風土に紡ぐ物語《旅する阿寒》①
北大通を見おろす幣舞公園に松浦武四郎蝦夷地探検像が建立されている。
幕末の蝦夷地探検家で、北海道の名付け親ともいわれる武四郎とアイヌ案内人の銅像だ。こじんまりとしているが、凛々しい。アイヌ案内人は、これから向かう遠い阿寒の山並みを指さし、武四郎は野帳を手に、その表情には未知への期待と異郷の地へ赴く緊張感が漂っているように見える。
昭和29(1954)年早生まれの私は、釧路生まれの釧路育ち。国鉄マンの父は浪花町の鉄道官舎住まいから、マイホームを当時の新興住宅地である松浦町にもとめた。私が小学校に上がる前年だった。
松浦町は、昭和7(1932)年7月に実施された釧路市字地番改正の際につけられたものだが、命名理由には「今より76年前松浦武四郎は不毛の久寿里場所即ち此町の如き泥炭地たりとも東蝦夷地第一の都会たるべしと絶叫したるは超達見として敬意を表すべきである此の因縁を記念の意味に於て松浦町と命く」(釧路市ホームページ『釧路郷土史考』引用)とある。「絶叫した」とか、「超達見」とか、相当思い入れの強い表現だが、武四郎の釧路(当時は「クスリ場所」と言った)に対する評価はすこぶる高く、釧路人の郷土愛を刺激するに十分であった。
さて、昨年、還暦をむかえた私は、長年勤めた釧路市役所を退職し、自然案内ガイドとして再出発した。もともと自然好きで、趣味も登山や野鳥観察等々。また、職員のとき一番長い期間勤めた部署が観光部門であったことも影響している。
釧路市は平成17(2005)年に、阿寒町、音別町と合併し、新生釧路市として再出発したのだが、私は、合併をはさんで、釧路で8年、阿寒で3年、計11年間、この地域の観光行政にかかわることになった。
平成21(2009)年からは、阿寒の観光部門勤務で阿寒湖温泉単身赴任勤務となった。この年になって、「第二の故郷」が出来たことは、望外の喜びとなった。
合併時に新生釧路の新しい観光ポスターをつくった。最後の最後まで、キャッチコピーが決まらず難儀していたとき、阿寒の関係者が「釧路という異国」という数点の候補のなかではもっとも人気薄だったコピーを押した。私も最初から、「どうも陰気なイメージ」と感じていたが、推薦者は、釧路と阿寒のそれぞれの既存イメージを超えたところをアピールしたい、それには、国内にあって、どこか異国を感じさせる道東のイメージを打出したい、という主張が皆を納得させたのであった。
異郷を旅する。少々脱線するが、「旅」と「旅行」の違いについて考えることがある。観光行政に携わっていると、業界用語が身につく。「周遊観光、団体旅行から、滞在観光、個人旅行へ」は昨今の観光業界定番表現である。「旅行」には、予定や行動範囲を設計し、必然的な感動を用意するという、業界的なところがあるが、「旅」には、道草や偶然性のなかで得る、即興的な感動が期待され、未知であるがゆえに、刺激的というニュアンスが強い。
私は、根は臆病で慎重ではあるが、「旅」派である。メインストリートより、わき道に惹かれる。そんな私にとって、阿寒湖温泉への単身赴任は、まさに釧路にあって、釧路でない異郷への旅であり、未知との遭遇、日常性に閉ざされた私の感性を刺激してくれるのでは、との予感に満ちたものであった。
松浦武四郎は、幕末の1845年から1858年の間、6度にわたって蝦夷地の探検をしている。このうち、3度、釧路に立ち寄っている。釧路は縁のある地なのである。6度の蝦夷地探訪の内、後半の3回は、幕府の雇われなので、いわば調査出張旅行だ。特に最後の1858年には内陸部を中心に全行程203日、そのうち釧路・阿寒をはじめ道東の旅は23日に及んだという。このとき、武四郎一行は、釧路から阿寒湖の間を4泊5日かけて、つぶさにこの風土を記録している。出張なので公務目的は、蝦夷地の資源調査や開発の可能性、地形地理調査などであったが、武四郎は公務をこえて、同行したアイヌのローカル情報もふんだんに取り入れ、アイヌ地名採取やアイヌが置かれている苦境の聞き取り調査もしている。公務員の出張は、必要以外の用務や街に立ち寄るのは厳禁であるが、武四郎は、禁断の公私混同・異郷の領域に大胆に踏み込んだ旅人であった。
さて、釧路に生まれ、松浦町に育った私は、結婚後、幣舞町で暮らし、通勤路は出世坂、子どもとの散歩は幣舞公園という時期を過ごした。そして、時は過ぎ、釧路から阿寒湖温泉へと転勤。とてもというほどではないが、少し、もしくは軽く、私は武四郎と縁があったとおもっている。武四郎にとっての4泊5日の釧路阿寒紀行と、私の60年にも及ぶ歳月の旅路が重なってくる。
人は自らの意思で移動することが可能で、それを空間軸に広げれば「旅行」、時間軸に広げれば「旅」、というのが、私にとって、もう一つの「旅行」と「旅」のイメージの違いである。人生が旅にたとえられる所以である。人生という誰もが体験する旅のステージではそれぞれが主役であり、その旅先は私たちを支えてきた風土という舞台そのものである。人と自然が織り成す故郷の変化や先人達のおもいは、風土のなかにたたずんでいる。
人が旅するように、故郷も旅する。そんなおもいがよぎる。
武四郎とアイヌが歩いた風土と私たちの時代の風土にはどんな違いがあるのだろうか。
変わったものは何か、変わらないものは…。
加齢のなせる業とおもうが、時をかける中高年は、時間の旅人である。昨日の出来事は忘れるが、昔の事柄はよく覚えている。速く走れないが、ゆっくり歩ける。周遊型から滞在型へは、時代のトレンドではなく世代のトレンドである。
故郷の歴史と自分の経験を重ね、旅の体験をとおし、風土に紡ぐ物語をひと月一編啓上したいとおもっている。ご贔屓に。
クスリ凸凹旅行舎 代表 塩 博文