マリモの心
<このマリモ阿寒の顔です、心です>
地域でマリモの保護活動をおこなっている「阿寒湖のマリモ保護会(設立昭和25年)」がつくった標語である。
「阿寒湖のマリモ」は国の特別天然記念物、いわば生物界の国宝であるが、植物としてのマリモ(糸状から球状まで)の生息域は阿寒湖に限らず日本国内、北半球をメインにして世界中にひろがっている。しかし、阿寒湖がとりわけ有名なのは、球状マリモのほとんど唯一といっていい生息地だからである。近年、もう一箇所の球状マリモの生息地アイスランドのミーバトン湖は、ほとんど絶滅状態とのことで、阿寒湖は、まさに世界唯一の球状マリモ生息地となりつつある。マリモは今も昔も、阿寒の顔なのである。
和名由来の「鞠藻」は鞠のような藻なので、球状鞠藻をイメージしつけられた文学的なセンスの名前なのだ。生物的には、糸状のものもマリモではあるけれど、マリモといえば丸いもの、というイメージが阿寒湖をして唯一のマリモ(球状)生息地としてのブランドを世界に発信することになった。
しかし、なぜ阿寒湖だけに球状マリモが生息しているかの謎については、近年、釧路市の若菜博士をはじめ多くの科学者の研究が進み、そのベールがひらかれてきた。大胆かつ、超簡単にまとめれば、阿寒湖を取り巻くさまざまな自然環境が織り成す奇跡の球体化現象とでも言えばいいのか。(もう少し色気のある表現でまとめたいところだが…)
以前は、「球体になるのに数百年を要し奇跡のマリモは誕生する」といわれた解説も、今は「条件が整えば数年間で直径十五センチほどの球状マリモに成長する」ということで、謎が解ければなんとやら状態である。しかし、科学的な解明を経て、さらに阿寒湖だけに球状マリモが生息する奇跡は、その希少性を高め、ユネスコ世界自然遺産登録への動きにつながってきたところである。
阿寒湖が紅葉に彩られる10月8.9.10日の3日間、阿寒湖最大の祭りである「マリモ祭り」が開催される。昭和25年(1950)に第1回なので60年を超える歴史の祭りである。
私が阿寒湖温泉で暮らして、もっとも誤解していたのがこの祭りであった。
<誤解その1>
私はこの祭りがアイヌの伝統的祭りとおもっていた。しかし、祭りの出発点は、当時、阿寒湖の水力発電による水位低下で湖岸に打ち上げられたマリモを湖に還すことと、そして、お土産品として全国に持ち出されて売買されていたマリモを湖に還すこと、この2つの湖への帰還運動をコンセプトにした自然保護思想をもった活動が契機であった。祭りを機に地域には「マリモ保護会」が発足し現在まで活動が続いている。
<誤解その2>
この祭りはアイヌと和人がこの主旨にそって、協同で演出し創作したものであった。当時のアイヌ文化への世間の理解度を想像すれば、誠に大胆かつ先駆的な試みだったのではないか。一時は「西の雪まつり、東のマリモ祭り」というキャッチフレーズがあったように、歴史浅い北海道の風土をうつしだした個性的な祭りとして誕生したのだった。
マリモをお土産物として売買した当事者や電力開発や資源開発に関わっていた方も地域にはいたのであろうが、自然保護や民族融和を地域のコンセンサスとして祭りのカタチに組み立てた先人達のセンスと努力に敬服する。
マリモをアイヌは「トーラサンペ」と呼ぶ。「湖の御霊(妖精、時には妖怪のようなものといわれる)」といわれ、網に絡み漁の邪魔物として嫌ったものでもあるそうだ。「でっかいマリモを乾燥させて枕にした」という話も聞いた。アイヌにとってのカムイ(神)ではないのに、なぜ、カムイノミ(祈りの儀式)でマリモを崇めるのかが私にとって謎であった。
球状マリモ生息地で、過去の森林伐採の影響でマリモが絶滅したシリコマペツ湾に、最新技術によりマリモを復元する試みがはじまった平成21年のマリモ祭りで、祈念のカムイノミがおこなわれた。この時、おもいきってアイヌの方にこの私の謎をぶつけてみた。
「マリモを拝んでいるのではなくて、そのマリモを育む、水や湾や、森の神様に感謝して拝んでいるんだゎ。この祭りの発足時、全道のアイヌに参加を呼びかけて、これを機に各地のアイヌ同士の交流も生まれ、文化保存の動きにもつながったので、この祭りの意義はとても大きいんだゎ」。
マリモの保護を自然環境全体の保全につなげることを確認し、アイヌ文化をとおして、自然と人、アイヌと和人の共生を訴える、そんな大きな意義をもったマリモ祭り。
マリモは究極の「他力本願」の命だ。マリモは自力ではなく、周りが健やかで仲良く支えあって生きることを知らしめる「象徴」として、静かに阿寒湖の湖底に佇んでいる。
そんなマリモが年に一度「マリモ祭り」に陸に揚がり、人々に伝える「マリモの心」とは…。先人のおもいを知り、人と自然の共生のシンボル・マリモのメッセージに耳を澄ます祭りが今年も阿寒の秋を彩る。