「きっちり足に合った靴さえあれば、じぶんはどこまでも歩いていけるはずだ」。須賀敦子のエッセイ『ユルスナールの靴』はこの魅力的な一節からはじまる。私のイタリア旅行は連れ合いに勧められたこの本から再起動した。若かりし頃の中国シルクロード紀行からずっと、いつかはイスタンブールからローマへつなぐ道を旅したいとおもい続けてきたが、そのおぼろげな夢に火をつけたのは須賀敦子のイタリア生活を綴った珠玉のエッセイたちであった。
東京に暮らす私の一人娘と夕食をともにし、東京駅八重洲口のバスターミナルで別れ、成田からイタリアへ向かった。
水の都、ヴェネチアの足は運河を行き来する船たちだ。見るものすべてが新鮮に感じるが、とりあえずルネッサンス文化の足跡を訪ねる予習にそって、ヴェネチア派の画家ティントレットの名画がある教会に向かい開館を待っていたら、若い女性に声を掛けられた。この時期、日本観光客にとってはローシーズンなのだそうで、アジア系でめだつのは中国や韓国のカップルや団体であった。大学の卒業式を終えて飛行機に飛び乗った彼女は予習なしのヴェネチア3泊の旅とのこと。ガイドの血が騒ぎちょっと絵の解説なんかをしていると何となく息が合い、一緒に行動する事になった。若かったときの海外旅行は行きずりの人との出会いが楽しみのひとつであった。今は60代の夫婦、彼女は20代前半、ロマンチックな予感はないが、これはこれでいいとおもった。
美術館や観光スポットを巡りながら昼時になったのでランチをと誘ったら、彼女の今日一日のこづかいは20€(約2600円)とのこと、学生は金がないのだ、でも金がないことを公言する爽やかさに若さのエネルギーを感じた。私も旅先でおごってもらったことがあった。時代は巡り、お返しをするチャンスが来たのだ、とおもった。それでも彼女は彼女なりのもてなしで、イタリアのお土産情報やスマフォのナビで教会探しをしてくれ、持ちつ持たれつのヴェネチア街歩きであった。食事の時に彼女が卒業式の祝い饅頭を食べようと言い出した。せっかくの記念品だからご両親に見せたら、といったがイタリアで賞味期限を迎えるため結局、3人でいただくことになった。箱を開けると紅白の2個づつの大学の刻印がされた祝い饅頭であった。その大学名は、なんと我が娘の大学であった。理系女の彼女は芸術系への転部も考えたが適わなかったとのこと、もしも芸術学部卒だと娘の後輩になったところである。
結局、朝の9時頃に出会い、夜の9時ころまでの即製親子のヴェネチア紀行であった。夜の水路に街路灯やヴァポレット(船)の航跡が浮かび、それぞれの安宿に戻るバス停で別れた。名前も聞かず、でも学生生活や就職先のこと、今の暮らしや将来設計など私たちも北海道の暮らしや旅への思いを語り合った。
私たちにとっては、一緒に行くことの出来なかった娘の替わりに1日だけのヴェネチアの娘であった。彼女にとっては、私たちはどんな風に映ったのだろうか。暗闇に消えていく彼女の後姿を見つめながら、彼女にとって”きっちり足に合った靴”に出会えることを祈らずにはいられなかった。