『クスリ凸凹旅日誌』▶8話:観光旅行のはじまりは 伊勢参りにあり

2010年12月17日~22日
箱根 伊勢神宮 群馬


旅行の原点をたどる旅
 日本人の旅行の原点はといえば伊勢参りになるそうだ。庶民が観光旅行として伊勢参宮を主目的とし、江戸中期においては日本人の約60万人、20人に1人が行っていたという推計値もある。
 日本人が海外旅行ブームに沸いた平成10年の統計値によると海外旅行の平均日数は7泊8日。伊勢参宮の江戸からの旅行日程は片道約15日、往復で30日ということだが、伊勢神社だけではなく京都や大阪を回って遊興をするので大体50日以上の旅行日数になったそうだ。東北や九州の農民だったらもっと日数を費やしたのではないか。
 日本人の「旅欲」は凄い。66歳のボクは食欲、物欲は明らかに衰えたが、旅欲だけは不思議と衰えない。日本人の旅のDNAを引き継いでいるのかもしれない。
 〈旅行の原点〉というのは、農民、庶民にとっての〈ハレ〉の消費行動である旅行の原型が、この時代にできたことによる。〈ホンネ〉と〈タテマエ〉が混在する日本人の行動様式が、伊勢神宮の参詣という真面目なタテマエと様々な景勝地や猥雑な遊興を楽しむホンネとが構成要素となって旅行文化として花開いた。
 お伊勢参りは伊勢神宮への参詣という巡礼の旅がメインであるが、その真相はさまざまな地域に寄り道する周遊型観光であり、ヨーロッパの目的地直行型の巡礼の旅とは異にする。
 我が家も何かしら神頼みの機運が盛り上がり伊勢参りに行こうということになった。観光振興の仕事に従事していたボクにとっても日本の代表的な観光地で行かなければならないところの一つが伊勢神宮だった。

 江戸時代は歩きが移動のメインだったので旅行者は当然ながら軽装である。基本的にバックパッカーである我々もここは同じ。
 我々のスケジュールは東京を出て、まず箱根で金時山登山をして、富士山を眺め。その後、新幹線に乗って名古屋で乗り換え、四日市で姉夫婦と夕食をとりながら談笑。そして伊勢に向かい翌日お伊勢参りをして、その日のうちに東京に戻る、というものである。翌日の日帰り群馬旅行も合わせても4泊5日の旅だがそれなりの周遊型観光である。これがそれほど忙しさを感じさせずにできてしまうのが現代文明の恩恵に預かる旅行の形なのである。

いよいよお伊勢参り
 伊勢神宮でははじめに外宮を参拝し、その後、地元ガイドにお願いして内宮を案内してもらった。地元の観光協会の紹介であるガイドさんはとても熱心に色々なことを教えてくれたが、今となっては何一つも思い出せない。ガイドがお客さんに伝える情報量の難しさ、我が身に置き換えて考えざるを得ない。
 熊野古道や高野山など歴史のある古道を歩いたり、史跡を訪ねたりする場合は、やはり旅行の後、関連書籍を購入し、読むことで旅を振り返り、記憶を呼び水に歴史を学ぶ。伊勢神宮も同様であった。ここに書かれている事実関係のバックボーンはすべて『江戸の旅文化』(神崎宣武著 岩波新書)による。つまり後付の復習の旅である。
 伊勢参宮の旅では「御師」という現代でいえば旅行業者、「旅籠」という様々な宿泊形態、そして旅行資金を調達する「講」という仕組みもできた。現在の裾野の広い観光産業の原型である。

 現象面では「ええじゃないか、ええじゃないか」と踊りながらお伊勢参りをする「おかげ参り」といわれた熱狂的な集団行動があった。必ずしも日本だけでの特徴的な行動様式ではないらしいが江戸中期からほぼ60年前後の周期で発生した。「おかげ参り」は当時の推定人口の6分の1ぐらいの人が参加したという信じられない統計もある。
 なぜこのような行動が発生したのか二つの側面が考えられている。一つは「おかげ参り」が発生する前には飢饉だとか、一揆だとかの社会的な動揺があり、その人心をそらす政治的な操作があるという面。
 もう一つはお伊勢参りが地域経済の点で大きな役割を担っていく中で経済活動上の操作によるものという説である。困った時の神頼み。様々な噂や霊感話に心動かされる人心。そんな心の弱みを巧みに旅に誘導する経済フィクサーの存在。

 ボクは今、この原稿をコロナ禍下の2020年9月下旬に書いている。経済活動が大きく落ち込んだ観光地を支援するためにGoToキャンペーンという政治主導の景気浮揚策が進められている。
 今年3月から8月一杯ぐらいまでは、ハレの行動は自粛。ほとんど日常の中で悶々と暮らしてしてきた。9月下旬の4連休シルバーウィークにやっと様々な規制が緩められた。今年のシルバーウィークは観光地に人が溢れ、高速道路は渋滞し、交通機関は乗車率ほぼ100%という復調ぶり。ちょっと「おかげ参り」の熱狂と少し通ずるところがあると思う。
 8年にも及ぶ長期政権だった安倍政権が退陣し、その継承を訴え菅政権が発足した。何もしてないのに支持率はいきなり70%近くまで跳ね上がった。森友・加計問題、桜を見る会の疑惑、集団自衛権の行使、先の見えない沖縄基地問題・福島復興、スローガンばかりで成果が見えない施策の数々。でも過ぎてしまえば「ええじゃないか」。
 一候補者に1億5千万円を注ぎ込んだ選挙で選挙違反に問われてる前法務大臣を任命しても終わってしまえば「ええじゃないか」。
 すべて水に流して、リセットし、未来志向で行きましょう! それで「ええじゃないか、ええじゃないか」。

 過去に惑わされず未来志向の日本人。ええじゃないか、ええじゃないかと伊勢神宮を目指した日本人。熱狂の中で侵略と戦争の道を歩んだ日本人。
 ボクもお調子者でお祭りも嫌いではないが、大切なのはそういう己の姿を知ることである。
〈人間は進化しない〉と一般論で置き換えてしまうと日本人の責任回避に加担しそうではある。我々は集団的熱狂には気をつけなければならない人達なのである。
 お伊勢参り復習の旅でそんなことを考えた。

ガイドさんに親子揃って記念写真を撮ってもらいました