ヒグマ防災対策訓練をしました

実際にはこんなカッコつけてやれるのか?大いに疑問ではありますが…。

ボクが所属している NPO法人「 釧路湿原やちの会」のメンバーとヒグマ 撃退スプレーの実証訓練をしました。日頃、湿原周辺でガイドをする機会が多いので安全対策の手段としてメンバーはヒグマ 撃退スプレーを所持していますが、なかなか使う機会はないので、古いスプレーもあるので実際に使用してみるいい機会となりました 。ものによって違うのですが、だいたい10m 以内で使うことになっているので、目標物を5mに設定してその距離感も含めて噴射訓練をしました。なかなかこの距離までヒグマが接近するのを待って使うのは、ちょっと忍耐力と勇気が試されますが、このような訓練をすることで頭の中にイメージを置いておくことができて有意義な体験だったと思います。使用期限を5年ぐらい過ぎたものはまだ使えましたが、それ以上のものはやはり噴射力が弱くて使えません。 ボクは今年入れ替えて、スズメバチ撃退スプレーとセットでいつも携帯しています。使わないのに越したことはありませんが、備えあれば憂いなしですね。

こんなに近くまでヒグマが来るのを耐えて待つ???
使用期限済みはいけません。オレンジ色はトウガラシの液体とおもってください。

『松浦武四郎と行く~新・道東紀行』の修正について

拙書『松浦武四郎と行く~新・道東紀行』をお買い上げいただいた方、ご購読いただいた皆様には心より御礼申し上げます。
いろいろ勉強しながら記述してきましたが、ところどころに間違いがあり、この場をかりて修正をお願いしたいと思います。

246頁の大雪山の山名由来で、
松田岳(松田伝十郎)と永山岳(永山在兼)のそれぞれの人物に由来した山名と表記しましたが、松田岳は松田市太郎。永山岳は永山武四郎に由来する山名で、修正をお願いいたします。
また、これに関連した表記で32頁の松田伝十郎に関する囲み記事の後段、「大雪山には名を冠した松田岳がある。」を削除願います。

【間違いの言い訳】
・毎年のように大雪山には行っていて、お鉢周りという外輪山を歩いてました。間宮岳があり松田岳もあり、樺太探検をした両探検家のつながりが頭にあり、長い間、松田伝十郎に由来すると思い込んでおりました。松田岳の由来は安政4年に大雪山を踏破し、石狩川水源を発見「イシカリ川水源見分書」を遺した松田市太郎の功績に由来するとのことです。

・永山在兼は道路技師として阿寒国立公園の道路を拓き、そのことで国立公園化を果たした道東地域発展の恩人です。明治時代に、陸軍で北海道に赴任し屯田兵本部長と北海道長官も兼任し北海道開拓に尽力した永山武四郎も同郷(鹿児島県)でつながりもあるのですが、こちらは私のはやとちりでした。

齢を重ね、ますます「おもい込み」「はやとちり」「かんちがい」が多くなり自戒しております。「お・は・か」チェックで気をつけますが、これからも同様の事例があるかもしれません、その際には、随時修正させていただきます。引き続きよろしくお願いいたします。

第十一巻 ④武四郎は水夫となって…

【第十一巻】落石から納沙布まで
バードウォッチャーは極東を目指す

扉写真は国後島の島影。上は武四郎の千島探訪を描いた関谷敏隆さんの絵本「北加伊道」

▶武四郎は根室を自身初めての蝦夷地探訪であった弘化2年(1845)、4回目の安政3年(1856)と最後の6回目の安政5年(1858)に訪れている。これに加え、嘉永2年(1849)には、江戸幕府大老井伊直弼の御用商人だった場所請負人の柏屋喜兵衛(近江商人)の長者丸という船に乗り、色丹島、国後・択捉島を探訪している。この時は箱館を発って、ユルリ島にも立ち寄ってるので、これも加えれば、根室地方には4回来訪していることになる。
▶この千島列島への航海で武四郎は、船に水夫の身分で乗り込み、国後島や択捉島の山川や岬の様子、そして様々な野鳥や魚、動物などをアイヌの案内人と一緒に観察し、日誌に記録している。
何十万羽のハシボソミズナギドリが海面を群飛び、イルカやクジラ、エトピリカ、サケ・マス、昆布、クロテン、カワウソ、ラッコ等々、豊富な自然資源がこの地に溢れている様子が伝わる。これらの生物は博物学的視点と物産品という見方で捉えられており、『蝦夷訓蒙図彙』や『蝦夷山海名産図会』などの著作で紹介されている。
武四郎をこよなく愛する絵本作家の関谷敏孝さんは『北加伊道~松浦武四郎の蝦夷地探検』に型染版画という技法を使って、この時の探検の様子をメインに描いている。


▶現在、根室の代表的な観光資源は何と言っても北方領土を見渡す納沙布岬と花咲ガニに代表される豊富な魚介類のグルメであるが、これに野鳥観光とともに〝日本百名城〟に選ばれた「根室半島チャシ跡群」が加わった。チャシはアイヌの史跡で、戦いの砦、祭祀の場、見張り場など多目的な用途に使われた場であるが、根室半島には32箇所もある。道内では松前城とともに日本百名城に登録され、このお城巡りが新たな観光資源となっている。
▶野鳥とお城とはなんとも不思議な取り合わせだが、同時に両方の魅力を味わえるおすすめの場所を紹介したい。
納沙布岬から北側を根室市街に2㎞ほど戻ると温根元という小さな漁港がある。ここに温根元ハイド(観察小屋)とヲンネモトチャシがほぼ並んで岩崖の突端にある。ハイドからは眼下に広がるオホーツク海と岩礁の周辺を漂う水鳥や、岩の上に佇むオオワシなどが観察できる。珍鳥チシマシギの観察例も多い。
ヲンネモトチャシは百名城に指定された「根室半島チャシ跡群」の一つで、アイヌのチャシ跡から遠方の知床半島や北方領土を眺め、古の蝦夷地の面影を偲ぶ心持ちになる処だ。厳冬期には氷上を渡って先住の民たちは移動したのだろうか。



▶海外のお客さんを案内して、野鳥や観光資源を紹介することはある程度できるようになったが、宿泊した宿でのアフター5にボクも武四郎の探検やアイヌ文化を紹介する魅力的なお話しと、それを伝える語学力をなんとか身につけたいと思っている。
現在、国や北海道が力を入れている海外からの誘致策は、アドベンチャー・ツーリズム(略してAT)だ。ATは、アクティビティ(体験プログラム)、自然資源、異文化体験の3つの要素がが備わっている観光の形なのだそうだ。北海道の魅力を活かしたツーリズムである。
道東はまぎれもなくその適地ではあるが、その活かし方についてはまだまだ工夫と開発の余地があると思う。そのヒントを求めて、この地を紹介した武四郎の旅行記『納沙布日誌』でも携えながら根室にバードウォッチングに出かけたいなぁ、と思う。
冬将軍の到来と冬鳥たちの飛来の知らせを聞く。あの荒涼とした大地とモノクロームな海原を見つめながら、北からの風に身をまかせたい心持ちになるのである。(終り)

ノッカマップ周辺の断崖に佇むオオワシ。背景は流氷押し寄せるオホーツク海と知床半島。

第十一巻 ③ネイチャーツアーの適地~2

【第十一巻】落石から納沙布まで
バードウォッチャーは極東を目指す

扉写真は世界のバードウォッチャー憧れのオオワシ。上の写真は単眼鏡で望む国後島のロシア正教会。

▶納沙布岬に立つと目の前に根室海峡、その背後に歯舞・色丹・国後の島々が見える。少し目線を右側に振ると、そこはもう太平洋。いつも、根室海峡は太平洋なのか、オホーツク海なのか、疑問に思っていたが、どうやら区分としてはオホーツク海域に含まれるらしい。
根室半島の特徴をひと言でいえば「特異な自然文化エリア」ということになるかもしれない。野生動植物だけではなく、北方領土や知床半島、そして大海原の景観眺望、アイヌや先住民文化に彩られた史跡等々、根室は多彩なウォッチングエリアである。
ボクは野鳥ガイドで根室に行くことが多いので、おすすめのバードウォッチングサイトを紹介したい。


▶落石港からはネイチャークルーズが運航している。6月から7月にかけてエトピリカの繁殖シーズンにはユルリ島周辺で、このアイヌ名が標準種名になっている麗しい鳥に出会えるかもしれない。もう1種類アイヌ名が種名になっている鳥がケイマフリである。ケイマフリ(kema-hure足が・赤い)は、真っ赤な足をしている。ケイマフリは冬羽と夏羽が大きく変化するので年中運航しているこのクルーズは〝とことん野鳥ファン〟にはありがたい。ただ小さな漁船を使っているので波が高くなると欠航するという、〈自然との折り合い〉に付き合わなければならない。
港めぐりはイコール水鳥めぐりである。花咲港は根室半島最大の漁港であるが、野鳥を見るのにも適している。ボクは市職員時代8年間、釧路港の管理の仕事をしていたので、港のことに関しては少々詳しい。それなりの大きさの港は一番奥まったところに船揚場という船舶修繕のための引揚施設がある。船を揚げるので海底から斜路が引かれている。このため浅い水際があるので、水草を求める淡水ガモは船揚場の周辺に集まる。


▶港の岸壁はそれぞれ水深が微妙に分かれているが、通常は港の出口側が深くなっている。潜水して魚を餌にしている海カモ類はこのエリアに集まる。同じカモ類でも警戒心が強い鳥は、出口周辺から港の外にいることが多い。防波堤に上がって港の内側と外側を単眼鏡から眺めているとそれぞれの鳥の好みの場所がわかる。古くからの自然地形を活かして出来た港は、たいがい海にせり出した岬の入江に造られるので、港の脇に断崖や岩場がある。花咲港の横にも岩場があり、冬にはオジロワシやオオワシ、ハヤブサなども見ることがある。ただ港は産業施設なので、立ち入り禁止区域やトラックなどの車両が行き交うので、十分注意が必要だ。
▶納沙布岬には灯台の先にハイドが設置された。現在の我国領土内でいえば、最東端の駅が東根室駅。最東端の工作物がこのハイドである。ここでは海峡を行き来し、国境を自由に往来する海鳥たちを観察することができる。
ラッコやアザラシなどに出会うこともあるし、通常は外海でネイチャークルーズで見る機会のあるアビ、オオハム、ウミガラスなどを観察できる。渡りの季節だと海鳥ファンにはたまらない鳥見スポットである。
お客さんを案内するときは双眼鏡はもとより、単眼鏡は必需品である。単眼鏡で鳥だけでなく北方領土のウォッチングも根室ならではである。貝殻島の灯台は有名であるが、国後島のロシア正教会なども見ることができる。

「寛政の蜂起和人殉難供養碑」(納沙布岬)


▶足元に目を移せば、納沙布岬にはいろいろな碑が建っている。ひとつだけご紹介すると「寛政の蜂起和人殉難供養碑」がある。
寛政元年(1789)「クナシリ・メナシの戦い」で命を失った和人71名の供養碑である。誰が作ったのか不明だが、墓碑には文化9年に作られたとされている。この碑は明治45年に納沙布の近くの珸瑤瑁港で発見され、現在の場所に設置された。墓標はほとんど読めないが『寛政元年五月に、この地の非常に悪いアイヌが集まって、突然に侍や漁民を殺した。殺された人数は合計七十一人で、その名前を書いた記録は役所にある。あわせて供養し、石を建てる』と記されているそうだ。「非常に悪いアイヌが…」というところが起因してると思っている見方と、一方、解説板を設置している根室市教育委員会は「やむなく蜂起し…」と書いている。
このクナシリ・メナシの戦いで蜂起したアイヌは、その後、松前藩により鎮圧され、ノッカマップ(根室半島の北側オホーツク海沿い)で蜂起に関わったアイヌ37名が処刑された。
毎年アイヌの人々によってノッカマップでカムイノミが行われている。阿寒のアイヌコタンから参加している仲間に聞くと、ノッカマップの後、納沙布岬のこの碑でもカムイノミを行うそうだ。16㎞先の国後島と、眼前の供養碑の解説に目を凝らし、歴史の遠近法で古のアイヌと和人、そしてロシアとの関係性に思いを馳せるのも根室ウォッチングの魅力の一つである。(続く)

第十一巻 ②ネイチャーツアーの適地~1

【第十一巻】落石から納沙布まで
バードウォッチャーは極東を目指す

扉写真は納沙布岬に寄せる流氷。上の写真は根室バードウォッチングフェアの会場。

▶特徴的な出来事の一つを紹介したい。釧路港に限らず北海道の港に大型客船が来航するようになって各地の港では「これからはクルーズ客船」とばかりに誘致活動に力が入っていた。ある日オーストラリアの旅行代理店の社長が来釧し、会いたいとのお誘いを受けた。
この会社は世界でネイチャークルーズのツアーを催行しており、南極や中南米、北極海などのツアーをおこなっている。社長曰く「極東の北海道からアリューシャン列島のベーリング海にかけてはネイチャークルーズの最後に残された適地」とのことで、計画は釧路港を出港し、北方領土を北上し、カムチャッカ半島のペトロパブロフスクカムチャツキーまでの往路便と、折り返しの復路便の2回のツアーであった。参加者は各々出発地に集合する。
世界でネイチャーツアーを実施している現場の人から見ると、道東は、極東の手つかずの自然を活かしたツアーの発着地としての魅力を備えているということになる。
▶北方領土からアリューシャン列島に繋がるエリアには、本道では珍しいラッコやエトピリカが沢山生息し、〈アリューシャン・マジック〉というナガスクジラが集結するホットスポットがあったりする。
クルーズ船誘致の経済効果からみれば、寄港地より発着港の方が圧倒的に効果大である。北半球のクルーズの有名な出港地といえばカナダのバンクーバーであるが、世界から参加者はバンクーバーに集合し、カナダの自然を楽しんでからアラスカクルーズを満喫し、横浜港などで解散となる。


▶オーストラリアで初めて無酸素エベレスト登頂の記録を持つクリント・イーストウッド似の社長は「使う船はロシア船籍で、旅行代理店はオーストラリアなので北方領土は問題ない」と言っていたが、実施直前オーストラリアの日本領事館から、日本を出港し、北方領土でロシアの入管手続きをとることは日本政府としては好ましくない旨の要請を受け、〈釧路港から樺太のホルムスクに寄港し、ロシアの入管手続きを受けた後、カムチャッカに向かう〉という変更案でツアーを行うという情報が入った。
ボクは観光振興室で日本の受け入れ対応を実施する大手旅行代理店のランドオペレーターとともに、歓迎手続きや出港前の道東の日帰りツアーをサポートした。大きな船ではなかったので乗客は2百人前後だと思ったが、ほとんどが釧路港出港の数日前に、世界各地から釧路に入ってきて、釧路湿原や根室方面の自然を楽しみ、それから乗船し、釧路港を出発した。
世界のネイチャークルーズを複数の旅客船で運航している会社だけあって、航路のGPS情報をネットでライブ配信していた。どの船が今、どの海域を航行しているかがマップで一目瞭然であった。
ボクは船を見送った後、このネットをチェックしていたところ、船はホルムスクには向かわずいきなり色丹島に向い、北方領土沿いに当初の予定通りのコースを辿った……。(続く)

釧路湿原、阿寒・摩周の2つの国立公園をメインに、自然の恵が命にもたらす恩恵を体感し、自然環境における連鎖や共生の姿を動植物の営みをとおしてご案内します。また、アイヌや先人たちの知恵や暮らしに学びながら、私たちのライフスタイルや人生観、自然観を見つめ直す機会を提供することをガイド理念としています。