hina10-20150303

還暦祝いに仲間からいただいた真紅のフリース

 

昨年の1月、私は還暦を迎えた。還暦とは「干支(十二支)が一巡し、起算点となった年の干支に戻ること。通常は人間の年齢について言い、数え年61歳を指す。本卦還り(ほんけがえり)ともいう。」(ウィキペディアより)
人が歳をとるように、故郷も歳をとる。同じ年(2014)に、阿寒湖で遊覧船事業を営む阿寒観光汽船㈱と、阿寒湖アイヌコタンがそれぞれ還暦をむかえた。人の場合は、個人差はあるにしても、加齢による退行現象が心身にあわれる。近い記憶ほど忘れやすく、遠い記憶ほど覚えがいい。これを「老人力」と肯定的に捉えれば、活かしようもあるというもの。
企業や地域にとっても、加齢による企業力の低下や地域力の減衰はあるのかもしれないが、組織は個人より新陳代謝機能が高いので、創業百年を目指して阿寒湖温泉発展の原動力としてこれからも活躍してほしいものだ。
私の還暦の誕生日は、友人の葬儀の日であった。私達夫婦の友人であり、仲人でもあり、市役所の先輩として20代前半から兄貴のように面倒を見てくれた人が、正月に愛犬と散歩中に凍結路面に脚をとられ転倒、頭部損傷が致命傷となり、あっというまにこの世を去った。家族の意向で友人葬で送りたいということになり、慌しく準備に奔走していた。送別の辞をしたため、夜半に床に就いたが眠れず、思い出が走馬灯のように闇を巡った。
中島みゆきの名曲に『誕生』がある。赤子の誕生を祝う歌詞の冒頭に「一人でも私は生きられるけど、誰かとなら、人生ははるかに違う」というくだりがある。一人でも生きていく覚悟とともに、誰かとともにある生の重みをこんなに平明な歌詞に盛り込んでいる。そう、誰かとなら<はるかに>違う人生があるのだ。
還暦祝いの赤い頭巾とチャンチャンコは遠慮したいとおもってきた。老人の刻印をおされるかのような儀式で、私のファッションセンスも許さない。が、私は還暦の意味を知った。十二支が5回巡って、私は赤子で生まれ変わるのだと。別れ行く悲しみと生まれ出ずる喜び、還暦まで命を与えていただいたものへの感謝。そのことをしっかり噛み締めさせられた還暦の誕生日であった。
多くのサラリーマンにとって還暦は同時に退職を意味し、リタイア又は第二の人生のスタートとなる。私もなんとか役所勤めを終えることができたが、退職後のことは1年前ほどから現実の課題であった。
阿寒に来て、松浦武四郎や前田一歩園創設者である前田正名という、幕末から明治の激動期を生きた先人達の生き方にふれる機会があった。書物の偉人伝だけでなく、その人が歩いた風土や見つめた風景、おもいを引き継いだ人達との出会いは、良質な旅をしているかのような日々であった。
この二人に共通するキーワードは「下野(げや)」である。<官職を辞して民間に下ること(『広辞苑』)>。武四郎は、北海道探検の業績を買われて、開拓判官(現在の道副知事にあたる)に就任するが、アイヌ政策を巡って対立し、職を辞す。前田正名は、明治政府の農商務長官(現在の事務次官)として政策立案に活躍するが近代化政策を巡って政府中枢と対立し、二度にわたって非職、つまり事務方トップの座を追われることになる。
いずれも、自分の生き方や考え方に妥協せず、結果的に下野することになるが、どうもこの二人には下野という言葉が似合わない。最初から、官が上で、民が下とか、出世のために妥協するといった振る舞いの痕跡がない。根っから野の人なのだ。
還暦を過ぎても、武四郎は本州の山岳や風土の調査、文化活動をとおして社会にかかわりを持ち続けたし、前田正名にいたっては民間産業団体の立ち上げで全国を奔走した。阿寒の森林開発や釧路での製紙工場の立ち上げ、そして前田一歩園の森づくりに携わるのは最晩年である。
私も「下野」をしようとおもった。もっとも私の下野は、文字通り野を下る(時には上る)暮らしそのものである、自然ガイドとしてのリスタートであった。二人の重みと全く比較にならないが、<誰かとともに>違う人生をリスタートさせたいという思いが決断させた。
後日、職場の仲間が還暦のお祝い会を開いてくれた。赤い頭巾とチャンチャンコ着用は覚悟していたが、赤子としてリスタートした気持ちの整理が私の気分を寛容にしていた。私がガイドをすると知っていた仲間が、アウトドア用の高級ブランドフリースをプレゼントしてくれた。そのフリースは目にも鮮やかな真紅であった。
アイヌにとって、赤は、アイウシという文様とともに、災い除けの色でもあるとのこと。阿寒の野山をガイドする時、この真紅のフリースが私の身を護ってくれるような心強さを感じた。
「私たちはどこからきて、何者で、どこへいこうとしているのか」。この命題を前に、まだ、旅の途中というおもいがよぎる。人の命は儚い。今日一緒に歩いている人と明日も一緒に歩いているかはわからない。還暦を過ぎたら、人生はおまけだともいわれる。余生という言葉もある。
しかし、いつ果てるとも知れない命について、どこか諦観せざるを得ない経験を重ねてくると還暦は再生の旅立ちと無理なくおもえてくる。
IMG_0006 私には常に持ち歩いているお守りがある。私と急逝した友人がお世話になった、本行寺の住職だった故菅原弌也さんの葬儀のお返しである。それは救済の「いのちの電話」というボランティア活動をしていた住職らしく、テレフォンカードで、そこには「生かされて生きる命を大切に」と直筆でしたためられている。
赤子として誕生したての私は、道に迷って、困った時にはこのテレフォンカードで天国の先人たちと交信するのである。