『クスリ凸凹旅日誌~24の旅のカタチ』▶あとがき

全24話+随想6話、掲載終了します。お読みいただきありがとうございました。

トレイルは続く

 いろいろなことを考えつつ家を空ける事となる。
 今ではすでに90代に入って老人ホームにいる母二人。持病を持ってグループホームに住む妹。義理の母は心配事はとりあえず、兄夫婦が近くに住むので安心だけど、私の方は頼りになるのは私だけなので、母と妹は私以上に無事の帰りを待っている。
 おおよそ連れは、私のこの心配事とは無縁の人に感じる。楽しむことについてはいつも一杯の様子だ。嫌味ではなく、楽しめる「力」に凄味を感じている。末っ子で幸せに育ったんだと思う。私は長女で様々な家庭の事情を見て育った。そして抱えている。
 家を空ける時は、重たいリュックと、重たい想いを背負って旅に出る。道中、頭を離れない。楽しむとは、きっと様々な事をかかえて対応しなければならないのは、誰もが同じなのだ。
 そんなこんなで留守をする私の気持ちのサポートをいつもしてくれる亡弟の連れ合い信子さん、娘の弓喜子、ありがとう。
 そして母、妹にありがとう。待っていてくれる人がいるから、帰るという事が大切になる。
(幸子)

 コロナ禍のなか新生活様式というのが提唱されている。北海道も「新北海道スタイル」といわれるライフスタイルで、これまでの我々の日常生活にも変化が促されている。
 時が経てばまた〈あの時〉のように生活を楽しみ旅を楽しむことができるだろうか? 〈あの日常〉を我々は取り戻すことができるのだろうか? 〈あの刻〉のように異国を旅することはできるのだろうか? その答えは誰にもわからないようだ。世の中は〈あの日〉に見切りをつけて、〈これからは〉にシフトしているようだ。しかしボクは記憶の旅を振り返り、今の自分達が置かれている状況を確認しつつも、未来への期待は萎むことはない。
 これからどれほどの旅が実現できるだろうか? ひょっとしたら、ひとつもできないかもしれない。それでもいいのだ。
 ボクの旅文化は〈空間〉だけでなく〈時間〉も旅をするなかに包含されている。だから記憶の旅も、現場で起きてる旅も、これから実現を期待している旅もすべて〈旅〉である。
 幕末の蝦夷地探検家・松浦武四郎が晩年、全国を旅して歩いた寺社仏閣から91個の木片の部材を取り寄せ、離れに一畳の庵を作った。一畳敷である。現在も国際基督教大学の敷地内に遺っており、同学の文化祭の日にだけ公開されるそうだ。ボクはまだ見ていない。1日60キロメートルを歩いたという伝説の男の到達点のひとつが一畳の畳であったことにボクは感動を覚える。
 ここには空間としての旅だけではなく、時間としての旅の記憶が内在する。その記憶を呼び覚ます91の木片がある。拡大から縮小へ。マクロからミクロへ。歳をとり、歩くこともままならぬ状態でも人間の可能性は残されている。
 方向を間違わず、身の丈のスピードで歩いている限り、トレイルは続いている。 
(博文)