『クスリ凸凹旅日誌』▶21話:あこがれの巴里から 列車に乗って

2018年11月12日~24日
パリ、ベルギー、オランダ
塩 幸子

パリ初日の早朝最初に行ったノートルダム大聖堂は朝日に映えて美しい姿を見せていたけれど、この半年後、まさか猛火に包まれる姿を見るとは…

「絵」を見て歩く旅なのだ
 喉が痛い。60代半ばに入ってこの頻度はました。風邪引いたのかなぁ? のサインはまず喉からだ。これを侮ってはいけない。しっかりキャッチして対応しなければ病院行きは免れない。
 秋の終わりにフランスベルギーオランダの旅をした。日本を出る前から喉に違和感を感じていた。とりあえず風邪薬を持参して自宅を出た。このちょっとの風邪気味は帰国するまで続いた。万全の状態での旅はそうそうない。
 釧路を出てその日のうちに成田まで行って一泊するか、都内に一泊して午前中に成田に行くか。どちらにしても釧路から成田経由なら国内一泊は必要だ。ヨーロッパへ発つ便は、ほとんど午後一だから一泊しなければ余裕がない。
 この時は午前中の羽田行きに乗り、汐留でジョルジュ・ルオー展を見て、夕方成田に着いた。空港で韓国に一人旅をしていた娘と待ち合わせをした。もう大人なのだから細かく色々とは言えないが、一人旅はやはり心配だ。無事帰国した娘の顔を見て、安心して旅に出られる。夕食を共にして別れた。
 翌日パリ行きの機内で、ここまでこれたとほっと一息だった。この旅行は完全に「絵」を見て歩く旅なのだ。最近はとにかく絵を求めて歩く。これに徹している。思いっきり会いたかった絵。超有名な特別な絵は判別がつく。でも、もうどこで目にしたかはどうも分からなくなってきている絵がたくさんある。テレビで? 雑誌で? 美術館で? このわからないのは何とも言えないやりきれなさだ。
 2泊するパリに着いた。ドゴール空港からパリ市内へのバスチケット購入に手間取っていたら30分毎のバスが行ってしまった。私はこういう時、しっかりショックを受ける。30分はけっこうな時間だ。次のバスでいいじゃないか。のんびり行こう、なんてならない。のっけから「順調」を壊されたかのようだ。しかし、あれだけのたくさんの人たちはどこに散らばったのか。バス停には数名しかいない。先に行ってしまったバスもスカスカだった。個人旅行の心細さ。団体旅行にない心配がうず巻く。
 高速道路を突き抜け走ったバスは人々がざわめく市内に入っていた。初めてだけど、「あぁ、来たな」と思った。うっすらと曇ったような、薄いベールが街全体をふわぁっと覆った雰囲気だった。古くて黒ずんだ壁の建物が人々の行き交う風景を穏やかに見せている。カルチェラタン。ここで宿を見つけるのに結構な時間を費やした。あたりはもう夕暮れだった。夕食は奮発して近くに日本人がオーナーだというレストランに予約をした。今一つの味であった。
 パリの朝はいつまでも陽が出ない。宿向かいのパン屋でコーヒーとパンの軽い朝食をとる。8時を回ってもまだほのかに暗い。意気込んで朝早くから動き出していた。今日はルーブルなのだ。宿から歩いてほどなくノートルダム大聖堂が見えてきた。セーヌ川を挟んで朝日を浴びている。なんて美しいんだろう。


 「2時間で上手く回れるルーブル」を何度もテレビで見ていた。しかし上手く回れるはずの順路はまるっきりダメだった。見どころは少し役立った。この巨大な美術館で夕方まで歩き回っていた。くたくたになった。宿から歩きっぱなしなのだから。
 次の日、知人の娘さん夫婦が営んでいるお菓子屋をモンマルトルに訪ねた。地下鉄を乗り換えて向かう。最初の地下鉄の駅構内で地図を見ながら確認していたら、若い男性が笑いながら声をかけてきた。〈スリ〉のあれこれの手口がいきなり頭をよぎった。私の驚きと緊張した顔を見て、彼はどう思っただろう。今でも気にしている。親切心だとすぐわかった。ちょっと目を上げると幼い姉妹がこちらを見ている。朝の通勤時、子供を送り、これから仕事へ向かうんだと見て取れた。連れが用意していた折り鶴をプレゼントして別れた。乗り換えの時も間違えないか見守ってくれていた目と合った。
 芸術家たちが昔、暮らしていたモンマルトルで店を探して歩いた。昨日の快晴は続かず、雲が空を覆っていた。サクレ・クール寺院は雲の中だった。ルノアールの「ムーラン・ド・ギャレットの舞踏会」の場所は思いのほか、こじんまりとしている。早朝、初冬のこの季節では観光客はまるでいない。やはり人がいて雰囲気が出るのだろうとつくづく思う。店を探し当て、チョコレート、オレンジピールのお土産を買い、お菓子を食べて、お持たせをいただく。「スリに気をつけてね」と声をかけられた。あらめてスリが多いんだと思いおこす。フランス語を客人とスラスラ交わす彼女を見ていた。よく覚えたね。
 凱旋門、オランジュリー美術館、ルーブル、オルセー美術館と次々とこなし帰路は歩いて宿へ。オランジュリーでは一部特別展があり、ポーラ・レゴの作品に惹かれた。帰国して調べたら80代の女性だった。現代感を含んだアートに力強さを感じた。ルーブルでは2日間券だったので、この日も足を運んだ。残念だったのはドラクロワの「自由の女神」、ダヴィンチの「岩窟の聖母」が外出中だったこと。そして「モナリザ」の微笑は、やはり一番。生を見たんだ! 違いを痛感。オルセーでピカソに見入り、特別ピカソ展は長蛇の列。常設だけで我慢だった。くたくたの早足回りのパリを終えた。明日からベルギーだ。

ベルギー・オランダ街歩き
 パリ北駅からベルギー行きの列車に乗る。下調べでは一番危ないベルギー。歩いてはいけない道もある。ここでは観光を終えてから、夕方宿に入ることにした。まずはコインロッカーにリュックを預ける。駅地下コインロッカーに人は誰もいない。怖い。コインロッカーが開かない。二人で悩んで色々試す。うまくいかない。男性が一人、コインロッカーに向かってきた。声をかけてみた。「私も分からない」とでも言ったのか? 叫びに近い大声が帰ってきた。怖い。コインの両替で近くにあった売店で水を買い求めた。「何なのヨ~」のむっつり顔で最後までしかめ面を維持の若い女性店員。これから向かう世界遺産のグラン・プラスまでの道のりが心配で、思いが崩れそうだった。
 世界一美しいと言われるグラン・プラス。広場を取り囲む建物も圧倒的だ。その中の王の家でブリューゲルの絵に突然出会った。連れは嬉しくて仕方なさそう。出会いを求めて楽しみにしてきた絵が出張中でショックな事が何回かあったが、こんな出会いもある。ベルギーではやはりワッフル。果物、生クリーム、チョコレートなどのトッピング。持病を抱えた私たちには禁断の食べ物だ。一挙に数値を上げるだろう。正統派のただのワッフルを食した。王立美術館でブリューゲルを堪能して宿に入る。いつもは三流宿が常だが、今日は宿ではなくホテル感満載。しかも新築のようだ。金額を事前に確認して予約しているので高額ではないはずだ。しかし夕食は向かいのスーパーで調達。翌朝一泊だけのブリュッセルを後にした。
 ブルージュまでのチケット購入。ヘントで途中下車する。ここでの目的の祭壇画までもう少しだ。駅前のトラム乗車場にいた私たちに、現地の老人が声をかけてきた。「街まで2キロ。歩いて30分」流暢な日本語だった。目的地に着いた。その通りだった。自分の言葉の力を試したくて日本人目当てにその場にいる様子だった。ヤン・ファン・エイク。油彩で絵画を革新したと言われる画家。15世紀、富を蓄えた市民に依頼された絵。「ヘントの祭壇画」。神の手を持つと言われたヤン・ファン・エイクの超驚異的な細密技法。だが薄暗い教会でガラス越しの中、はっきりと、しっかりとは見えなかった。来られたことに満足しなければならないようだ。名物の塩味がきついシチューを食して、再び列車に乗り込む。


 ブルージュに出た。ベルギーならブルージュへ行きたい。数年前からおもい続けていた。夕方、駅から歩いて宿に入る。旧市街、観光地の真ん中だった。観光用の馬車が走る様子を二階の窓から見た。馬の足音が心地よい。翌朝、明るさの中で見た街並みは錆びれていない建物が並ぶ。どうも観光客目当てに薄化粧をしたかのように見てとれる。倉敷の美観地区のようだ。美術館は十分満足だった。メムリンク美術館、グルーニング美術館を堪能した。今、思い出しても再訪したい美術館だった。2泊してブルージュを後にした。
 北上し、アントワープへ。アントワープと名付いた駅が3つ。その最後の駅で降りるのだが、間違うような駅名の付け方だ。北・南・中央と続く。こんなことすらドキッとする。アントワープ中央駅。息を呑む大理石の美だ。世界一美しいと言われる。鉄道の大聖堂と称されている。メインストリートを宿に向かって歩いているとユニクロが目に入った。連れはエッフェル塔で手袋を落としていた。ここで手袋ゲット。宿は大聖堂の真向かいだった。トイレ、シャワーが共同なのが残念。暮れていく中、2階の部屋から大聖堂を見上げる。翌朝、あのアニメ「フランダースの犬」で知っていたネロとパトラッシュのアートな像が後付けで大聖堂の前に設置してあるのを見た。なんだか釣り合わない。観光客向けが明らかなようだ。
 教会に入るとルーベンスの「キリスト昇架」「キリスト降架」。ルーベンス工場といわれる多作な作品の中でこの2点は感無量。
 翌日、マイエル・ヴァン・デン・ベルグ美術館へ。ブリューゲルの「狂女フリート」は出張中だった。この美術館の目玉作品なのに。連れは未だに文句を言う。目玉作品の出張はありえないと。地球の歩き方に載っていたパン屋さんをたまたまキャッチ。ぶどうパン、ゲット。ロッテルダムまでの列車での昼食だ。
 ロッテルダム駅から歩いて目的地のボイマンス・ファン・ベーニンゲン美術館に行く。ここではこの美術館のみでまた駅へと戻る。ブリューゲルの「バベルの塔」はまたもや出張中だった。駅に降りてそのモダンさに驚いた。この街だけ近代モダン建築が目立っていた。立ち寄った街は旧市街地がほとんどなのでロッテルダムは降り立った駅には旧市街は面していないのかもしれない。
 次の街デン・ハーグへ向かう。ここでは一泊する。夕方駅から暗い道を1キロほど歩く。宿の二階部屋に通された。古いが広くて暖かい。なんだか食堂、廊下あちらこちらに骨董らしきものが置かれている。楽しい。明日は朝一番でフェルメールだ。
 美術館へ行く道には人工池。オオバンやカイツブリがいた。日本と同じ種だ。マウリッツ・ハイス美術館。テレビで何度も見ている「真珠の首飾りの少女」「デルフトの眺望」そしてレンブラントの名作の数々。ゆったりとした時間が流れた。小さい美術館。このくらいがいい。しかも名画揃いだった。ここで見た絵は時間を経てもどこで見たか、はっきりと思い出せる。

とんでもないお土産
 旅の締めくくり、最後の街アムステルダムの駅は大きい煉瓦造りだ。東京駅のモデルとなった。駅前のインフォメーションで運河巡りの水上バスと二日間有効の交通チケットをゲット。対応してくれた初老の男性はテキパキとしていて、拙い連れの英語力を理解して、仕事バリバリできます、の感で気持ちがいい。さっそく水上バスに乗り込む。風邪の調子今ひとつで船の上で綿棒で喉を消毒した。辛い。街が平らだ。水際の建物の湿気対策はどうなんだろうと考える。カビが嫌いだ。
 トラムで宿へ。天井が高い。そして一応清潔感はある。だが石鹸、シャンプー、フェイスタオルが部屋に設置されていない。照明は小さくて手元がはっきりしない。なのに廊下は異常に明るく、大きな照明だ。ゴミ箱もない。2泊したがこちらが言わないとタオル交換はできていなかった。そして最後にとんだおまけを持ち帰ることとなる。
 翌日、朝食を済ませてトラムを乗り継いで国立ミュージアムへ。あーっ、広い。なんだか博物館もプラスした様相だ。フルマラソン残り5キロ最後の踏ん張りどころ。そんな思いで入り口に足を踏み入れた。レンブラント「夜警」。世界三大名画と言われている。大きい。人だかりができている。じっくり見る。レンブラントの自画像が私は好きだ。隣のゴッホ美術館に入る。やはり人が多い。今や印象派の大スターだ。もちろん好きな画家。「ひまわり」が1枚もない。ちょっとひっかかる。世界中の美術館に納まっているのか。沢山のゴッホの絵は観たものの、なんだかしっくりこない。他の絵に混ざって、ゴッホだ! と観るのがいいのかなと思った。
 王宮、アンネ博物館はお休みだった。帰路のトラムに乗る。ホテルの近くでトラムを降りる。ユダヤ歴史博物館が目に入る。結構しっかりした内容の博物館だ。アウシュビッツに送られた若い女性、シャルロッテのコーナーが目に入った。日本のデパートで彼女の絵の展覧会が催されていた。ガラスの中の展示品コーナーにチラシを見つけた。惹きつけられる絵だった。ポストカードを買った。才能はこうしてたくさんの人に触れられている。ユダヤのもっと生きたかった人々がここにいたんだ。
 翌日、オランダから帰国の途についた。最後の宿でとんでもないお土産をもらった。帰路の機内でなんだか痒い。赤い点々があっちこっちに出ている。釧路ですぐ皮膚科へ。正体は〈ダニ〉。でも連れは大丈夫だった。なんでぇ?
 この旅はもう「絵」まみれだった。汐留のルオーから始まり、帰国後、上野でフェルメール展。近年、人気のフェルメールは混雑予想で事前予約が必要だった。上野の美術館は対応する女性職員たちがラピスラズリ色の服で迎えてくれた。
 フェルメール・ブルーだ。