張は、必要以外の用務や街に立ち寄るのは厳禁であるが、武四郎は、禁断の公私混同・異郷の領域に大胆に踏み込んだ旅人であった。
さて、釧路に生まれ、松浦町に育った私は、結婚後、幣舞町で暮らし、通勤路は出世坂、子どもとの散歩は幣舞公園という時期を過ごした。そして、時は過ぎ、釧路から阿寒湖温泉へと転勤。とてもというほどではないが、少し、もしくは軽く、私は武四郎と縁があったとおもっている。武四郎にとっての4泊5日の釧路阿寒紀行と、私の60年にも及ぶ歳月の旅路が重なってくる。
人は自らの意思で移動することが可能で、それを空間軸に広げれば「旅行」、時間軸に広げれば「旅」、というのが、私にとって、もう一つの「旅行」と「旅」のイメージの違いである。人生が旅にたとえられる所以である。人生という誰もが体験する旅のステージではそれぞれが主役であり、その旅先は私たちを支えてきた風土という舞台そのものである。人と自然が織り成す故郷の変化や先人達のおもいは、風土のなかにたたずんでいる。
人が旅するように、故郷も旅する。そんなおもいがよぎる。
武四郎とアイヌが歩いた風土と私たちの時代の風土にはどんな違いがあるのだろうか。
変わったものは何か、変わらないものは…。
加齢のなせる業とおもうが、時をかける中高年は、時間の旅人である。昨日の出来事は忘れるが、昔の事柄はよく覚えている。速く走れないが、ゆっくり歩ける。周遊型から滞在型へは、時代のトレンドではなく世代のトレンドである。
故郷の歴史と自分の経験を重ね、旅の体験をとおし、風土に紡ぐ物語をひと月一編啓上したいとおもっている。ご贔屓に。

クスリ凸凹旅行舎 代表 塩 博文

シンポジウムで阿寒クラシックトレイルの魅力をアピール

 

トレイルシンポ (2)
自らもトレイルランナーで、登山や釣りにも取り組んでいる武田さん

11月1日阿寒湖まりむ館で開催された「トレイルラン&ノルディックウォーク シンポジウム」にパネラーの一人としたご招待され、参加してきました。北海道のトレイルランニングの第一人者武田渉さんをメインに、阿寒湖鶴雅グループでノルディックウォークの普及に尽力されている高田茂さんと、私の3名で阿寒湖の自然の魅力開拓についてお話をしました。旅行が多様化しているのは昨今の現象ではありませんが、ことアウトドアに関して言えば、欧米より導入されたスポーツやエクササイズでバリエーションがさらに増しているところです。3者の共通意見は、阿寒湖温泉が温泉街からダイレクトに自然と隣接しているところが、アクティビティを準備したり楽しんだりする利用者側からは大きな魅力とのことで一致しました。しかしながら、その利活用はまだまだ不足しており、新たなアウトドアスポーツの導入で温泉地の可能性を拓きたいのが主催者であるNPO法人阿寒観光協会まちづくり推進機構の意図です。パネラーからは、地元にそのスポーツが理解されることの重要性やフィールドの可能性などの調査や研究に時間が必要との発言もあり、安全管理上の課題等もそれぞれのアクティビティは違うが、共通で課題整理していけるのでは、との意見もありました。トレイルランの武田さんは、来シーズンでも仲間と調査に来たい、との意向を示され、地元のやる気にも感心していました。私も、今の阿寒クラシックトレイルルートだけではなく、トレイルランと共通で開拓できるロングトレイルルートもあるのではないかと密かに来年の計画におもいをめぐらせました。

トレイルシンポ (6)
私も阿寒クラシックトレイルの主旨、コース、現状や課題を発言
トレイルシンポ (8)
最近の山の本。武四郎が日本の近代登山の先駆者でもあったと…
トレイルシンポ (11)
TVではアドベンチャーレーサーの田中君が百名山一筆書き達成!

 

快晴のなか、「川の道」を歩きました

10/25阿寒クラシックトレイル「川の道」が快晴のなか、開催されました。阿寒川橋から7.6k、阿寒川ぞいに歩きました。さすがに紅葉は終わりをむかえていましたが、まだ、しぶといヤマモミジやミズナラがアクセントのように河畔に残っていました。貝殻化石を拾い、キノコを採り、カツラの落ち葉の香りに浸り、熊の足跡やヤマセミの登場に驚き、ヤマブドウを採るのに童心に還り…。天然キノコ汁や手作りスコーンなど味覚の秋も堪能したトレイルでした。参加者の皆さんにも満足いただけたでしょうか?
私は松浦武四郎の足跡を何点か再確認できたことと、阿寒川の成り立ちを地形や地質で知ることができたのも収穫でした。またひとつ、阿寒の魅力に触れ、満足のひとときでした。
今年最後のトレイル「山湖の道」開催案内はこちらへ→http://dekoboko.biz/?p=941

kawanomiti (4)
これは、これは、ホットな熊さんの足跡!
kawanomiti (5)
林道ののどかな道もあります
kawanomiti (11)
天然エノキの味噌汁がお昼のサプライズ
kawanomiti (10)
阿寒川ののどかな河畔でランチ、ヤマセミ登場。

ヤマブドウやコクワを食べながら「里の道」を行く

 

9月27日に、14名が参加して、阿寒クラシックトレイル秋の第1弾「里の道」が開催されました。紅葉がはじまった大正道路では、ヤマブドウやコクワの実がなっており、参加者もしばし足を止め、秋の味覚を堪能していました。今年はドングリの実も豊作のようで、熊さんたちも一安心。昼食は小瀬牧場のオープンガーデンでこれまた菜園のトマトに舌鼓。この日は、歩くのにちょうど良い、晴れ曇の日和。後半も順調に足の伸ばし、ゴールの上徹別福祉館には午後3時30分到着。ほぼ予定通りの行程となりました。10月25日の「川の道」も楽しみです。

CCF20141002_00000
新聞で紹介されました
IMG_0001
参加者には「旅の野帖」に参加印を捺印。
DSCN1513
25kmを完走して、栄光のゴール!

新緑の阿寒クラシックトレイル「山湖の道」を歩きました

新緑のなか、阿寒クラシックトレイルの「山湖の道」を歩くイベントを実施しました。山湖の道は、阿寒クラシックトレイル全行程60kmの最後の山越えの道(約10km)です。昭和初期に阿寒湖畔と釧路の間に自動車が走るようになるまで、阿寒湖畔へは歩いて、又は馬に乗ってこの峠を越えました。「山湖の道」は前田一歩園の許可を得て、林道を歩きます。原生の雰囲気をとどめるイタルイカから、植樹の森を経て、湖水の島巡り、そして最後はまち歩き。写真で雰囲気をお伝えします。

_DSC0712
さあ、出発です。(イタルイカ)
_DSC0719
湧き水で一休み、旨い!
_DSC0723
松浦武四郎やアイヌ地名を解説
_DSC0739
アイヌ伝統料理ユックオハウ(シカ汁)で腹ごしらい
_DSC0764
ムックリとウポポ(唄)の演奏でほっこり
_DSC0801
まさに新緑の古道を歩きます
_DSC0816
マリモ展示観察センターでしばらくぶりにマリモに対面
_DSC0829
最後はアイヌコタンで締め。武四郎の宿泊地もこのあたり。

白い川、黒い川、赤い川

松浦武四郎足跡めぐりツアーの魅力の一つが、蝦夷地探検の間、採取したアイヌ地名を訪ねるというもの。特に現在のマリモ国道沿いにも地名板があって、現役地名がいくつもある。興味深い地名にワッカクンネナイがある。これは現在は白水川という和名が付けられているが、アイヌ名のワッカクンネナイは、ワッカ(水)、クンネ(暗い・黒い)、ナイ(川)。つまり、和人は火山噴出物で白濁した水をみて、白水川といい、アイヌは川底の黒い安山岩で黒い川と名づけたのではないか。現在も、雨が降ると白水川はすぐに白濁する。その支流にはフレベツ川があって、こちらはフレ(赤い)、ペツ(川)で、渇鉄鉱の鉱山が上流にあり、岩底に付着した鉄錆の色からフレペツと名づけたよう。ほんの狭いエリアに、白・黒・赤の川がある。写真は、フレベツ川と白水川の合流点。本当に赤い川と白い(黒い)川が交わる。ツアー案内はこちら。

kawa

大天使ガブリエルの青いマント

IMG_0887 私の住む美原地区には外周4.5kの散策路がある。野草園をつくっているグループがいて、この時期の楽しみのひとつだ。エゾエンゴサクは、春を告げる代表的な野草だが、今年もこんな感じで、小規模だがまことに美しい。倉本聰さんの「風のガーデン」では確か、大天使ガブリエルの青いマント、という花言葉を記憶しているが、主人公のお父上、『貞三先生の花言葉』では、「妖精たちの秘密の舞踏会」とある。どちらが、らしいか、悩ましい。
最近、外国人をご案内する準備で野草の英名を調べていたら、こちらは、Corydaris Tuber。さらにアイヌ語ではトマ(食用の塊茎部をさす)という。言語毎に名前を覚えるのは中高年の脳細胞には大変すぎる。名前を覚えればいいというものでもない。何といっても、エゾエンゴサクの白から青、時には紅青までの花色と様々な変化にとんだ花びら、こんなに多様な変化を見せる野草もめずらしいのでは。松浦武四郎も『久摺日誌』に紹介。ここでは黄色いエンゴサクも見たとある。じっくり美しさに浸りたいものだ。