「自然と人の共生」カテゴリーアーカイブ

ふんだり、けったり <旅する阿寒>第4話

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欲張りなクマ神様はサケを一杯籠につめて(人形劇「ふんだり、けったり熊神様」より)

「ふんだり、けったり」

自然ガイドで常に気をつけているのは、お客様の安全。自然は私たちに様々な恵みをもたらすとともに、大きな危険も孕んでいる。
そんな私の頭の片隅には常にヒグマが生息している。北海道では、わが国最大の陸棲哺乳類ヒグマの存在をぬきに自然とは付き合えないのである。
私がはじめてヒグマに遭ったのは二十代半ば、仲間と行った山開け前の羅臼岳登山であった。裾野をまきながらもくもくと登っていた時、上から小型のヒグマが走ってくるではないか。二番手を歩いていた私は、先頭の友人が襲われるとおもい、下の仲間の方に向かって逃げた。幸い、互いの存在に気づき、ことなきを得たのだが、私の方は、それ以来、しばらくの間、ヒグマがトラウマとなった。

阿寒湖生活では五年間に三度対面した。「やっぱり阿寒はヒグマ多いんだねぇ」とおもわないでほしい。阿寒湖温泉の住民でも、ヒグマに会ったことのある人は少数派である。阿寒の森を管理している前田一歩園林業の職員でもヒグマに会ったことのない人は大勢いる。

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色気にも弱いクマ神様

私が三度も会ったのには、それなりの理由がある。釧路市は、環境省、警察、猟友会、前田一歩園、営林署などとヒグマの対策会議を組織している。ヒグマの出没情報があると会議が召集され対策が検討される。必然的に、出没地や周辺の見回り業務も発生するので、見る可能性は高まる。
阿寒湖温泉では、春から初夏にかけて出没情報が多くなる。釣り人や通行車輌の運転手、地域住民等からもたらされるが、その多くは小型の親離れ早々のヒグマか、親子連れである。
数年前、生活道路に若グマが出没し、会議が召集された。阿寒湖温泉は阿寒国立公園のなかにある街なので、畑や牧草地といった耕作地が存在しない。このため、生活道路の先はほぼ原生林に近いヒグマの生息環境がある。小学校と中学校もあり、生活道路は学童の通学路と重なる。
この若グマは、発見者に愛想をふりまき(ここは私の主観)、写真にも撮られ、ゆっくりと森に入っていった。証拠万全である。
会議ではこんなやりとりが…。
「親離れして、小型のヒグマであまり人を恐れていないようだ」
「あそこは通学路なので危険だ。見つけたら処分も考えなければ」
「まだ、世間知らずなんだから、いきなりズドンは可哀想だべ。爆竹鳴らして一度、森におっぱらったらいいんじゃないかぁ」
「自然との共生ということもあるし、知床では追い出す試みもしてるので…」「いやいや、縄張りをさがしてウロウロしてるんだけど、森に追い払っても、縄張り持っているオスに追い返されてまた戻ってくるぞ」
「子どもたちに何かあったら大変ですよ…」
「…………」

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射止められた若グマ。親離れの春か。首の周りの茶色毛が特徴であった。

ということで、議論はとりあえず、周辺の林道に檻わなをかけて、猟友会が見回りをし、道路に出てきたら様子次第では処分も、ということになった。
私といえば、怖いもの見たさではないが、丸腰で見回りに参加し、ウロウロ、ソワソワの早朝自然観察(たしかに自然観察だけど、ここは少し違うかも)。
阿寒湖温泉の周辺エリアのほとんどは前田一歩園が管理しているので、長年森づくりにかかわってきた財団職員の方は、ヒグマの動向や傾向も把握している。できれば処分もしないで森で暮らしてほしいのは共通のおもいなのだが、近年は、エゾシカの増加や春熊の狩猟禁止などで個体数が増えているのではないかという見立てもある。
実は、この若グマと私は知らない仲ではなかった。私がたまたまバードウォッチングに行く林道の橋の袂で会っていたのである。彼はこの時、熱心にフキを食べていた。最初は逃げたが、一定程度離れるとまたフキに夢中になった。双眼鏡でしばし、どきどきしながら野生のヒグマの姿に見ほれた。
見回り数日後、同じ場所で双眼鏡を覗いていると猟友会のジープが急停車。
「出たぞ!」「何処に!」「ついて来い!」
私も追っかけ現場に駆けつけた。林道から数十メートル先の倒れたトドマツの陰に黒い塊があった。止めの一撃で、私の目の前で若グマ君は絶命した。

アイヌ文化ではイオマンテ(熊送り)の儀式は最も重要なものとされるが、政府の先住民同化策で禁止された。春熊狩りで捕まえた小熊を人が育て数年後、イオマンテで葬り、天上のカムイとなり、また沢山の食糧とともにキムンカムイ(山の神)として戻ってくるという儀式の主旨は、ヒグマの個体数調整やアイヌのタンパク源確保など合理的な問題解決策でもあったようだ。
阿寒湖アイヌシアター「イコロ」は、アイヌ民族舞踊などアイヌ文化を伝承する専用劇場であるが、三年前からアイヌ民話の創作人形劇づくりをすすめている。第一作目は「ふんだり、けったり熊神様」で、イオマンテを題材として、ちょっと間抜けで愛嬌のあるクマの視点から欲におぼれない生き方をコミカルに描いていた。今年の第二作目「ちっちゃいカムイとゆっくりカムイ」も、荒くれ熊(ウエンカムイ=悪いクマ)を小さな小鳥ミソサザイが中心となって森の仲間で知恵と力を会わせて退治する物語である。

ヒグマとどう共存するかは難題である。地域住民のみならず、観光客の理解も必要である。みんなの知恵が必要である。確かなことは絶対的な解決策はなく、重要なのは相対的な対応をしっかりとすることではないか。<人と自然が共生>とは言っても、命のやりとりがどこかで生まれる。
この若グマの件を契機に、学校ではクマの学習会が開かれた。ヒグマの習性を知る、ヒグマの事情も知る、ヒグマの存在が自然のなかで果たしている役割など思いを巡らせることも共生関係をつなぐ隣人としてのエチケットではないだろうか。
そうでなければ、あの若グマはうかばれない。

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イオマンテで人間の姿になって天上へ
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阿寒町布伏内のコタンでのイオマンテ(提供 千家盛雄氏)

 

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新作人形劇「ちっちゃいカムイとゆっくりカムイ」。こちらのクマは赤い悪魔?でも、ちょっと可哀想(5月から10月末まで、土・日、祝日午後1時から阿寒湖温泉アイヌシアターイコロにて上演)

 

 

これぞ総合芸術、進化する人形劇の世界

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皆で荒くれ熊退治。熊もちょっとかわいそうな…。

 

人形劇といえば子ども向けというイメージもあるが、人形浄瑠璃や東欧の人形アニメ、アジア各地の人形劇など大人から子どもも楽しめる総合芸術というのが私の印象。3月21日に阿寒湖アイヌシアターで開催された「アイヌの伝承 語り人形劇フェスタ」に出向きました。アイヌシアターイコロでは昨年から人形劇に取り組み、昨年の『ふんだりけったり熊神様』に続き、今年の演目『ちっちゃいカムイとゆっくりカムイ』が上演されました。これが、人形はもとより、影絵あり、映像あり、吹流しあり、イコロのステージをふんだんに使い、まさに総合芸術の魅力満載でした。お話は山本多助さん(阿寒湖にもいたエカシでアイヌ文化伝承者)の『カムイ・ユーカラ アイヌラックル伝』の「ミゾサザイの神が語った話」で、巨大な荒くれ熊を小さいミソサザイが知恵と勇気で立ち向かい、サマイクルの神様や森の鳥たちもそれぞれの力を合わせて退治する勧善懲悪の話です。大人たちにも子どもにもわかる教訓があって、デジタル表現の凄い映像に見慣れた私には、アナログの小さな舞台でもこれだけの世界観を表現できるのだと、まさにこの舞台のあり様が物語の世界とリンクしているかのような感動をおぼえました。
ゴールデンウィークから10月末まで、土・日・祝日の午後1時からの公演だそうです。
ミソサザイは日本最小クラスの小さな鳥ですが、阿寒川や湖岸の岩礁部で繁殖しています。5・6月には驚くほど大きなさえずりが阿寒の森に響きます。是非、一度現物も人形劇と一緒にご覧下さい。阿寒ならではの野鳥観察ですね。

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サマイクルの神と森の鳥たちの作戦会議
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演出の燕座さんと出演者たちの舞台挨拶
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阿寒湖アイヌシアターイコロは年中無休でアイヌ民族舞踊やアイヌ文化の伝承公演をおこなってます
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平凡社から文庫本で読める原作。ユーカラの世界。

 

冬の湿原ドライブにて

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よく見ると耳や首に発信装置らしいものが取り付けられている。周辺の樹木は外皮を食べつくされている。
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オオワシが目に付きました。シカの死体を狙っている。
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フクロウは雄より雌が大きいので目を開けたほうが雌かなぁ?

ガイドの仲間たちと冬の釧路湿原を一周ドライブしてきました。今年の冬は周期的に荒天降雪が続き、例年は晴れて寒さが続く道東地方も例年にない積雪量に人も生物達も苦しめられているようです。釧路湿原はぐるっと来るまで外周部を回ることが出来ますが、なかでも鶴居からコッタロ湿原を抜けて釧路湿原の東側に位置する塘路地区までの道路は湿原のど真ん中を突き抜ける道路です。防寒服を着たようなシカがいたのでよく見ると移動情報収集の通信装置をつけられているようです。シカの数はとても多くて低木の樹木は外皮を食べられてしまっています。また、オオワシが多く、オジロワシはあまり目にしませんでした。塘路湖周辺も湖が開けたところが点在しており、ヒシクイ又はコクガンらしい群れが休んでいました。エゾフクロウのように眠くなるほどの穏やかで暖かい曇り日の湿原探訪でした。 

旬のシシャモはどんな味?

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シシャモはアイヌ語でスス・ハム(柳の葉っぱ)が語源

晩秋から初冬にかけての一週間ほど、釧路川にシシャモが帰ってくる。このシシャモを捕獲して、人工孵化させる事業がシシャモの安定した漁獲量を支えている。
三十年ほど前、市役所の魚揚場に勤務していた頃、一度、この仕事を手伝わさせていただいた。謙虚な言い回しには訳がある。深夜に網をかけて遡上するシシャモを一網打尽にするのだが、私の仕事は引き上げた網に引っかかっているシシャモを外す役目で、結局、集めたシシャモはお駄賃替わりにいただいてしまったのだ。その時の一夜干しの美味しさは今も記憶に残っている。
釧路市漁協でこのシシャモ増殖事業を手がけた工藤虎男さんは随筆家としても知られた方だが、水産現場の視点で釧路の魚のお話を執筆いただいた『釧路港味覚の散歩みち』は、今でも釧路新書のロングセラーだ。そのなかで、グルメ番組のレポーターが旬のシシャモの取材で、脂がのっていて旬のシシャモは旨い、といわれ、がっかりしたというくだりがある。工藤氏曰く、旬のシシャモの味わいは、少し脂分がぬけて、独自の風味と淡白さが際立つところであり、どうやら都会のカペリン(カラフトシシャモ)の味になれた、レポーター氏には、旨み=脂がのっている、との数式が美味の表現パターンになっていたのかもしれない。
私の味覚も、はたしてシシャモの風味や味わいを感知する感覚が残っているだろうか。
今年も旬のシシャモを味わえる幸せを噛み締めたい。

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捕獲事業の様子を伝える新聞記事。寒いよ~
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釧路の魚の味自慢が魚河岸の現場から伝わります

釧路の民俗芸能で盛り上がったイコロ

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釧路地方の民俗芸能を一堂に介して、第1回阿寒湖アイヌシアターイコロ民俗芸能フェスティバルが開催されました。蝦夷太鼓、駒踊り、鳥取獅子舞そして釧路、白糠のアイヌ民族芸能がそれぞれの歴史と持ち味を代表曲に託したイベントでした。今回は特にイコロという劇場の個性がそれぞれの芸能を際立たせていたと思います。ここのステージは高さ10cmのローステージで、座席と前面フロワーが一体で使用できるため、ステージの臨場感が客席によく伝わります。また、今回特に蝦夷太鼓の演奏で音響がとてもよいとおもいました。太鼓は演奏空間で騒音になったりしますが、ほどよい残響の残しながら次から次へ繰り出される太鼓の響きがとても心地よかったです。蝦夷太鼓の創設者、丹葉節郎は、阿寒湖ではマリモ祭りの創設者の一人であり、阿寒湖ユーカラ座のパリ公演の立役者でも会った人です。私も教えをいただきた方でもあり、ひときわ感慨深い太鼓の響きでした。

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駒踊りは楽しい!
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鳥取獅子舞は伝統の重み
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白糠は浜らしいクジラの踊り
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阿寒湖も酔っぱらいのもて男で
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若手の熱気が伝わる
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蝦夷太鼓は釧路が誇る民俗芸能
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各団体の競演でフィナーレ。会場も盛り上がった!

湿原印象派。

 

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マネの「草上の昼食」をマネした、モネの「草上の昼食」。こんがらがるネ!

無事、夏の北アルプス登山を終え、東京の娘と新江古田のフレンチレストランで祝杯をあげ、翌日は一緒に美術館めぐりがここ数年の定番です。今年は新国立西洋美術館のパリ・オルセー美術館印象派展を鑑賞。マネを中心として、ルノワール、シスレー、ドガ、モネなど印象派からポスト印象派の作家たちの作品がぞろぞろ。画集で見ていた名画が目の前に。風景と人物画に特に感動しました。
さて、私には今回、もう一つ行きたい所がありました。それは民藝運動の創始者柳宗悦が中心となって設立した日本民藝館でした。5年間の阿寒湖畔生活から、釧路に戻り、湿原案内をするなかで、鶴居村ツルワチナイに入植し、人と自然の共生を開拓民の暮らしを基盤に、問い続けた白樺派の思想家・長谷川光二一家の存在を知りました。阿寒と釧路湿原を白樺派=民藝運動の糸がつなげたのでした。
ところで、パリの印象派の画家たちは、日本の浮世絵に代表される文化運動であるジャポニズムの影響を受けたそうですが、その最盛期のパリ万博日本館事務長を勤めたのが、若き日の前田正名(前田一歩園創始者)でありました。重厚長大な近代産業化政策に対抗し、伝統工芸や地場資源を活かした地方産業振興を優先政策として主流派との政争にやぶれ、終生、全国で産業団体育成に邁進した正名の開発思想は、印象派や民藝運動(白樺派)の道筋とどこか重なるものだとおもいます。
それぞれ、前田は政治・産業、印象派の画家たちは芸術活動、柳や長谷川は思想・哲学・文芸活動とベースは違っても、人の暮らしや幸福感を国の視点より、民衆の視点から見つめ続けた活動は今の時代にも継続する運動として我々の目の前にあることを実感します。
私にとっては、阿寒の森、パリ印象派、アイヌ木彫、民藝運動、釧路湿原、白樺派は横串でつらぬかれた人と自然の共生の道でした。

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長谷川光二(1898-1975)が入植したツルワチナイ
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柳宗悦(1889-1961)が設立した日本民藝館
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阿寒アイヌコタンの熊の木彫り。北海道の民芸品。

マリモの衝撃映像に、おもわず「へぇ~!」

NHKスペシャル『神秘の球体マリモ~北海道阿寒湖の奇跡』は、見たことのないマリモの生態が可視化された衝撃映像でした。マリモ博士の若菜さんもおもわず「へぇ~」。これまで、マリモの球体化では、波にスイングされて丸くなるイメージでしたが、大阪のたこ焼き状態でその場で回転しながら丸くなるのが、ハイスピードカメラで撮影されたのでした。また、阿寒湖とアイスランドのミーバトン湖は常に、球状マリモが群生する世界の湖といわれてきましたが、ミーバトン湖はほとんど絶滅状態というのも衝撃でした。対岸の工場排水の影響も示唆されていました。球状マリモはヨーロッパの湖沼でもあったそうですが、ことごとく開発の影響で絶滅したそうです。阿寒湖になぜマリモが残ったのか、自然環境が生み出す奇跡と共に、開発を保護に転換し、環境保全に力を注いだ活動も大きく影響しているとおもいます。阿寒の選択の分岐点にあるのが、マリモ祭りです。ツアー案内はこちらへ

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若菜さんもおもわず「へぇ~」
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それが、この回転映像。

ウイリアム・モリスの足跡

 

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ふとした縁でいただいたモリスの本

ウイリアム・モリスは19世紀半ば英国で工芸改革運動を推進した工芸家であり、思想家であり、詩人でもあった人。私がはじめてモリスに出会ったのは、『編集必携』というブックデザインの基本的な約束事をまとめた本のなかで、美しい印刷余白の代表パターンでモリスが紹介されていた頁であった。時は流れて、我が家のリフォームでつれ合いが壁紙をモリスのものに変えたい、との希望で調べたところ、あのモリスとこのモリスが同一人物で、英国の機械産業への危機感と、手工芸の復権を生活や表現活動もふくめて運動として実践した人物であるとのこと。さらに柳宗悦など日本の民芸運動にも大きな影響をあたえた。ともわれ、我が家の台所はモリスの壁紙となり、さらに時は流れて、私が退職を期に、現在の凸凹旅行舎を立ち上げるにあたって、自室事務所のリフォームでもモリスの再登場となった。縁は続いて、湿原の案内フィールドである鶴居村ツルワチナイ地区には開拓移住者に長谷川光二一家がいて、この方が自然と人との共生を労働と表現活動をとおして、統合しようとした人物であり、その源流にウイリアム・モリスの影響が大きいと知った。
湿原の自然と格闘しながらも、開拓の厳しい暮らしの中で人間の行き方を模索した長谷川光二は、今では「湿原の聖人」「原野の俳人」「原野の思索家」とも讃えられている。自分のそばにあるものの、真理にふれ、自然と人との関係を見つめた先人のおもいを伝えたい。湿原は深いなぁ、とおもう今日この頃ではある。

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凸凹事務所のモリス壁紙
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こちらは台所を包む柳とザクロの模様

小学生と一緒にウチダザリガニ、バスターズ

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茹でると赤に変身!
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確かに信号を送っている感じ
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本日のビック1は125g、6年ものとのこと
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塘路湖にはヒシやエゾミズタデ(写真)の花が満開でした

小学生の夏休み自由研究ツアーにガイドとして同行し、ノロッコ号に乗って塘路湖まで行ってきました。メインはウチダザリガニ駆除体験ということで、特定外来生物のウチダザリガニを捕獲して観察することです。参加者に自由研究のテーマを聞いたら、「絶滅危惧種!」という返事があったので、ウチダザリガニに駆逐されているといわれる絶滅危惧種ニホンザリガニも見れたら、と期待しましたが、こちらは湖ではなく上流河川にいるとのこと。ウチダザリガニの英名はSignal crayfishといって、はさみの付け根が白くて、信号を送っている姿を連想させることから命名されたとのこと。なるほど、確かに…。子どもたちは生き物大好きで、ザリガニに釘付け状態でしたが、外来生物が生態系に及ぼしている影響もわかってくれたかなぁ? 

湿原に先人達の暮らしの痕跡を訪ねる

釧路湿原の周りには約5百におよぶ遺跡がある。縄文からアイヌ文化まで、年代の幅もひろく、人の住みやすい環境があったということか。
キラコタン岬の遺跡探訪勉強会に参加した。ちょっとした窪みが竪穴住居跡といわれても、なかなかピンとこないところが苦しいが、あらためて、人の住む環境というものを考えさせられた。水、食料確保、安全、交通アクセスなど、キラコタン岬には全てがそろっていたのであろう。この蛇行する川の風景も、秋には鮭がのぼり、丸木舟をつかった移動も容易、そして湧き水がある。アイヌ語に詳しい方の話では「キラ・コタン」は「逃げる・集落」という意味で、白糠にも同様な地名があるとのこと。何から逃げたのか、疫病か、津波か、和人の迫害からか…。風景の印象が、少し違って見えた。

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キラコタン岬先端からながめるツルワチナイ川支流のヘヤピンカーブ