「旅のレシピ」カテゴリーアーカイブ

凸凹海外研修報告その3(ローマ編)紀元前の道を歩く

我が舎の研修の一貫したテーマがトレッキングである。登山であれ、ハイキングであれ、街なか散歩であれ、著名無名を問わず魅力的なトレッキングを体感し、その魅力をどこかで活かすことがテーマになっている。今回は、長年の夢の一つ、ローマ旧アッピア街道のトレッキングである。最初の造成が紀元前312年といわれ、「すべての道はローマに通ず」の格言をまさしく形にしたものである。”女王の道”とも呼ばれ、現在も現役の道路であるが、随所に古代の遺跡(墓地、祠、標識柱など)が点在し、糸杉と唐笠松の並木の中、一部は静かな散策路、一部は今も激しく車が行き来する生活道路となっている。
我々は古の佇まいがある静かな散策路を約5kmほど歩き、カタコンベという古代からの共同墓地遺跡(洞窟内に3層にわたる遺跡跡を見ることができる)を見学した半日であった。

静かで周りの自然と野鳥のさえずりを味わいながら古代におもいをはせる

■どんな道かといえば…
イタリアは南北に細長く、火山があって、温泉があって、家族主義で、かつて独裁国家同士同盟をむすんだこともある同類項の多い国である。アッピア街道は火山岩(玄武岩)を敷き詰めており、もっとも古い部分はごつごつした大き目の石が、時代が近づけば定型の石畳になっている。ローマ旧市街地はこの石畳が太宗で歩くには疲れるし、車に乗っても乗り心地悪いこと夥しい。
さて、アッピア街道は観光地であるが、このアッピア街道を歩こうという人はあまり多いわけではない。個人旅行者(我々もそうだが)は公共交通(地下鉄、バス)を乗り継いで約2時間(待ち時間も入れて)ほどで、歩くポイントに到着、ほぼ直線路なので行って戻る感じのトレッキングとなる。この道を堪能するにはローマや世界の歴史と春採湖一周くらいの体力を身につけていれば楽しめるのだが、特に前者の教養の深浅が極めて重要。ガイド付きツアーだと申し分ないかもしれない。(私たちはカタコンベガイド以外は単独行でした)

バス停前の屋台と後はチルコ・マッシモという古代競技場跡、いつでもどこでも歴史が偲ばれるのがローマ
不安げな観光客。左の黄色い機械は切符をチェックするもの。これをしないと検札員が乗り込んできたとき罰金!
公共バスの路線になっているアッピア街道
マクセンティウスの競技場跡
こんな道で雨も降ることを想定すれば、防水のトレッキングシューズがおすすめ
若者たちと一緒にスタートしたんだけど彼らとはどこかの遺跡でお別れ
チェッチリア・メッテラの墓。沿道にある大きな遺跡のひとつ

■楽しみ方あれこれ
ガイドツアーでも、歩いている最中に出会ったのが、ホーストレッキングと自転車ツアー。石畳の特に古代部分は不整陸路なので自転車は大変だろうとおもい聞いてみると、マウンテンバイクで電動サポートつきであった。確かにこれでないと尻が大変。馬は手綱引きのツアーなので乗馬の魅力ではなく、気分を楽しむ感じと見受けられた。こういう歴史道路は楽しむ教養を自前で身につけるか、ガイドから得るか、いずれにせよ旅の前後の予習復習がたくさんある。これも含めて「旅」なのだが、あの足裏の古代の感触は忘れられない旅の記憶として身体に残るものとなった。

馬もごつごつ道で大変だ
アッピア街道の自転車ツアー、マウンテンバイク電動つきでガイドは歴史解説
左は何者かの墓石か?調査中
アッピア街道沿いのサンセバスチャーノのカタコンベ(共同墓地)
アッピア街道の帰りは雨。バス停で待つ観光客。45分も待った!

凸凹海外研修報告その2(スペイン編)市場飯の魅力

飲食ブースには観光客が一杯、ちゃんとした海鮮メニューも充実(バルセロナ、サン・ジョゼッペ市場)

■市場飯の魅力
エコノミーな旅行者である私たちにとって宿泊は立地優先である。駅や観光地に近い、安宿を探すのがポイント。バルセロナは市内最大のサン・ジョゼッペ市場に歩いて3分の好立地。市場で昼食、夕食、お買物を楽しんだ。この市場、和商市場と同じく市民と観光客が入り乱れ、店舗や飲食店が混在し、その規模は和商の約2、3倍。お客は4、5倍という盛況。港町の市場となれば、海鮮が旨くない筈はなく、我々の腹にも懐にも優しかった。食材を愛で、食べたいものを選択し、しかも旨くて安いというのが市場飯の極み。マドリッドでもサン・ミゲル市場(こちらは飲食店メイン)に行ったが、スペインはタパス(小皿料理)という伝統的な陳列選択型飲食店が多く、美味しいものにありつけるハードルが低い。食材はざまざまだが海鮮は魚種が重なるものもあって興味深かった。なかでもカキは人気の食材だったが、これは厚岸のほうが値段も見た目も、おそらく味も(食べなかったので)厚岸に軍配が上がる。
和商市場の関係者には是非、バルセロナの市場を視察していただきたい。随所に可能性が広がるとおもう。世界の観光客はこんなところが大好きなんだ、ということを体感できるはずである。ここでは印象的なホスピタリティにであった。市場飯というと何か荒々しさも魅力だが、ここで食べたカウンターレストランの兄さん(風情の印象)は、ちゃんと日本メニューと片言の日本語、そして的確なお勧め料理提案、にこやかな笑顔、判りやすい清算、どれをとっても申し分ないホスピタリティであった。日本人のホスピタリティが賞賛されるが、これは個別具体的なものなので、私も含め観光客に接する人々には、いつでもどこでも参考にしたい自戒テーマである。

ほとんど和商市場です(バルセロナ、サン・ジョゼッペ市場)
市民も飲食店主も買出しで、鮮魚部門は早めの店じまい
カキは人気だったが、どうみても厚岸の方が旨くて安い
香辛料の店、よくみれば結構古い市場のつくり
果物コーナーで買出しします
サン・ジョゼッペ市場の夕食レストラン、黒衣装の店員のホスピタリティに感心
スズキ焼きとマテ貝、これにコロッケ、シシトウの炒め物とおすすめ白ワインで夕食満喫(サン・ジョゼッペ市場)
昼食は鮮魚のフリット(揚げ物)を外の公園で
飲食店舗メインのマドリッドのサン・ミゲル市場
あくまでお客が勝って唄っている、いいね。
夕食第1部。ポークシチュー、ビール、パン
カウンターがびっしりだったので淵のガラステーブルにセット
全部チーズベースのカナッペ(パンに食材を載せたスタイル)
夕食第二部、チーズカナッペ2種とおためし寿司(やっぱりまずかった)
デザートはフルーツショップで
バルセロナのタパスレストラン。カウンタから好きなものをチョイス
色とりどりのカナッペが、目移りします
白ワインとこれで約30ユーロ(3600円)いいね。

凸凹海外研修報告その1(スペイン編)ガウディ恐るべし

開業以来毎年2回ずつ国内外の観光地を視察している。「遊びじゃないの?」という声も聞こえるが、研修なんである。報告もし、成果も仕事に反映しなければならない。まあ、旅行者の立場で仕事を再点検する意味では、遊びの気分も大切ではある。
さて、今回はスペインとはいってもバルセロナ、マドリッドの二大都市とイタリア、ローマの8泊10日間の旅であった。類比的に考えるタイプなので、バルセロナで言えば、共通項である港町を軸に、ガウディ建築物(毛綱建築物)、サン・ジョゼッペ市場(和商市場)、地中海海鮮料理(太平洋海鮮料理)なんかが比較項目になってくる。

■建築物や街並みの魅力
アール・ヌーボー(新しい芸術活動)の時代にフランスやスペインで活躍した、芸術家たちのなかでアントニオ・ガウディは最も著名な建築家だとおもう。いうまでもなくサクラダ・ファミリア教会の設計者かつ施工者でもあるが、ガイディは工期途中で不慮の死(交通事故)でなくなり、かつ設計図も戦争中に消失したので現在は継承者たちが2026年の完成を目指して試行錯誤しているそうだ。ガウディ建築物は有名なもの(世界遺産に指定されているような)だけでも5棟くらいあって、その他の建築家たちの作品が街中にあって、相当奇抜なものも多いが街の景観に溶け込んでいるところが凄い。はっきり言えば、これはバルセロナのオンリーワン観光素材なので、比較するものもないが、釧路にもポストモダンの建築家で郷土出身の毛綱毅曠(故人)がいる。大小あわせれば10棟ほどの毛綱建築物が市内に点在している。
一朝一夕に街並み景観を形成することは不可能だが、地道な積み重ね、つまり街の歴史を語る活きた素材が建築物や街並みのアイテムである。その方向性は大切に市民共有したいものである。

生誕のファザード、ガウディ生前の部分。鐘楼上部にエレベーターで昇れる(要事前予約)
尖塔基部までエレベーターで上がるとこの感じ
渦巻状の螺旋階段を下まで降ります
サクラダ・ファミリア教会細部の土台に亀
受難のファザード(生誕のファザードの裏手)、直線的なデザインのキリスト受難を描く彫刻群。ガイディ死後の建築
教会内部。ガイディ死後、森林をイメージした設計。ガイディ何をおもう
世界遺産カサ・ミラ、ガウディ建築。
街に連なる建築、右は世界遺産カサ・バトリュ
カサ・バトリュ内部、曲線デザインとステンドグラスが美しい
グエル邸屋上の煙突デザイン、タイルモザイクもガイディお得意
アントニ・タピエス美術館、これもモンタネールの作品
カタルーニャ音楽堂、馬好きにはたまらないアングル

ガイディの最高傑作ともいわれるコロニアグエル教会。
バルセロナ郊外なので観光客もあまり居ない
ここは石とレンガ中心ですべて曲線で構成、ガイディ恐るべし

マクンペッ探訪記

古におもいを馳せるマクンペツ探訪のはじまり

釧路湿原の東側に位置する塘路湖の近辺に、地元の方たちが古川と呼ぶ、河川跡がある。松浦武四郎の『東西蝦夷山川地理取調日誌』によれば、マクンベツ及びマクンベツチャロとして紹介されているあたりとおもわれる。アイヌ語ではマクン〔mak-un〕奥の、奥にある、ぺッ:川となるのだろうか。ガイド仲間と一緒に1月下旬に探訪した。事前情報は、武四郎の勉強会の仲間が提供してくれた、古い写真である。1948年の空撮写真にはまだこの川が写し出されている。

1948の写真には流れがあったマクンペッ
これは2000年の写真。すでにマクンペッは枯れている。

当日は晴れた午前中で、まだ雪も深くなかったので長靴での探訪となった。川跡は確かに雪に埋まってはいるが明らかに蛇行する川であることが確認できる。土手には柳やヤチダモが多く繁茂し、カラ類の野鳥が頻繁に行き来する。蛇行するマンクベツを釧路川本流との合流点まで進み、折り返し、ヨシ原を抜けて再びマクンベツの凍結した流れに合流し、今度はアレキナイ川の合流点まで進む。この間は、ヤチダモの高木が多く、キツツキ類(アカゲラ、オオアカゲラ)が目につく。塘路湖と釧路川をつなぐアレキナイ川は冬も凍結しない流れを保っている。
ここから、いつもは釧網線の車窓から眺める、エオルトー、ポントーと呼ばれる湖沼の凍結した氷上を歩き、出発点に戻った約2時間のトレッキングとなった。

武四郎は日誌に、マメキリの乱(1789年のクナシリ・メナシの戦い)でこれに味方しなかったクスリアイヌをネムロ、クナシリのアイヌが追ってきたが、クスリアイヌはこの川に逃げ込み、追ってきたアイヌたちは釧路川を抜けていったので、クスリアイヌたちは助かった旨のエピソードを記録している。確かに本流も相当に蛇行しているのに加え、マクンベツがエスケープルートになって、周辺には小沼も点在しているとなれば、当時の湿原での追跡劇も目に浮かぶ景観である。

丸木舟ではなくカヌーがゆったりと釧路川を流れていきました

私は、冬のトレッキングルートの一つとして今シーズンから既に何度かお客さんをご案内している。時間にあわせてショートカットも出来るので、冬ならではの湿原ウォークを楽しむには魅力のコースである。ここでその昔、こんな物語が展開していたとは…。湿原らしい景観と環境、動物たちとの出会い、そしてアイヌたちの目線で歴史のひとこまにふれる。

塘路湖の御神渡り

塘路湖で御神渡りと恐ろしいほどの氷の鳴り音を聞く。
御神渡り は神様が湖上を渡った跡ということで諏訪湖が有名ですが、道東では屈斜路湖にもできる。この日の英国出身のお客さんはもちろん初めて観るそうで、でも湖上に響く氷の鳴り音のほうが衝撃的だったようで、しきりにscary-scary(スケアリー:怖い、おびえる)と呟いていました。今年は小雪で、雪が積もると保温効果であまり出来ないそうですが、しばれが強く、例年より立派な御神渡りが登場したようです。

塘路湖の御神渡りです。氷の鳴き音も凄い!
お客さんも丹頂カラーで撮影に夢中
冷え込んで来て、タンチョウたちの出勤も遅くなりつつあります
吐く息が白く、鳴き声でオスとメスの判別が白い息の形でわかります
今年の写真ではありませんが、阿寒湖でもフロストフラワーが花盛りのようです。