〈第九巻〉③難しい地名・面白い地名

【第九巻】 桂恋から厚岸へ
 難解アイヌ地名を愉しむ

初無敵(ソンテキ)はいろいろ呼び方があって意味の特定が難しい。扉写真と絵図(目賀田守蔭 北大北方資料データベース)と人の立っている位置が類似している
初無敵(ソンテキ)周辺を3枚の写真を合成した。実際はもっと広い湾になっている。上の絵図にイメージが近い。

難しい地名・面白い地名
▶アイヌ地名には様々な解釈があるが、釧路町が公式動画でアップしている「ふるさと地名の旅」から何箇所かご紹介すると、宿徳内は「アサツキがはえている沢」。跡永賀は二つあって、アトイ・カatui-ka(海の・上)とアトイ・オカケatui-okake(昔は海のあった所)。初無敵は色々な呼び名があって特定しづらいようだが、ソウン・トゥ(滝のある小山)という解釈も紹介している。知方学はチェプ・オマ・ナイ(魚の集まる処)。同じ意味合いで仙鳳趾がチェップ・オッ・イ(小魚〈ニシン〉が沢山いるところ)とのことだが、仙鳳趾はこの海岸線にある4つの漁港(桂恋、昆布森、老者舞、仙鳳趾)のひとつで、近年は厚岸と並んで牡蠣がブランドとして有名になっている。

目賀田守蔭の絵図によるセンポウシ(右手)。厚岸湾側から太平洋を望む。
現在の地名は「古番屋」になっている旧センポウシを訪れた。奥側が厚岸で岩崖の形状が絵図と似ている
南部藩士の楢山隆福が1810年に描いたセンポウシ(函館市中央図書館蔵)


▶この仙鳳趾にまつわる地名は少々入り組んでいる。現在の仙鳳趾漁港から南寄りに古番屋という地名がある。ここが昔の仙鳳趾である。仙鳳趾は様々な絵図に遺されている要所だ。文化7年(1810)の『東蝦夷地与里国後へ陸地道中絵図』は南部藩の楢山隆福という藩士が蝦夷地警備を命ぜられ、国後に滞在した後、帰路は陸路をこの太平洋沿岸沿いに箱館まで戻った。その時、描いた各地の番屋や会所の絵図が、当時の様子を伝えている。

旧センポウシは近年まで番屋として使われていた。廃屋に面影を偲ぶ


▶ボクは仲間と一緒に旧仙鳳趾である古番屋を訪れた。てっきり古い番屋のあった所という和名だとばかり思っていたら、さにあらず。アイヌ地名由来でフルパンヤ(崖の上の平らな場所)という意味だそうだ。絵図を見ると確かに崖の中の平らな箇所に建物がある。通行屋を併設していたと思われる番屋の他、蔵や小屋などが点在し、稲荷神社も見える。ここから厚岸会所を結ぶ舟便があったことも含め、それなりの賑わいを感じさせる。
現地には既に廃屋しかないが、建物の配置や、浜から望む景観には、絵図と重なるところがあり、往時を偲ばせた。(終り)