釧路駅から幣舞橋までの約8百mはかつての中心街で、今は郊外の国道沿いに遷ってしましました。現在の北大通は金融機関やホテルが目立ちますが、釧路市の中央図書館もあります(北海道銀行の2階以上の階)。その並びにローソンがあって、その奥にあるのが喫茶「なつかし館~蔵」。中野さんという個人蒐集家が集めた華やかなりしころの釧路を伝えるアイテムが満載の喫茶店です。新刊『復刻阿寒国立公園の三恩人+プラス』の新聞取材の合間に「蔵」で一休み。いつもながらオールド釧路を思い出すひととき。おにぎり+おやきでランチ。昭和レトロの雰囲気も充満しております。是非一度、旅先の歴史にも触れてみてください。
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道東の春一番の花
4月5日、新刊『復刻阿寒国立公園の三恩人+プラス』の配達で阿寒湖温泉に行ってきました。道東の春一番の花はフクジュソウでしょう。雪割でさく黄色の花弁は太陽を浴びて輝きます。山岳エリアに入ると車からも黄色い群生を見つけることが出来ます。アイヌ料理のカフェ「ポロンノ」で仲間の注文したユックオハウ(鹿肉入りの汁物)にはフキノトウも見っけ! まだまだストーブは必要で、車もスタッドレスですが、一週ごとに早春の変化を見つけることのできる季節です。
投稿再開します!新刊発売開始!!
前回の投稿が2023.5.30でほぼ1年近く、投稿していませんでした。ガイド業を終了し、少し時間にも気持ちにも余裕ができそうなので、出来るだけコンスタントに観光情報や当舎のPR、私の心持を投稿したいと思っています。お付き合いください。
ということで、いきなりPRですが、当舎新刊『復刻阿寒国立公園の三恩人+プラス』が4月1日に発刊されました。釧路市内の書店や観光施設等にはおいているのですが、ご希望の方には郵送サービスもしますので、よろしくお願いします。筆者の種市佐改は冒頭で「観光は愛情産業。優しい自然愛、旅行者への人間愛、熱烈な郷土愛…」とおっしゃる根っからの観光人。故人ですが昭和40~50年代、冬の観光がまったくなかった時期に、三白観光(タンチョウ、ハクチョウ、流氷)の提唱し、現在の道東観光の発展に尽力した方です。
また、種市さんは観光に関する地域資料の蒐集や執筆なども精力的におこないました。その道東観光の魅力を発信し続けた種市佐改さんの名著『阿寒国立公園の三恩人』を復刻し、私も含め編集者3名のあたらな原稿をプラスしたのがこの本です。今、よみがえる阿寒摩周国立公園誕生の秘密。
ヒグマ防災対策訓練をしました
ボクが所属している NPO法人「 釧路湿原やちの会」のメンバーとヒグマ 撃退スプレーの実証訓練をしました。日頃、湿原周辺でガイドをする機会が多いので安全対策の手段としてメンバーはヒグマ 撃退スプレーを所持していますが、なかなか使う機会はないので、古いスプレーもあるので実際に使用してみるいい機会となりました 。ものによって違うのですが、だいたい10m 以内で使うことになっているので、目標物を5mに設定してその距離感も含めて噴射訓練をしました。なかなかこの距離までヒグマが接近するのを待って使うのは、ちょっと忍耐力と勇気が試されますが、このような訓練をすることで頭の中にイメージを置いておくことができて有意義な体験だったと思います。使用期限を5年ぐらい過ぎたものはまだ使えましたが、それ以上のものはやはり噴射力が弱くて使えません。 ボクは今年入れ替えて、スズメバチ撃退スプレーとセットでいつも携帯しています。使わないのに越したことはありませんが、備えあれば憂いなしですね。
『松浦武四郎と行く~新・道東紀行』の修正について
拙書『松浦武四郎と行く~新・道東紀行』をお買い上げいただいた方、ご購読いただいた皆様には心より御礼申し上げます。
いろいろ勉強しながら記述してきましたが、ところどころに間違いがあり、この場をかりて修正をお願いしたいと思います。
246頁の大雪山の山名由来で、
松田岳(松田伝十郎)と永山岳(永山在兼)のそれぞれの人物に由来した山名と表記しましたが、松田岳は松田市太郎。永山岳は永山武四郎に由来する山名で、修正をお願いいたします。
また、これに関連した表記で32頁の松田伝十郎に関する囲み記事の後段、「大雪山には名を冠した松田岳がある。」を削除願います。
【間違いの言い訳】
・毎年のように大雪山には行っていて、お鉢周りという外輪山を歩いてました。間宮岳があり松田岳もあり、樺太探検をした両探検家のつながりが頭にあり、長い間、松田伝十郎に由来すると思い込んでおりました。松田岳の由来は安政4年に大雪山を踏破し、石狩川水源を発見「イシカリ川水源見分書」を遺した松田市太郎の功績に由来するとのことです。
・永山在兼は道路技師として阿寒国立公園の道路を拓き、そのことで国立公園化を果たした道東地域発展の恩人です。明治時代に、陸軍で北海道に赴任し屯田兵本部長と北海道長官も兼任し北海道開拓に尽力した永山武四郎も同郷(鹿児島県)でつながりもあるのですが、こちらは私のはやとちりでした。
齢を重ね、ますます「おもい込み」「はやとちり」「かんちがい」が多くなり自戒しております。「お・は・か」チェックで気をつけますが、これからも同様の事例があるかもしれません、その際には、随時修正させていただきます。引き続きよろしくお願いいたします。