世界遺産への道
■阿寒湖遊覧船のマリモ観察クルーズに乗った時、ガイドをしているNさんのマリモの話が心に残った。東京で働いていた時に昼食で入った食堂のテレビニュースで阿寒湖のマリモ観察が流れ、懐かしさとともに故郷の価値をあらためて実感した、というエピソードであった。
阿寒湖畔の子どもたちは年に2回、小学生は早春に、中学生は厳寒期にマリモの生息地観察をおこなう。阿寒湖のマリモ保護会が昔からおこなっている観察会である。私も何度か一緒させてもらった。文化財保護地区内のマリモ生息地の観察会は年に数度だけなので、阿寒湖畔の児童特典行事に違いない。雄阿寒岳を背に稀少なマリモを手にとって嬉々とした子どもたちを見て「幸せな子どもたちだなぁ」とおもうが、それは外様の勝手な思い込みというものかもしれない。
■シリア難民のニュースにふれ、この世に生を受ける私たちは、両親が選べない、社会(地域)と時代が選べない、カジノのルーレットのマスにコロリと落ちる小玉のような宿命に支配されていると痛感する。確かなことは、ある土地の人間関係なかで育まれ、その土地を原風景として記憶のなかに留めているということなのかもしれない。
原風景で思い出すのは、知里幸惠さんの『アイヌ神謡集』序文の冒頭部である。「その昔この広い北海道は、私たちの祖先の自由の天地でありました。天真爛漫な稚児の様に、美しい大自然に抱擁されてのんびりと楽しく生活していた彼等は真に自然の寵児、なんという幸福な人たちであったでしょう。…」
幸せな記憶に彩られたふるさとの原風景がたち上がってくるかのようだ。
■近年、マリモのユネスコ世界自然遺産登録の動きが急浮上した。どこか、知床に続け、という掛け声も聞こえてくるようだ。観光を主要産業とするこの地域にあって、自然遺産のブランドは魅力的である一方、「マリモが世界遺産になるのかぁ?」という疑問符もつくのであるが、ちょっと郷土史を紐解けば、この地域とユネスコとのつながりは深く、そこには、自然の民アイヌの存在とユネスコの関わりがあるのである。
アイヌ古式舞踊は2009年にユネスコ世界無形文化遺産に登録されたが、これに遡ること40数余年、阿寒湖のアイヌ有志を中心に結成された「阿寒ユーカラ座」は、ユーカラ劇「アイヌラックル伝」を携えて1976年、パリのユネスコ本部に登場、世界に初めてアイヌ文化を紹介した。この催しはパリっ子の絶賛を浴び、アイヌ民族の存在を世界に認知させることに寄与した。この公演は、釧路にユネスコ支部を立ち上げ、人権運動に大きな足跡を残した丹葉節郎氏が中心となって、多くの文化人たちが集い進めたアイヌと和人の協働の成果であった。ユネスコとアイヌ文化のつながりを今に伝える原点である。
■さらに、この活動の基盤は1950年から阿寒湖のマリモを保全するための活動を祭りとして創作した「マリモ祭り」に遡る。観光土産として売却されていたマリモの湖への返還と水力発電による水位低下から湖岸に打ちあがったマリモを湖に帰す、この2つの保全活動とアイヌの自然共生思想が祭りとして表現された「マリモ祭り」は、持続可能な観光資源としての自然の保護とアイヌの人権回復を意識したものであった。
■原風景といえば、外せないプレイヤーが阿寒の森林を保有する前田一歩園である。現在、財団の森づくりのコンセプトは「復元の森づくり」である。三百年前の原生に近い針葉樹八割、広葉樹二割の健康な森林へむけて森づくりに邁進している。薩摩藩士出身高級官僚の前田正名氏が所有した阿寒の森は、製材業の時代を経て、「伐る山から観る山」へ開発理念の大転換を果たし現在に至る。今も湖北の森に行き続ける千年のミズナラは自然の姿とともに、前田イズムのカタチとして見る事ができる。
阿寒の子どもたちやアイヌの先人たちや前田正名が夢見た阿寒の原風景は持続的な生物多様性を包含した「豊かな阿寒の姿」ではあるが、現代では無垢な存在ではなく、持続性を支える地域の人々による、意志と努力と技に託されている。
■ある集団、ある地域が共有している、広い意味での仕草や行動の仕方を「文化」といえば、アイヌと和人が協働する輪郭をもつ「阿寒湖文化」とでもいう軌跡の延長上に、地域社会は発展し、人と自然の共生関係と観光交流を基盤とした観光文化圏を形成した。
世界遺産は観光資源のブランド化にとっては魅力的なものではあるが、自然遺産としてのマリモの希少性を担保する科学的知見だけではなく、アイヌ文化や一歩園の森づくりにおける共生システム管理の実績など、より複合的な文化のあり様をもっとアピールしたいとおもうのである。
地域を表現している技としての「観光文化」と、人と自然のつながりをしめす象徴としての「マリモ」を複合文化として世界に発信すること、そして、そのことをユネスコ世界遺産の登録基準をクリアする要因として、地域が再認識しすることが肝要だとおもう。
■ユネスコ(国際連合教育科学文化機構)憲章前文はその活動の根源の精神をしめしたものである。先住民との連帯や教育が人間の尊厳に欠くことできないものであるという意思のなかに、自然や他者への関心や相互理解の先に平和の享受を希求するための一つの方策として世界遺産を見る事ができる。少し長くなるが、出発点に立ち返るためにもご紹介したい。
「戦争は人の心に生まれるものであるから、人の心の中に平和のとりでを築かなければならない。政府の政治的及び経済的取り決めのみに基づく平和は、世界の諸人民の一致した、しかも永続する誠実な支持を確保できる平和ではない。よって平和が失われないためには、人類の知的及び精神的連帯の上に築かれなければならない。文化の広い普及と正義・自由・平和のための人類の教育とは、人間の尊厳に欠くことのできないものであり、且つすべての国民が相互の援助及び相互の関心の精神をもって果たさなければならない神聖な義務である。」
■阿寒湖温泉の郷土史を振り返れば、この憲章の精神に呼応するかのような物語(経験)が散りばめられている。温故知新。未来を示す道標のように、その歩みは世界遺産への方向を示しているとおもえてくるのである。