「凸凹日誌」カテゴリーアーカイブ

ヤマブドウやコクワを食べながら「里の道」を行く

 

9月27日に、14名が参加して、阿寒クラシックトレイル秋の第1弾「里の道」が開催されました。紅葉がはじまった大正道路では、ヤマブドウやコクワの実がなっており、参加者もしばし足を止め、秋の味覚を堪能していました。今年はドングリの実も豊作のようで、熊さんたちも一安心。昼食は小瀬牧場のオープンガーデンでこれまた菜園のトマトに舌鼓。この日は、歩くのにちょうど良い、晴れ曇の日和。後半も順調に足の伸ばし、ゴールの上徹別福祉館には午後3時30分到着。ほぼ予定通りの行程となりました。10月25日の「川の道」も楽しみです。

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新聞で紹介されました
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参加者には「旅の野帖」に参加印を捺印。
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25kmを完走して、栄光のゴール!

カヌーを待ちながら、

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静岡から60代のご夫婦3組のなかよしグループを湿原にご案内しました。午前中は好天の釧路川をカヌーで川下り。仲間のガイドがご案内している間、終点の細岡カヌーステーションで待つ、いつにないまどろみの瞬でした。川面を飛翔するカワセミ、上空にはアオサギの群れ、旋回するオジロワシ。耳を澄ませばタンチョウのつがいの鳴き交わし、水面ではマスの稚魚の群れと旋廻するルリボシヤンマやエゾトンボ。じっとしていなければ見えてこないものもあります。
午後からは、私がキラコタン岬へご案内。年に数回、グループ旅行をしているというなかよしグループは元気に湿原探訪を楽しまれた様子でした。こんな旅スタイルで、地域のアクティビティを楽しんでもらえるのは、嬉しい限りです。屈斜路湖の雲海や知床のサクラマス遡上など地元ならではの旬の情報提供にも目を輝かせていらっしゃいました。See you again someday!

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湿原印象派。

 

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マネの「草上の昼食」をマネした、モネの「草上の昼食」。こんがらがるネ!

無事、夏の北アルプス登山を終え、東京の娘と新江古田のフレンチレストランで祝杯をあげ、翌日は一緒に美術館めぐりがここ数年の定番です。今年は新国立西洋美術館のパリ・オルセー美術館印象派展を鑑賞。マネを中心として、ルノワール、シスレー、ドガ、モネなど印象派からポスト印象派の作家たちの作品がぞろぞろ。画集で見ていた名画が目の前に。風景と人物画に特に感動しました。
さて、私には今回、もう一つ行きたい所がありました。それは民藝運動の創始者柳宗悦が中心となって設立した日本民藝館でした。5年間の阿寒湖畔生活から、釧路に戻り、湿原案内をするなかで、鶴居村ツルワチナイに入植し、人と自然の共生を開拓民の暮らしを基盤に、問い続けた白樺派の思想家・長谷川光二一家の存在を知りました。阿寒と釧路湿原を白樺派=民藝運動の糸がつなげたのでした。
ところで、パリの印象派の画家たちは、日本の浮世絵に代表される文化運動であるジャポニズムの影響を受けたそうですが、その最盛期のパリ万博日本館事務長を勤めたのが、若き日の前田正名(前田一歩園創始者)でありました。重厚長大な近代産業化政策に対抗し、伝統工芸や地場資源を活かした地方産業振興を優先政策として主流派との政争にやぶれ、終生、全国で産業団体育成に邁進した正名の開発思想は、印象派や民藝運動(白樺派)の道筋とどこか重なるものだとおもいます。
それぞれ、前田は政治・産業、印象派の画家たちは芸術活動、柳や長谷川は思想・哲学・文芸活動とベースは違っても、人の暮らしや幸福感を国の視点より、民衆の視点から見つめ続けた活動は今の時代にも継続する運動として我々の目の前にあることを実感します。
私にとっては、阿寒の森、パリ印象派、アイヌ木彫、民藝運動、釧路湿原、白樺派は横串でつらぬかれた人と自然の共生の道でした。

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長谷川光二(1898-1975)が入植したツルワチナイ
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柳宗悦(1889-1961)が設立した日本民藝館
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阿寒アイヌコタンの熊の木彫り。北海道の民芸品。

信州をトレッキングしてきました

ここ数年、毎年、アルプスの山をトレッキングしています。今年は、上高地から梓川沿いに槍岳に上り、大キレットを通って、穂高連峰までの4日間です。
阿寒クラシックトレイルでは、全長60kmを3つのセクショントレイルに分けて、歩いているので、距離的にはほぼ同じ距離を歩いたことになります。
とはいえ、こちらは日本有数の山岳地帯なので岩山がメインですが、裾野歩きはこれまた魅力的で、「里の道」「川の道」を彷彿させるとともに、ここにも峠越えの古道(徳本峠)がありました。
好天に恵まれ、順調な山行ではありましたが、身体の方は疲労が、素晴らしい山岳景観の記憶とともに色濃く今も残っています。9月27日の「里の道」ウォークも好天を祈るばかりです。開催案内もアップしましたので興味にあるかたは、こちらへ→http://dekoboko.biz/?p=854

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奥の槍ヶ岳から奥穂高までやってきました
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大キレット(南側から)
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大キレットの稜線を歩く
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ウラシマツツジは紅葉の盛り
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もう来る事はない危険すぎる道。ホッ!

ウイリアム・モリスの足跡

 

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ふとした縁でいただいたモリスの本

ウイリアム・モリスは19世紀半ば英国で工芸改革運動を推進した工芸家であり、思想家であり、詩人でもあった人。私がはじめてモリスに出会ったのは、『編集必携』というブックデザインの基本的な約束事をまとめた本のなかで、美しい印刷余白の代表パターンでモリスが紹介されていた頁であった。時は流れて、我が家のリフォームでつれ合いが壁紙をモリスのものに変えたい、との希望で調べたところ、あのモリスとこのモリスが同一人物で、英国の機械産業への危機感と、手工芸の復権を生活や表現活動もふくめて運動として実践した人物であるとのこと。さらに柳宗悦など日本の民芸運動にも大きな影響をあたえた。ともわれ、我が家の台所はモリスの壁紙となり、さらに時は流れて、私が退職を期に、現在の凸凹旅行舎を立ち上げるにあたって、自室事務所のリフォームでもモリスの再登場となった。縁は続いて、湿原の案内フィールドである鶴居村ツルワチナイ地区には開拓移住者に長谷川光二一家がいて、この方が自然と人との共生を労働と表現活動をとおして、統合しようとした人物であり、その源流にウイリアム・モリスの影響が大きいと知った。
湿原の自然と格闘しながらも、開拓の厳しい暮らしの中で人間の行き方を模索した長谷川光二は、今では「湿原の聖人」「原野の俳人」「原野の思索家」とも讃えられている。自分のそばにあるものの、真理にふれ、自然と人との関係を見つめた先人のおもいを伝えたい。湿原は深いなぁ、とおもう今日この頃ではある。

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凸凹事務所のモリス壁紙
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こちらは台所を包む柳とザクロの模様