今朝(2015.9.5)の北海道新聞にうれしい記事が2題のってました。一つは、今年の釧路市市民貢献賞で、我が自然ガイドの師匠ともいうべき大西英一さんと阿寒クラシックトレイルでいつもボランティアでサポートいただいている小瀬泰の受賞が決定したとのことです。それぞれ釧路の環境教育と農業振興に大きな功績をはたしている御両人のますますのご活躍を心から祈念したいとおもいます。もう一つは、道と北海道観光振興機構が学生対象におこなった、「道東観光プラン」のコンペに道外から唯一選ばれた愛媛大学の学生プランが「松浦武四郎の足跡をたどる旅」とのこと。何といっても、道外の若者が武四郎をテーマにしてくれたことに感謝です。最終選考はこれからだそうですが、決定の暁には是非、協力したいですね。
アイヌ語は、通常、単語の意味の組合せで構成されることが多い。野鳥を例にとれば、アイヌ名がついたもので有名なのはエトピリカ。エトは嘴、ピリカは美しい、よって「嘴の美しい鳥」となる。エトピリカとともに、世界のバードウォッチャーが東北海道周辺でしか見ることのできない鳥として珍重するケイマフリも、ケイマは脚、フリは赤なので、「赤い脚の鳥」となる。
北海道をガイドする時、アイヌ語は動植物のみならず、風土を知る道しるべにもなる。
釧路から阿寒湖温泉までの国道240号(通称「まりも国道」)は自動車が通るようになる前から、人馬の往来があった道である。
1810年に幕府は北方有事に備えて、釧路と網走を陸路でつなぐ道として、山道を開削した。これを「網走山道」という。私は、阿寒の仲間たちと古道の研究会でこの山道跡を歩いているが、現在の白水フレベツ林道入口から約2キロほど先のイタルイカというところまでは、ほぼ現在の国道がこの山道と重なる。阿寒川と併行している経路であり、川沿いに道が拓かれていったのであろう。
安政5年(1858年)、6度目の蝦夷地探検における武四郎の探検調査目的の一つは、この網走山道の状況確認であった。
北海道のアイヌ地名を語る上で、武四郎は外せない。なんといっても六度の蝦夷地探検では、同行のアイヌ案内人とともに、約1万件にもならんとする地名を地図におとしている。1859年に発刊された『東西蝦夷山川地理取調図』は、武四郎蝦夷地探検の地図版集大成であるが、これは釧路市立図書館地域資料室で復刻版が閲覧できる。私も見せていただいたが、現在も使われているアイヌ地名が克明に地図におとされている。
アイヌ地名で特に登場頻度が高いのは、~ナイ、~ペッという川や沢を表す地名だ。阿寒にも布伏内(ふぶしない)、徹別(てしべつ)、飽別(あくべつ)、オンネナイ等、今も現役地名が川沿いの集落や河川名として活きている。ナイとペッの違いについては、ナイは小さい川で、ペッは大きい川だとか、穏やかなのがナイで、洪水で荒れる川をペッとつける等々、諸説あるが、地域差もあるようで、ここは研究者におまかせ。
さて、身近なアイヌ語学習の1丁目1番地はなんといっても「地名」である。国道を走りながら、時に古道を歩きながら、地理地形をあらわしたアイヌ地名を確認する事が出来る。
地名講座その一。同じ地名が全道各地にある例で、たとえば、「ワワウシ」という地名は、ワワは川を渡る、ウシは多い、よって<川を渡る人が多い処>という意味になる。阿寒川にも、支流の舌辛川にもワワウシという地名があり、なるほどそこは川を渡って対岸に行くのはもってこいの場所だ。
その二、もっと一般的なのは「ルベシベ」。北見地方に留辺蘂町があるが、<峠を越える道>の意味で、全道各地にある地名である。阿寒湖畔を越える山道にもルベシベがある。
自然ガイドをしていて、アイヌ地名の魅力を現場で実感する事がある。マリモ国道が阿寒の山に入ってから湖畔との中間あたりに阿寒橋という小さな橋がある。この橋は阿寒川に流れ込む白水川(しらみずがわ)に架かっている。白水川というのは和名で、アイヌ地名はワッカクンネナイという。ワッカは水、クンネは黒、ナイは川を意味するので、和名に直訳すると黒水川になるが、どういうわけか、和名は白水川なのだ。この川は雌阿寒岳東側中腹に源を発しているが、少し強く雨が降ったときは真っ先にこの川水が白濁して、というより泥水化して阿寒川に合流する。阿寒川本流は阿寒湖に源を発し、川の両岸は立派な河畔林が繁茂し、相当の降雨でないと濁らないので、この合流点で綺麗な阿寒川本流と白濁した白水川が合流し、ブラックチョコとミルクチョコのダブルチョコ状態になるのを何度も目撃した。
研究者曰く、和人は火山の噴出物で白濁した水を見て白水川といい、アイヌは川底の黒い安山岩を見て、ワッカクンネナイと命名。それぞれの感性の違いが現れている、とのことだが、確かに白っぽくもあり、黒っぽくもある川ではある。
この白水川沿いに白水フレベツ林道が通っており、山中に数キロ入ると、今度はフレベツ川が白水川に合流する小橋がある。冒頭に赤い脚の鳥(ケイマフリ)の名称由来をお話したが、フレベツ川はフレ(赤い)・ペッ(川)で赤い川である。この川は正確にいえば錆びた茶色に見える。上流にかつて渇鉄鉱の鉱山があったところで、鉄分が川底の岩に付着して錆色になり、川が赤く見えるところから命名されたことがわかる。このフレベツ川が白水川に合流するところが、まさに白い水に赤い水が流れ込んでいるようで、なんとも不思議な景色である。百聞は一見にしかず、とはこのこと。ガイド案内冥利につきる隠れた(誰も隠してはいませんが)名所ではある。
ロングトレイルで網走山道を歩き、阿寒川から支流沿いに坂を上り、ルベシベを越えると湖岸の阿寒川源流部である滝口につながる。滝口はアイヌ語でソーパロ。ソーは滝、パロは口なので直訳だ。阿寒湖の河口は細い入り江になっており、アイヌ語でクッチャロ、喉を意味する。屈斜路湖はもとより、釧路川口に開かれた釧路の地名由来の一つでもある。
私が和人とアイヌの自然のとらえ方の違いを知ったのは、和人は川を下る視点から右手を右岸、左手を左岸というが、アイヌは川を上る視点で右手を右岸、左手を左岸、そして、人体にたとえて河口から喉をとおり、湖に入っていく方向感だ。
どちらが正しいとか、間違っているとか、統一すればいいとかの問題ではない。この違いこそ多様な価値観や感性を認め合い、<人と自然>や<人と人>が共存する上でベースとなるものとおもう。角度が違えば、白も黒に、右も左になるわけで、多様な価値観の源をアイヌ地名から教わるのである。
アウトドアで食べるものは何でも格別ではあるが、やはり仲間の手作り料理には、美味しさ+想い出の味が加味される。阿寒の仲間とアウトドアを楽しむときは、達人たちのスペシャルメニューに遭遇する。一部をご紹介。今年は何を食べれるかなぁ~
雌阿寒温泉周辺に人が定住移住してきたのは、明治30年代の造材、漁業、そして硫黄鉱山である。その痕跡を探訪するため雌阿寒岳の硫黄鉱山跡をスノートレッキングした。阿寒クラシックトレイルの仲間が案内してくれ、雌阿寒岳北西側の西山・瘤山周辺を探訪。人や資材を搬送するためのリフト跡が山頂近くまで伸びている。地図で見ると標高800mくらいなので、まだまだ山頂は先なのだが、先人の労苦の偲ぶ痕跡が随所に残っていた。仲間のスペシャルランチで満喫の山旅でした。
釧路湿原、阿寒・摩周の2つの国立公園をメインに、自然の恵が命にもたらす恩恵を体感し、自然環境における連鎖や共生の姿を動植物の営みをとおしてご案内します。また、アイヌや先人たちの知恵や暮らしに学びながら、私たちのライフスタイルや人生観、自然観を見つめ直す機会を提供することをガイド理念としています。