『クスリ凸凹旅日誌』▶17話:恐怖の文学トレッキング

2016年9月26日~10月3日
黒部峡谷下ノ廊下 飛騨高山 中山道ほか

黒部峡谷の岸壁沿いに進みます。増水すると危険なので悪天候には引き返す判断も

ヤバい処に来てしまった
 これまで歩いてきた山行で一番スリリングで、意外性があって、貴重な体験として記憶に残っているところを挙げるとすれば黒部峡谷の下ノ廊下は外せない。下ノ廊下というのは地名であり、黒部ダムで有名な黒部湖の下流を指す。ちなみに上流には、中ノ廊下や上ノ廊下がある。
 大正末期から昭和の戦争を挟んで日本の水力発電を牽引してきた日本電力(現在の関西電力の前進)の発電所が建設された。その調査や作業用資材の搬入のために渓谷の岩壁に人が一人通れるほどの道が岩をくり抜いて造られた。
 どれほどスリリングかといえば、広いところでも人がやっとすれ違えるほど。スペースを確保できない箇所には幅60㎝ほどの板が渡され、最も細いところでは足の幅半分位のステップだ。岩場に張られた番線(太い針金)を頼りに恐る恐る歩を進める。それを踏み外すと100m前後の下を流れる黒部川に真っ逆さまに落ちることになる。
 愛用する『山と高原地図』(昭文社)によれば、一般登山道で危険だといわれている大キレット(槍ヶ岳から奥穂高岳まで)の地図についている危険マークは2箇所。この下ノ廊下についているそれは6箇所もある。現にこのルートでは毎年滑落事故や岩壁からの落石による事故が絶えない。

魅力のガイドブックを携えて
 昭和11年から15年にかけて行われた阿曽原から仙人峡までをつなぐ隧道建設は、高熱岩盤帯を貫く想像を絶する高熱との格闘の連続で困難を極め、多くの犠牲を伴う工事となった。
 その様をつぶさに小説化した吉村昭の『高熱隧道』はこのルートを歩く者にとっては必読ガイドブックである。
 工事では資材搬入時のボッカ(運搬人夫)の滑落事故、隧道掘削の発破作業の爆発事故、そして越冬期に襲われた泡雪崩と呼ばれる特異な自然災害による事故で3百人を超える死者を出している。それでもこの工事が完成を見ることになるのは日帝侵略主義による戦争を支えるための電力需要を確保する国家的命題に支えられていたことによる。今でいえばありえない労働環境や数々の法律違反を犯し、結果的に多くの犠牲者を生んだにも関わらずこの工事が完成したことはその社会的背景を抜きにして考えられない。
 また自然の脅威として越冬期の作業人夫宿舎を吹き飛ばした泡雪崩と隧道掘削における高熱の脅威に代表される、科学の知を越えた自然と人の戦いが、この小説を通して知られることになる。
 ボクらはこの理不尽な工事がもたらした膨大な犠牲と先人たちの知恵と度胸で培われた電力の恩恵に浴した高度成長期体験世代である。その礎に人知れぬ山奥の渓谷で行われた自然と人の想像を絶する闘いがあったことを知る。ボクは歩きながら、「これだから原発はやめられないんだなぁ」と呟いた。

なんとか山旅を終えて
 このルートは連れがずっと実現をあたためてきたもので、その強いおもいがなければボクは一生こんな所を歩くことはなかっただろう。下ノ廊下は立山連峰と後立山連峰の間に位置する渓谷であり、日本最大の豪雪地帯の最も急峻な谷間のため、雪解けから初雪までの間が非常に短く、かつ傷んだルート補修に時間もかかり、実質的な通行期間は9月の末から10月一杯ぐらいまでである。
 ルート上の唯一の山小屋である阿曽原温泉小屋の主人によれば、3年から5年に1度は年中通行できない年があるとのこと(2020年はコロナ禍で山小屋は閉鎖したがキャンプ場は開設された)。さらに秋口の日照時間は短く、行動時間も限られてくる。我々が信濃大町始発のバスに乗って黒部ダムに到着したのは7時頃であった。そこから約11時間ほぼ休みもなく、昼食も立ったまま済ませ、断崖絶壁からの滑落と落石の恐怖にずっとさらされながら山小屋に着いたのは日も暮れる午後6時過ぎであった。
 阿曽原温泉小屋はその名の通り温泉の露天風呂があるプレハブの山小屋で、冬期間はプレハブを畳んで小屋じまいをするそうだ。身も心も疲労困憊の登山者にとって小屋から歩いて10分ほど下った谷間にある露天風呂はこの世の天国である。しかしその脇には高熱岩盤帯を貫く隧道の横坑が地獄の入口のように今もその姿をとどめている。
 翌朝は山小屋からさらに下る水平歩道と呼ばれるルートを終着点のトロッコ列車の発着駅である欅平までを行く。確かに高度差はあまりないので〈水平〉という表現に異論はないが、この歩道は岩をくりぬいた岩壁のくぼみを歩くのでここにも針金の番線が所々に配置され、落下事故を防いでいる。年をとって足元が不安になった登山者は行ってはいけないところである。
 我々は好天の秋日和の一日目を終え、二日目は雨降る中、無事、欅平まで降りることができた。この旅の予習で『高熱隧道』を読み、旅から帰ってきて復習を兼ねて再読し、今回記憶を呼び覚ますためにまた読んだ。
 下ノ廊下をまた歩くことはないだろう。〈今だからできること、今しかできないこと〉を旅のテーマにルートを選んできた我々にとっては、最も過酷な行程であり、それを無事歩くことができたことは、これ以上ない幸運である。
 欲張りは禁物。『高熱隧道』という珠玉の歴史文学ガイドブックを開けば、下ノ廊下を探訪する〈記憶の旅〉を何度も体験できるのである。