観光地にとって一番重要なものは観光資源である。風光明媚な自然景観に出会ったり、お伊勢参りのような信仰行事であったり、時代の変化に応じてその資源の内容も千変万化。観光資源の掘り起こしというのが観光振興策にとっては重要な活動である。それは有形であれ無形であれ、人々にその地に赴いて体感する観光行動の源泉である。
近年、気象現象が観光資源として脚光を浴びている。フロストフラワー、アイスバブル、ジュエリーアイスなど特に冬の極寒期における気象現象に新たな観光資源としての魅力発信が期待されている。流氷が観光資源として脚光を浴びたのはボクが小学生高学年頃からだと思うので、かれこれ半世紀。それ以降、けあらしや蓮の葉氷、ダイヤモンドダストなどプチヒットの観光資源も登場した。登場したというより掘り起こされたと言った方がしっくりくる。気象観光は見るだけではなく体感することが魅力の本質に近づくことになるので自然体験とセットで観光資源化されて行くのだろう。
18世紀の英国絵画は風景画に新たな境地を開いて行くのだが田舎の何気ない風景が産業革命真っ盛りの時代にあって人々の心を癒した。そしてその延長上にウイリアム・ターナー(1775-1851)という天才が現れ<気象>という画題を絵画に持ち込んだ。それは雨や雲や霧やいわば大気・空気感を描き出した。抽象画やその後の印象派への影響もたらしたともいわれるが 、僕はマクロからミクロへ、大局から細部へ、どこか必然的な心持ちの変化のようにも思われる。気象は最も身近な環境変化を体感できる素材である。八百万の神の意志を御神渡りという気象現象から読み取った先人たちのセンスは我々にも引き継がれ、この分野の更なる可能性を感じさせる。
季節や年次変動に左右され、特定の発生条件や不定期であることなど気まぐれな観光資源ではあるが、気象予測が進化する現代、<観光予報>という情報発信へ進化するに違いない。細部に神は宿る。コロナ禍のなか、日常や身の回りの環境に目を開けば小さな変化への気づきが生まれる。それは古来からの美意識である<わび・さび>の世界にもつながっているようにもおもう。