『クスリ凸凹旅日誌』▶16話:ルネサンスに開眼した時

ヴェネチアは海と運河の香り、そして東洋と西洋の香りも入り混じった街

2016年3月26日~4月6日
イタリア~ベネチア・フィレンツェ・ロー マ
塩 幸子

真夜中のヴェネチア
 もう10年以上も前にカラバッジョ特集のテレビ番組を見た。絵筆の秀逸さに惹かれた。しかし荒ぶる性格で、揉め事を常に起こし、ついに殺人まで犯す。そしてイタリアの海岸で野垂れ死ぬ。その生き様に興味を持った。この殺人犯がイタリア紙幣の顔として印刷されている。犯罪者が日常使う紙幣に登場することなど日本では考えられない。そんなカラバッジョが犯罪以上に人々に感銘を与えた絵を求めて初めてのイタリアに足を向けた。
 全くと言っていいほど接触がなかった異文化をこの旅で、どこまで受け止められるのか。出発までは約3ケ月、こんな短時間では深い学びは無理だ。だが何も手つかずのままで行くわけにもいかない。
 ヴェネチア~フィレンツェ~ローマ、『地球の歩き方』を読みながら、この三つの街の地図を日々眺めて頭に入れた。次に主要な見所の確認。その歴史や成り立ち。図書館から関係本も借りてきた。読んで調べて浅い知識で旅立った。


 成田からローマ、ローマで乗り換えてまずはヴェネチアへ行く。乗り換えの飛行機がいつまでたっても飛び立つ様子がなかった。日本でなら客に納得のいく説明があるはずだ。機内の窓から見た外はすでに日が落ちて真っ暗だ。しびれを切らした客が時々叫びのような声を出して文句を言う(イタリア語)。あわてた様子もなく乗務員が声を荒げた客にだけ向いてなにやら説明している。そんなことを何度か繰り返し待たされること約2時間、どうにか動き出した。真夜中のヴェネチアに到着。頼んでいたタクシーは待ってくれた。時間の遅れはどうも日常的な事かと思われた。
 観光地である海に浮かぶ島の中ではなく、けっこう離れている郊外に宿はあった。翌朝、宿の近くの売店にバスチケットを買いに出かけた。売店は休みだった。次の売店を探しているうちにバスはやってきた。あわてて乗り込み目的地で降りた。タダ乗りだ。
 世界的な観光地であるこの世界遺産の浮島を朝から夕暮れまで歩いた。ティントレット、ティツィアーノ、二人の絵は見たような気がする。後で記すが私は腸が弱い。アカデミア美術館は記憶にある。浅い知識で学んだビザンチン様式の絵をなるほどと…。この広い美術館にトイレはワンフロアのみだったと思う。トイレに3回走り通った。たくさんの橋を渡り、水上バスに乗り、なんだかぼーっと一日が過ぎた。食いきれなかったこの街に今も残念な思いが残る。


 登山は悪天で足止めを決めざるを得ないことがある。計画には予備日を入れる。その予備日で下山後、旅先の美術館にはよく立ち寄る。私と連れは欲張りで目的地のほかに必ず近くの観光地や美術館を回るのだ。もうかれこれ30年くらい前のことになるが、日帰りで札幌まで何度か絵を見に出かけた。一人の時。娘と二人で。時には友人達とも。連れは全く興味を示さず一緒に出かけることはなかった。その後、退職した連れは私が買い求めた『芸術新潮カラバッチョ特集』を私よりその中にのめり込んだ。同雑誌のフェルメール、ブリューゲル特集も私より深く見入っていた。図書館で絵画関連の本を次から次と借りて、時には買い求め、いっぱしの専門家の様子を見せていた。なんだか先を越された感で勢いづいた連れとイタリアの旅を続けた。         

    
フィレンツェからローマへ
 フィレンツェは列車で2時間。快適だ。何といってもトイレ付きだ。バスはもう無理。高速道路なんか走られたらいきなりの途中下車はできない。安心してトイレに駆け込みたい。私は腸が弱く、下痢気味の体を抱えてここ数年暮らしてきている。いつ来襲するのかわからない敵が怖い。だからバスには乗れない。ガイド付きの旅の移動はほとんどがバスとなる。そんな中では旅はストレスの塊のようなものだ。
 フィレンツェ駅内でまずリュックを預けた。駅前のインフォメーションでフィレンツェカードを購入した。72時間有効50ユーロ。市内観光名所、美術館、交通機関の利用がほとんどOKだ。滞在2泊3日の私たちには都合のよいカードだ。しかし入口のカード提示でスパッと入れないところが多く、離れた場所でチケットを見せて整理券をもらわなければならない面倒なことも多々あった。どうしてスムーズに入れないのか??? だった。
 フィレンツェカード片手にインフォメーションを出て少し歩く。数分で道を折れて見上げるとフィレンツェの象徴、花の聖母教会ドウォーモがそびえ立っていた。いきなりの出会いだった。その大理石の堂々たる姿にただ引き込まれた。
 白、ピンク、グリーンの大理石。幾何学模様で飾られている。ぐるっとひと回りした。全体がそのいで立ちだった。ブルネレスキ設計。何度も読んで覚えた名前だ。クーポラ(塔)に登った。螺旋階段のようにぐるぐる回りながら一列に並んだ人々が一段一段上る。終了ギリギリに登り口に並んだのでスムーズに登れた。午前中はドウォーモを取り巻くような長蛇の列だった。クーポラから街が一望だった。ルネサンスを迎えてダ・ヴィンチ、ミケランジェロ、ラファエロなどの巨匠たちが行き交った街を見下ろした。2007年に他界した弟の写真を取り出して街全体を見せた。主要な観光範囲を歩いて回れるこの街を、学んでようやく覚えた建物や広場に次々と出会えた。下準備はこの街に一番時間を費やしたのだ。隆盛を極めたメディチ家リッカルディ宮が私の一番の楽しみだった。支配者コジモがゴッツォリに依頼して描かせた部屋の壁一面のフレスコ画『東方三賢者の礼拝』だ。三賢者はメディチ家の主要人物3人の姿に描きかえられている。あまりにも美しい壁画だ。写真OKだった。だが連れのとんでもない失態で写真は一枚もなく。辛い思い出となってしまった。残念!


 フィレンツェからおよそ2時間、ローマに着いた。この旅の最後の街だ。イタリア一の都市でも地下鉄は二本ポッキリ。東京のとことん掘り尽くされた迷路のような地下鉄と比べるとなんとも心細いが、動きやすくわかりやすさが良かった。ローマは掘れば次から次と出現する遺跡で調査しながらの建設はそうそう簡単ではないようだ。現在3本目を建設中と聞いた。
 フィレンツェのホテルで朝、階段を踏み外して、足首を捻挫していた。ローマ散策中に痛みが増しホテルに戻った。明日のバチカンはどうなるかと思いつつベットに横になった。夕食を抱えた連れが戻ってきた。ほんの数時間だが結構回復していた。翌朝、痛みはほとんどなくなり計画通りにバチカンに向かった。今回の旅で初めてガイド付きのバチカンだ。日本人専門のガイドさんに7人の個人旅行客が集まった。ローマの歴史、バチカン周辺の建物の話を聞いて、いざバチカンの内部に。一般の入場口とは別のガイド専用の入り口から待たずに入場となった。ミケランジェロのピエタ、システーナ礼拝堂の天井画、そして最後の審判はやはり圧巻だ。
 そしてカラバッジョだ。バルベリーニ宮『ユディット』の衣装の白いブラウスに心を奪われた。超細密画とは異なる味のある布タッチが好きだ。フランチェージ聖堂のバロック絵画を代表するといわれるマタイ三部作でも『聖マタイと天使』の天使の身に巻きついた白い布もぐるぐる巻きだ。ポポロ教会の2枚も好きな作品だ。ポポロとフランチェージは祭壇画。門外不出で世界中どこへも貸し出しはできないだろう。ここでしか会えない。今回のローマでは見ていないカラバッジョの作品がまだまだある。再度のローマで会いたい。連れは南イタリアにも祭壇画を見に行きたいと力説している。