「極東野鳥ノート」カテゴリーアーカイブ

第十一巻 ④武四郎は水夫となって…

【第十一巻】落石から納沙布まで
バードウォッチャーは極東を目指す

扉写真は国後島の島影。上は武四郎の千島探訪を描いた関谷敏隆さんの絵本「北加伊道」

▶武四郎は根室を自身初めての蝦夷地探訪であった弘化2年(1845)、4回目の安政3年(1856)と最後の6回目の安政5年(1858)に訪れている。これに加え、嘉永2年(1849)には、江戸幕府大老井伊直弼の御用商人だった場所請負人の柏屋喜兵衛(近江商人)の長者丸という船に乗り、色丹島、国後・択捉島を探訪している。この時は箱館を発って、ユルリ島にも立ち寄ってるので、これも加えれば、根室地方には4回来訪していることになる。
▶この千島列島への航海で武四郎は、船に水夫の身分で乗り込み、国後島や択捉島の山川や岬の様子、そして様々な野鳥や魚、動物などをアイヌの案内人と一緒に観察し、日誌に記録している。
何十万羽のハシボソミズナギドリが海面を群飛び、イルカやクジラ、エトピリカ、サケ・マス、昆布、クロテン、カワウソ、ラッコ等々、豊富な自然資源がこの地に溢れている様子が伝わる。これらの生物は博物学的視点と物産品という見方で捉えられており、『蝦夷訓蒙図彙』や『蝦夷山海名産図会』などの著作で紹介されている。
武四郎をこよなく愛する絵本作家の関谷敏孝さんは『北加伊道~松浦武四郎の蝦夷地探検』に型染版画という技法を使って、この時の探検の様子をメインに描いている。


▶現在、根室の代表的な観光資源は何と言っても北方領土を見渡す納沙布岬と花咲ガニに代表される豊富な魚介類のグルメであるが、これに野鳥観光とともに〝日本百名城〟に選ばれた「根室半島チャシ跡群」が加わった。チャシはアイヌの史跡で、戦いの砦、祭祀の場、見張り場など多目的な用途に使われた場であるが、根室半島には32箇所もある。道内では松前城とともに日本百名城に登録され、このお城巡りが新たな観光資源となっている。
▶野鳥とお城とはなんとも不思議な取り合わせだが、同時に両方の魅力を味わえるおすすめの場所を紹介したい。
納沙布岬から北側を根室市街に2㎞ほど戻ると温根元という小さな漁港がある。ここに温根元ハイド(観察小屋)とヲンネモトチャシがほぼ並んで岩崖の突端にある。ハイドからは眼下に広がるオホーツク海と岩礁の周辺を漂う水鳥や、岩の上に佇むオオワシなどが観察できる。珍鳥チシマシギの観察例も多い。
ヲンネモトチャシは百名城に指定された「根室半島チャシ跡群」の一つで、アイヌのチャシ跡から遠方の知床半島や北方領土を眺め、古の蝦夷地の面影を偲ぶ心持ちになる処だ。厳冬期には氷上を渡って先住の民たちは移動したのだろうか。



▶海外のお客さんを案内して、野鳥や観光資源を紹介することはある程度できるようになったが、宿泊した宿でのアフター5にボクも武四郎の探検やアイヌ文化を紹介する魅力的なお話しと、それを伝える語学力をなんとか身につけたいと思っている。
現在、国や北海道が力を入れている海外からの誘致策は、アドベンチャー・ツーリズム(略してAT)だ。ATは、アクティビティ(体験プログラム)、自然資源、異文化体験の3つの要素がが備わっている観光の形なのだそうだ。北海道の魅力を活かしたツーリズムである。
道東はまぎれもなくその適地ではあるが、その活かし方についてはまだまだ工夫と開発の余地があると思う。そのヒントを求めて、この地を紹介した武四郎の旅行記『納沙布日誌』でも携えながら根室にバードウォッチングに出かけたいなぁ、と思う。
冬将軍の到来と冬鳥たちの飛来の知らせを聞く。あの荒涼とした大地とモノクロームな海原を見つめながら、北からの風に身をまかせたい心持ちになるのである。(終り)

ノッカマップ周辺の断崖に佇むオオワシ。背景は流氷押し寄せるオホーツク海と知床半島。

第十一巻 ③ネイチャーツアーの適地~2

【第十一巻】落石から納沙布まで
バードウォッチャーは極東を目指す

扉写真は世界のバードウォッチャー憧れのオオワシ。上の写真は単眼鏡で望む国後島のロシア正教会。

▶納沙布岬に立つと目の前に根室海峡、その背後に歯舞・色丹・国後の島々が見える。少し目線を右側に振ると、そこはもう太平洋。いつも、根室海峡は太平洋なのか、オホーツク海なのか、疑問に思っていたが、どうやら区分としてはオホーツク海域に含まれるらしい。
根室半島の特徴をひと言でいえば「特異な自然文化エリア」ということになるかもしれない。野生動植物だけではなく、北方領土や知床半島、そして大海原の景観眺望、アイヌや先住民文化に彩られた史跡等々、根室は多彩なウォッチングエリアである。
ボクは野鳥ガイドで根室に行くことが多いので、おすすめのバードウォッチングサイトを紹介したい。


▶落石港からはネイチャークルーズが運航している。6月から7月にかけてエトピリカの繁殖シーズンにはユルリ島周辺で、このアイヌ名が標準種名になっている麗しい鳥に出会えるかもしれない。もう1種類アイヌ名が種名になっている鳥がケイマフリである。ケイマフリ(kema-hure足が・赤い)は、真っ赤な足をしている。ケイマフリは冬羽と夏羽が大きく変化するので年中運航しているこのクルーズは〝とことん野鳥ファン〟にはありがたい。ただ小さな漁船を使っているので波が高くなると欠航するという、〈自然との折り合い〉に付き合わなければならない。
港めぐりはイコール水鳥めぐりである。花咲港は根室半島最大の漁港であるが、野鳥を見るのにも適している。ボクは市職員時代8年間、釧路港の管理の仕事をしていたので、港のことに関しては少々詳しい。それなりの大きさの港は一番奥まったところに船揚場という船舶修繕のための引揚施設がある。船を揚げるので海底から斜路が引かれている。このため浅い水際があるので、水草を求める淡水ガモは船揚場の周辺に集まる。


▶港の岸壁はそれぞれ水深が微妙に分かれているが、通常は港の出口側が深くなっている。潜水して魚を餌にしている海カモ類はこのエリアに集まる。同じカモ類でも警戒心が強い鳥は、出口周辺から港の外にいることが多い。防波堤に上がって港の内側と外側を単眼鏡から眺めているとそれぞれの鳥の好みの場所がわかる。古くからの自然地形を活かして出来た港は、たいがい海にせり出した岬の入江に造られるので、港の脇に断崖や岩場がある。花咲港の横にも岩場があり、冬にはオジロワシやオオワシ、ハヤブサなども見ることがある。ただ港は産業施設なので、立ち入り禁止区域やトラックなどの車両が行き交うので、十分注意が必要だ。
▶納沙布岬には灯台の先にハイドが設置された。現在の我国領土内でいえば、最東端の駅が東根室駅。最東端の工作物がこのハイドである。ここでは海峡を行き来し、国境を自由に往来する海鳥たちを観察することができる。
ラッコやアザラシなどに出会うこともあるし、通常は外海でネイチャークルーズで見る機会のあるアビ、オオハム、ウミガラスなどを観察できる。渡りの季節だと海鳥ファンにはたまらない鳥見スポットである。
お客さんを案内するときは双眼鏡はもとより、単眼鏡は必需品である。単眼鏡で鳥だけでなく北方領土のウォッチングも根室ならではである。貝殻島の灯台は有名であるが、国後島のロシア正教会なども見ることができる。

「寛政の蜂起和人殉難供養碑」(納沙布岬)


▶足元に目を移せば、納沙布岬にはいろいろな碑が建っている。ひとつだけご紹介すると「寛政の蜂起和人殉難供養碑」がある。
寛政元年(1789)「クナシリ・メナシの戦い」で命を失った和人71名の供養碑である。誰が作ったのか不明だが、墓碑には文化9年に作られたとされている。この碑は明治45年に納沙布の近くの珸瑤瑁港で発見され、現在の場所に設置された。墓標はほとんど読めないが『寛政元年五月に、この地の非常に悪いアイヌが集まって、突然に侍や漁民を殺した。殺された人数は合計七十一人で、その名前を書いた記録は役所にある。あわせて供養し、石を建てる』と記されているそうだ。「非常に悪いアイヌが…」というところが起因してると思っている見方と、一方、解説板を設置している根室市教育委員会は「やむなく蜂起し…」と書いている。
このクナシリ・メナシの戦いで蜂起したアイヌは、その後、松前藩により鎮圧され、ノッカマップ(根室半島の北側オホーツク海沿い)で蜂起に関わったアイヌ37名が処刑された。
毎年アイヌの人々によってノッカマップでカムイノミが行われている。阿寒のアイヌコタンから参加している仲間に聞くと、ノッカマップの後、納沙布岬のこの碑でもカムイノミを行うそうだ。16㎞先の国後島と、眼前の供養碑の解説に目を凝らし、歴史の遠近法で古のアイヌと和人、そしてロシアとの関係性に思いを馳せるのも根室ウォッチングの魅力の一つである。(続く)

第十一巻 ②ネイチャーツアーの適地~1

【第十一巻】落石から納沙布まで
バードウォッチャーは極東を目指す

扉写真は納沙布岬に寄せる流氷。上の写真は根室バードウォッチングフェアの会場。

▶特徴的な出来事の一つを紹介したい。釧路港に限らず北海道の港に大型客船が来航するようになって各地の港では「これからはクルーズ客船」とばかりに誘致活動に力が入っていた。ある日オーストラリアの旅行代理店の社長が来釧し、会いたいとのお誘いを受けた。
この会社は世界でネイチャークルーズのツアーを催行しており、南極や中南米、北極海などのツアーをおこなっている。社長曰く「極東の北海道からアリューシャン列島のベーリング海にかけてはネイチャークルーズの最後に残された適地」とのことで、計画は釧路港を出港し、北方領土を北上し、カムチャッカ半島のペトロパブロフスクカムチャツキーまでの往路便と、折り返しの復路便の2回のツアーであった。参加者は各々出発地に集合する。
世界でネイチャーツアーを実施している現場の人から見ると、道東は、極東の手つかずの自然を活かしたツアーの発着地としての魅力を備えているということになる。
▶北方領土からアリューシャン列島に繋がるエリアには、本道では珍しいラッコやエトピリカが沢山生息し、〈アリューシャン・マジック〉というナガスクジラが集結するホットスポットがあったりする。
クルーズ船誘致の経済効果からみれば、寄港地より発着港の方が圧倒的に効果大である。北半球のクルーズの有名な出港地といえばカナダのバンクーバーであるが、世界から参加者はバンクーバーに集合し、カナダの自然を楽しんでからアラスカクルーズを満喫し、横浜港などで解散となる。


▶オーストラリアで初めて無酸素エベレスト登頂の記録を持つクリント・イーストウッド似の社長は「使う船はロシア船籍で、旅行代理店はオーストラリアなので北方領土は問題ない」と言っていたが、実施直前オーストラリアの日本領事館から、日本を出港し、北方領土でロシアの入管手続きをとることは日本政府としては好ましくない旨の要請を受け、〈釧路港から樺太のホルムスクに寄港し、ロシアの入管手続きを受けた後、カムチャッカに向かう〉という変更案でツアーを行うという情報が入った。
ボクは観光振興室で日本の受け入れ対応を実施する大手旅行代理店のランドオペレーターとともに、歓迎手続きや出港前の道東の日帰りツアーをサポートした。大きな船ではなかったので乗客は2百人前後だと思ったが、ほとんどが釧路港出港の数日前に、世界各地から釧路に入ってきて、釧路湿原や根室方面の自然を楽しみ、それから乗船し、釧路港を出発した。
世界のネイチャークルーズを複数の旅客船で運航している会社だけあって、航路のGPS情報をネットでライブ配信していた。どの船が今、どの海域を航行しているかがマップで一目瞭然であった。
ボクは船を見送った後、このネットをチェックしていたところ、船はホルムスクには向かわずいきなり色丹島に向い、北方領土沿いに当初の予定通りのコースを辿った……。(続く)

第十一巻 ①英国で野鳥の宝庫をPR

【第十一巻】落石から納沙布まで
バードウォッチャーは極東を目指す

扉写真は納沙布岬に寄せる流氷。上の写真はブリティッシュ・バードウォッチング・フェア(BBWF)の釧根ブースで解説する筆者。

▶ボクは根室観光協会の会員である。何故、釧路のボクが根室なのか。事の成り行きは以前の職場であった釧路市役所の観光振興室に遡る。
ボクはインバウンド誘致の仕事をしていた。21世紀に入って誘致は本格化し、台湾・韓国・香港をメインに団体観光客がチャーター便を使って道東地方にやってきた。〈2001年宇宙の旅〉ならぬ〈2001年道東の旅〉である。
観光客のほとんどは釧路・阿寒・川湯・知床という、いわゆる温泉観光地の滞在が中心であった。誘致を担ってきたのは、官民連携で空港の国際化を推進する釧路空港国際化推進協議会という組織である。メンバーには根室管内の観光関係者も含め、道東一円の自治体や経済団体も加盟していた。
ボクは誘致担当だったので航空会社や旅行代理店の関係者を根室、中標津などにも案内し紹介していたが、お客さんの方はやはり有名な温泉地に惹かれていた。あまりにも誘致実績に格差があったので何とかならないものか、と思案していたところに、ANAの在英国旅行代理店の新谷耕司社長が釧路市の観光振興室に英国からはるばるやってきた。
▶新谷さんはヨーロッパ駐在の日本人を中心に諸外国向けのツアーを企画催行している会社の責任者であった。同時に、とびっきりのバードウォッチャーで、道東には何度も足を運んでいる熱心なバーダーであった。確かに根室・釧路は日本で記録された野鳥約6百種の内、350種ほどが観察されている国内のバーダーには知れ渡った〝野鳥の楽園〟である。
氏曰く「道東の探鳥地としての魅力をヨーロッパや世界のバードウォッチャーに紹介したい」。その熱意は並々ならぬものであった。バードウォッチャー誘致であれば、一般観光客がこれまであまり足を向けなかった根室や野付、羅臼と、釧路のタンチョウも併せて道東のネイチャーツアーの魅力を発信するには好都合。協議会も何とか説得し、これまではアジア圏の航空会社や旅行代理店にプロモーションするのがメインだった活動の中に、英国での世界最大のバードウォッチングフェスティバルであるブリティッシュ・バード・ウォッチングフェア(以下「BBWF」)への参加が盛り込まれた。

BBWFは世界最大のバードフェアで世界から誘致に来る地域、代理店をはじめ芸術・文化・保護活動の団体など約4百のブースに旅行関係者から一般市民まで集う。


▶近年、道東のネイチャーツアーの魅力は世界的に評価されてきている。アドベンチャー・トラベルの誘致も進められており、にわかにネイチャーツアーのデスティネーションとして欧米の旅行代理店やツーリスト達にも注目されてきたが、その先駆けとなったのはこのBBWFへの参加であった、とおもっている。
BBWFには2005年から出展し、ボクも最初の年に参加した。しかし、釧路空港国際化の主軸は東アジアのチャーター便誘致だったので協議会が中心となった参加はできなくなった。
けれどもこの活動は、根室を中心に道東の自治体や霧多布湿原トラスト、釧路市タンチョウ鶴愛護会などの民間団体が参加し、10年間続けられた。
この間、新谷さんの筋金入りぶりはパワーアップ。ANAを早期退職し、なんと根室の観光協会に就職。根室に単身赴任となった。観光協会では探鳥地としての受け皿の魅力をアップするために、観察小屋(ハイドという。hideは「隠す」という意味)の設置や、海洋クルーズの運航開発、根室バードランドフェスティバルの開催等を手がけた。ハイド作りは本場英国から図面を取り寄せるこだわり。冬鳥観察が最適な真冬に根室を訪れたい方にとって、身を切る寒さの中で野鳥観察をするのはそれだけで試練だ。観察小屋ができたことで自分の身を寒さから守るとともに、野鳥にも無用なプレッシャーを与えない、そういうバードウォッチングの本格的な楽しみ方ができるようになった。現在、根室には半島各所に5箇所のハイドがある。
クルーズは落石の漁業協同組合と協働し、一次産業と三次産業の連携事業として地域振興にも貢献した。年間クルーズ利用者は、コロナ禍の前では半数以上が海外からのお客さんという盛況ぶりで、成果も着々と上っている。(続く)

根室市民の森ハイドで快適にバードウォッチング

『クスリ凸凹旅日誌』▶5話:飛んで、飛んで、 ワールドプロモーションの旅

2005年8月17日~24日
英国(ラットランドウォーター ロンドン)

ブリティッシュ・バード・ウォッチング・フェア(BBWF)は英国ラットランドウォーターで開催される世界最大のバードウォッチャーのための旅行博。釧根連携で出展しました。


ナンバーワンよりオンリーワン
 ANAヨーロッパの社長であったNさんが観光振興室に来られたのは確か2003年であった。Nさんは東北海道の自然資源のポテンシャルの高さを評価し、中でもバードウォッチングが世界的に見ても有望な観光資源であることを強調した。
 彼自身勤務地のロンドンで在住日本人を対象としたバードウォッチングツアーを販売した実績もあり、一方で自らが熱烈なバードウォッチャーとして道東を何度も訪れている経験をお話しされた。自分自身の経験知がビジネスの可能性を拓く、言わば〈好きこそものの上手なれ〉を地で行くような人であった。ボクも自宅の小さな庭に餌台を置いて家族で始めたバードウォッチングがファミリーブームとなっていて、公私混成の観光振興にちょっと胸が踊った。


 Nさんの観光開発理念はナンバーワンよりオンリーワンに集約された。野鳥観察は日本だけでなく世界のバードウォッチャーにとっても、この地域が魅力的なデスティネーションになることをNさんは自らのバーダーとしての経験と、旅行エージェントとしての経験を重ね合わせて、この地域の可能性を確信しているようであった。
 合理的な説明と共に、具体的な提案もされ、さすが第一線のビジネスマンはかくありとおもわせた。提案とは、英国で開催されているブリティッシュ・バード・ウォッチング・フェア(以下BBWF)への地域としての参加であった。当時、インバウンド観光誘致の主体は釧路空港国際化推進協議会が担っていた。官民一体の団体ではあったが釧路市がその事業費の大宗を担っていたため、会員であった根室管内の自治体にとっては釧路空港国際化のお付き合い程度の協議会だったのかもしれない。
 しかしアジア圏のチャーター便誘致が本格化し、海外の旅行関係者を地域に案内する機会が増えてきた折り、会員である根室管内も不公平がないようにと紹介するのだが、アジアの団体旅行客ツアー行程の中には根室管内は全然含まれなかった。
 地域側も温泉地がない点もあり、仕方がない諦めムードもある中、Nさんのこの提案は、この地域に眠っていた潜在的な国際観光資源の可能性を開いた。

いざ、バードウォッチングの本場へ
 早速、釧路と根室が中心となってBBWFへの出店準備が進められたが、そこでもNさんのビジネススキルは遺憾なく発揮された。世界最大のバードウォッチングフェアである BBWFへの日本からの出展はニコンやコーワなどの光学機械メーカーのみで、旅行代理店にとってはノーマークのフェアであった。 
 しかし中南米のコスタリカを始めエコツアーが注目され、欧米のネイチャーツアー市場にとってバードウォッチングツアーは、それなりの市場規模を持つに至っていた。
 英国のバードウォッチング人口は約300万人といわれ、人口が6千万人強なので20人に1人はバードウォッチャーであった。BBWFはRSPB(英国王立鳥類保護連盟)と会場になっているラットランドウォーターという地域のトラスト団体が主催者であった。ちなみに、我が国最大の自然保護団体である「日本野鳥の会」が会員約3万人ほどの時、RSPBは約60万人の会員を有していた。 


 BBWFは観光のみならず、鳥文化全般に関わる人々が集まるフェアであった。世界の探鳥地として可能性を秘めた地域の政府機関や自治体、イギリス国内の旅行代理店、そして世界を代表する光学機械メーカー、書籍、バードカービング、音楽、絵画等々。鳥に拘る国際文化祭という趣であった。
 巨大なテントが何張も設営された屋外フィールドに大小合わせて4百以上のブースが出展される規模であった。人気のあるフェアのため、出店希望者は既に2百件以上の出展待ちがあった。Nさんは主催者と掛け合い、極東地域からの出店を待望していた主催者とも話がつき、我々はスキップして参加が認められた。
 開催期間の3日間の間、我々のブースには一般のバードウォッチャーはもとより世界から出店してきた政府機関や自治体の人たちも入れ替わり立ち替わりやってきた。口々にタンチョウやオオワシのことを尋ね、改めて東北海道の魅力を評価する人が世界にいることを実感した。
 我々も他のブースに出向き、イギリスの旅行代理店にはツアーの誘致を促し、中南米やアフリカのブースでは来客者に振るまわれる食べ物やワインを頂いたりして、お互いちょっとした国際交流の場でもあった。

フェア参加が地域にもたらしたもの
 BBWFへの出店は我が国の政府機関や観光団体にも北海道のネイチャーツアーの可能性を認知せしめるとともに、アジア圏一辺倒であったインバウンド誘致に新たな方向性を見いだす先鞭となった。
 しかしながら釧路空港国際化推進協議会の基本戦略はチャーター便の誘致だったため、協議会としては2年間この事業に関わったがそこで釧路の参加は撤退となった。担当者だったボクとしてはそれでは済まない、と思い継続の意思を示していた根室市とともに阿寒町(合併前)、鶴居村、浜中町の管内自治体や民間団体、個人に働きかけ、結局、BBWF参加は以降、10年間地域連携で継続実施された。
 その間にNさんはANAを早期退職され、根室に移住を果たすという本気度を我々に見せ付けた。根室観光協会に籍を置き野鳥観察施設であるハイド(hyde)の建設、漁業者と連携し落石クルーズによる海洋野鳥観察ツアー開発、国際野鳥ガイドの人材育成事業等々この地域の受け入れ態勢の土台を作った。


 ボクも役所を退職した後、自然ガイドという仕事を選んだ理由はこのBBWFへの参加やNさんとの出会いがその原点になっている。当時会場で英国バーダーのリクエストにあったのは「日本に是非行きたいが、ガイドを紹介してほしい」というものであった。そしてそれを実現するためには大きなハードルが我々にはあった。
 ネイチャーガイドが自家用車を移動案内手段に使う上での合法的措置。 
 日常会話・野鳥観察の専門用語を習得したガイド養成。顧客・ガイドも含めた保険対応等危機管理支援など。当時から、そして今もなお解決していない問題を抱えている。ボクが問題解決にどれだけ寄与できるかはわからないが、その一端を担うのがネイチャーガイドを目指した理由でもある。
 この地域の世界に通用するオンリーワンの観光資源が豊かで多様性にあふれた自然素材であることは間違いないと確信している。そのなかで、ネイチャーガイドが観光プレイヤーの一翼として認知され、地域の雇用にとって可能性を広げることがボクのミッションと自覚している。その意味で、BBWFはこれからの道東観光誘致のベースになった旅であった。  

釧根のスタッフとNさんの会社の方、そしてボランティアで支援してくれた国際バードガイドのSさん。一同でブースの前で記念写真。牧草地に設営されたテントなので草地です