それは突然の衝撃であった。一瞬目の間に現れた角と頭部はアッとおもった瞬間、白煙とともにフェイドアウトし、急停車と同時にエアバックが目の前に開いた。夜更けの予期せぬ出来事であった。「やったぁ!」という被害者とも加害者ともつかないショックが全身を覆った。
シカの交通事故は釧路地方管内だけで年間(平成25年)約7百件にも及び東北海道は特に多い。国道240号通称マリモ国道も多発地帯の一つである。阿寒湖温泉での単身赴任生活では、週末の帰宅と日常業務に市街地と行き来するなかでの交通事故、なかでもエゾシカをどうやり過ごすかが最大の危険リスクであった。斜め横断、集団での左右点検無視、一旦停止不良は習性というものと理解していなければならないのだが…。シカして、我が愛車と雄シカ君は予後不良となり、私達夫婦は地域住民、通行車輌、警察の方々にお世話になり無事生還の運びとなった。
道内のシカの生息数は約60万頭といわれて、なかでも道東エリアは多い。松浦武四郎の『東蝦夷日誌』には、「弓矢を持ったアイヌが枯野に向かって走り出すと、その地面が動きだした」と記述されるエゾシカの描写があるので、その昔はもっといたようだ。アイヌ語のユックは<鹿>という意味とともに<獲物>という意味でもあるようで、いかに食糧としての存在が大きかったか推察できる。一時は大雪の天候変動で絶滅の危機もあったようだが、近年の増加は著しい。作物等の農業被害、広葉樹の樹皮を食べるための森林被害、そして交通事故被害とエゾシカ=害獣というイメージも出来つつあるが、エゾシカが悪いわけではない。
北海道は野生生物としては初めて管理計画を策定し、適正生息数に管理するため捕獲計画もたて自然のバランスをとろうとしているが課題は多いようだ。
阿寒湖温泉は北海道有数の温泉地であり、観光地である。国の特別天然記念物であるマリモはもとよりアイヌ文化と豊かな自然というブランドは古くからこの地を人気観光地にしてきた。近年、全国総観光地化状態になるなか、グルメを武器にした新興勢力に対応するために、阿寒湖温泉も数年前からグルメ開発を進めてきた。
その先陣ともいうのがエゾシカ肉を使った「阿寒やきとり丼」である。新ご当地グルメとして、地元の魅力的な食材を活かしたグルメ開発の一環として、商工会若手グループがメインとなって食材と調理法の研究がすすめられ、誕生したのが、3種類のエゾシカ肉の串焼とりを盛り合わせた丼物である。
私が阿寒湖温泉に赴任した平成20年前後、マリモ国道沿いの広葉樹は樹皮をエゾシカに食べられ丸裸状態で素人ながらこの森はどうなるのだろうと危惧していた。阿寒湖周辺の森林を管理する前田一歩園にとっても森林被害は深刻だったようで、広葉樹は今もその影響にさらされているという。一歩園では生きたままエゾシカを捕獲する生体捕獲手法(沿岸でおこなわれるサケ定置網漁のイメージ)を確立し、多い年で七百頭ものエゾシカを捕獲した。このエゾシカを阿寒町の業者が養鹿(ようろく)牧場で一定期間育成し、衛生完備の処理により様々な食品の開発販売をすすめていた。
<エゾシカこそ、地産地消のエース>とばかり、さまざまなグルメ開発が試みられ、その一つとして「阿寒やきとり丼」が完成した。エゾシカが何故、「やきとり」なのかという疑問は今も昔もつきまとうが、とにかく皆でそう決めたのだ!
エゾシカは低カロリー高タンパクで鉄・亜鉛などミネラル豊富なヘルシー食材である。欧州でもジビエ料理として愛食されているそうな。
様々な被害を軽減し、地域産業の振興にもつながり、消費者の健康にも資するとなれば、三大被害を一発逆転、解決できるというもの。「阿寒やきとり丼」のキャッチフレーズも<食べるシカない!>、キャラクターも<ヘルシカ君(ヘルシーなシカ)>となり、華々しくデビューした。大ヒットとまではいかないが、地域一丸となった売り込みは全道全国におよび、エゾシカの食材としての名声も徐々に広がりを見せているが、グルメだけで一気に観光客が増えるほど現実は甘くなく、阿寒湖温泉の観光客は下落傾向が続いている。
釧路港が世界一の水揚げ量を誇った昭和50,60年代、その主力はイワシであった。このイワシのほとんどは牛などの家畜飼料となり、直接食材になる量は僅かであった。当時、世界の食糧問題を研究するワールドウォッチ研究所では、開発途上国(当時は中国も)で肉食文化が進めば世界は飢餓が深刻化すると警告した。家畜を育てて食糧にすることは、直接、トウモロコシやイワシを食糧にするのに比べ、はるかに効率が悪いのだ。
シカして、阿寒のエゾシカは、阿寒の森で捕獲され、わずか約50キロ移動して牧場で飼育された後、食用化されるのである。今、問題になっているフードマイレージ(食材の輸送距離。生産と消費をつなぐエネルギーや二酸化炭素など環境負荷を低減する動きにつなげる指標)でも超優等生である。このことをワールドウォッチ研究所の日本支部の方にお話したところ、「でもね、食べ物は嗜好の問題があって難しいですね」とつれない返答。私の熱弁は空転したのであった。
食べ物は難しい。理屈をこねても、グルメを前にしては、「それはさておき…」状態である。
「食べるシカない」というフレーズにはどこか、仕方がない、これしかない、文句言わずに…、という響きがある。
押し付けでなく「阿寒に来てもらい、食べてもらうシカない」のだ。
そして、自然や風土、歴史と文化、人々の暮らしを見聞きし、エゾシカと阿寒の人々、ひいては自然と人の共生のおもいが「阿寒やきとり丼」のなかに盛り込まれているのを是非、味わってもらいたい。一発逆転の秘策はない。
地道に続けるシカないのだ。