『クスリ凸凹旅日誌』▶24話:ガウディの偉大さと 出会う旅

2019年5月13日~23日
スペイン(バルセロナ マドリッド)、ローマ

サグラダファミリアの尖塔部の上から下を眺めると鳥の目です

芸術が溶け込んだ暮らし
 バルセロナを旅するにあたってアナロジカルな視点で釧路とバルセロナの類似性を考えてみた。外海に面した港町で、海鮮市場があり、最近はクルーズ船の基地として観光拠点になっているそんなマチ。そして個性的な建築物が観光資源になっているマチ。
 バルセロナのそれはいうまでもなくガウディである。一方、釧路地方には毛綱毅曠の建築物が11棟ある。バルセロナのガイドブックを見るとガウディ建築物で紹介されている主要な建築物も11棟であった。
 19世紀末に活躍したガウディの時代は、世紀末芸術のアールヌーボーの時代であった。スペインでもモデルニスモ(近代主義)と呼ばれる芸術活動の広がりのなかでガウディも活躍していた。このため街中にはガウディ以外の建築物も点在しマチの景観を形成している。 
 2020年9月、ボクは釧路の道立芸術館で行われていた「毛綱毅曠の建築脳」という展示会を見た。それは建築家の発想の根源となった日本の古事記や曼荼羅の世界から、現実の建築物という立体に作り上げていった建築家の創作プロセスを展示したものであった。しかし、ボクがここで書こうとしていることはガウディと毛綱毅曠の建築についてではない。
 屋外建築物であれ、室内の美術品であれ、我々の身の周りにあるアートの世界と我々の暮らしの関係性についてである。ヨーロッパに旅行して、特に感じることは芸術と触れ合う距離の近さである。抽象的な意味ではなくて、まさに近くで絵が見れて芸術を楽しむことができるということである。それは美術館や博物館や建築物を鑑賞する上での管理の問題であると同時に芸術と人の暮らしの距離感の問題でもある。


 日本の美術館や展示会では常に監視されているということを気にしながら作品と対峙する現実がある。国内の美術館で写真が撮れないことは常識である。この常識を特段問うこともなく、疑うこともなかったが、ヨーロッパの美術館で自由に写真が撮れるところが多いことに唖然とした。全てがそうではないが多くの美術館では自由である。監視員もそれなりに配置はされているがあまり堅苦しい感じはしない。
 フェルメールの名画が揃うマウリッツハイス美術館でボクは「真珠の耳飾りの少女」を幼稚園の子供たちと一緒に鑑賞した。それは絵を見る勉強の時間だったようで名画の前に子供たちが座り、先生が絵の感想を子供たちに聞いていく授業だ。同じことはアムステルダム美術館のレンブラントの「夜警」の前でも同じように授業が行われていた。この気取らない雰囲気と絵と鑑賞者との関係性を観ることも実物にふれる価値だとおもう。
 やっぱり小さい時から芸術に楽しみながら親しむことは重要なのだなぁと思う。マドリッドのプラド美術館とソフィア王妃芸術センターはいずれも館内撮影禁止であった。公立美術館のせいなのか、私立のテッセンポルセミッサ美術館は撮影可であった。ソフィア王立芸術センターの目玉はいうまでもなくピカソの「ゲルニカ」である。この名画の記憶は、作品を前に監視員と鑑賞者の写真撮影をめぐる攻防にあった。攻防には二つのパターンがあった。
 一つは撮影禁止は承知の上で、隠れてでも写真を撮ろうとする輩である。これは監視員と輩との、隠れたり、見つけたりの攻防が楽しい。もうひとつのパターンは確信犯である。堂々と写真を撮り、監視員に咎められ、それに反論し、議論するタイプである。言葉がわからなかったので議論の詳細は不明だが、なぜ写真を撮れないのか? その自由はなぜ制限されるのか? という問いに監視員も慣れているようで、公式の見解で反論しているようであった。
 ゲルニカという作品に出会う旅で得た体験である(もちろんゲルニカへの感動もあるがここでは省略)。こういうことも含めて旅の楽しみというんだなぁ。

 
 毛綱毅曠の展示会で撮影禁止の理由について、係員は、資料の貸出元の意向、表現物の著作権、遺族や所有者の了解の必要性などを述べ、撮影はお断りしていると答えた。毛綱毅曠氏が亡くなってまだ50年は経過してないので表現物は著作権フリーではないのだろう。保護されなければならない権利である。ボクも展示主催者を担ったことがあるので理解している。
 しかし、ちょっとそこまで厳格でなくてもいいのではというエピソードがあった。様々なドローイング作品や資料を閲覧しながらボールペンでメモをとっていたら、監視員の方が近づいてきて、トレイに入った鉛筆を使ってくれとの事。「なぜボールペンはダメなんでしょう?」 との問いに、「ボールペンのインクが飛んで作品に付着することも考えられるので、道立の美術館では全て同じ措置を取らせて頂いています」とのこと。
 これはギャグかコントの世界であった。ボクは神棚に祀られた仏画をお参りするような心持ではアートに親しむ気分になれない。さすがにこれにはついていけないとおもった。
 日本で行われる美術館でも監視員の人たちの存在が気になってゆったり鑑賞する気分になれない。もう少し肩の力が抜けた美術館や監視員が増えて欲しい。
 ボクの携帯の待ち受け画面はアムステルダム美術館で撮ったフェルメールである。小さい絵なので近づかないと撮れない。また、老眼のボクには眼鏡をかけなくてはカメラオブスクーラを駆使したフェルメールの技を鑑賞できない。芸術が生活に溶け込んでいる暮らしのバックボーンは一朝一夕でなるものではないが、今一度、日本の美術館関係者にも鑑賞の本質に立ち返って考えてもらいたい。 
 日本が全てダメなわけでもない。ヨーロッパの美術館は汚いところもあり、教会や由緒ある建築物にも落書きが目立ったりする。日本だとニュースである。
 バチカン美術館に「アテネの学堂」というラファエロの名画の部屋があって、そこに行った時、壁画の額縁に落書きを見つけた。イタリア人のツアーガイドにそれを指摘したら、英語でその落書きは昔からあって書かれたのは何年頃で…、と落書き解説をしてくれた。相手は筋金入りなのだ。
 いいところもあり、困ったところもあるが、それも含めて芸術が生活に溶け込んでいる様を知るが我が国においては観る側も監視側も互いにリラックスして鑑賞の雰囲気を作っていければと思う今日この頃ではある。

ガウディおそるべし
 話をガウディに戻したい。バルセロナでは有名なサグラダファミリア教会をはじめ、グエル邸、カセ・バトリョ、カセ・ミラ(外観だけ)そして郊外にあるコロニアグエル教会のガウディ建築物を見ることができた。
 ボクはガウディ建築物の多種多彩な素材、多様な表現に思わず「ガウディおそるべし!」と叫んだ。監視員は飛んでこなかった。
 芸術家としての偉大さについては様々な書籍、テレビ番組などでも紹介されているので、ちょっと違う角度から感じたことを記したい。
 サグラダファミリアは尖った尖塔部の付け根までエレベーターで上がることができる。入館料とタワーに登る料金も合わせると4000円で事前予約が必要である。普通、教会はただである。名画が揃うロンドンのナショナルギャラリーもただである。でもサグラダファミリアは建築中である。金が必要なぁ~んである。
 ガウディは晩年サグラダファミリア教会建設に没頭し、寝泊まりも工事現場でしたらしい。毎朝通っていた小さな教会から現場に向かう途中、市電に轢かれて死んだ。その時の服装があまりにみせぼらしかったのでガウディと気がつくのに時間がかかった、という逸話が残っている。建築途中だったため、仲間がガウディの意思を引き継いで、工事は続くがその後スペイン内戦や多くの戦火により建築図面や建築の資料は損失することになる。そんななかで今日までサグラダファミリア教会の建設が継続していることがすごいと思う。
 後に続く建築家や美術家や職人たちはガウディの意志を読み取り、想像し、形にしていく作業を続け、その意思を受け継いでいる。ガウディが生前手がけた「生誕のファザード」と呼ばれる正面側と、後に作られた反対側の「受難のファザード」や教会内部などは統一された表現というよりは、その時代、その時携わった人たちが自分たちなりのガウディを表現しているように感じた。そのことがとても面白い。
 塔まで上がると下の人たちが米粒のように見える。最終的には中央のキリストの塔も含め18の塔が完成の暁には建つとのこと。地上に降りると受難のファザードの入口扉は日本人の美術監督、外尾悦郎氏の作である。そこにはアヤメやヨシやそれに棲む蜂、カエル、トンボ、蝶などまるで釧路湿原の世界である。バルセロナで釧路湿原である。鳥の目と虫の目の世界である。


 サグラダファミリアの特異性の一つは納期である。ガウディの全体構想の実現を目指して現代の担い手たちは2026年のガウディ没後100年の完成を目指しているそうだ。しかし、それは現代建築物が必ず背負う〈時間の規制=納期〉とは違う。出来るか、出来ないかは神のみぞ知る。
 ガウディの建築物を見ていると細部に行き渡る職人の技を感じる。この建築は紛れもなく総合芸術の世界であろう。金物細工師の父親を持つガウディならではの職人との関係があったのかもしれない。ガウディがサグラダファミリアの現場で職人たちに残した言葉、「神は急いでおられない。明日はもっといい仕事をしよう」。
 サグラダファミリアを一言でいえば〈幸福な建築物〉である。様々な規制があって表現は成立する。制限や規制は必ずしもマイナス要因ではない。でも世の中に一つぐらい納期も規制もなく、いつできるとも決まらない建築物があってもいい。
 幸福とは幸福を目指す過程に存在する。
 工事中のクレーンや忙しく働く作業員たち。タイルの修復に当たる職人たち。ボクが生きている間にサグラダファミリアが完成したらどんな気持ちになるのだろう。完成したサグラダファミリアを見にまたバルセロナに行きたいと思うのだろうか? 
 ボクは少し寂しい気持ちになるのではないだろうか。そして、工事現場と聖なる空間が渾然一体と入り混じった〈あの日のサグラダファミリア〉をきっと懐かしむことだけは間違いないようにおもう。