めっきり秋めいてきた釧路地方です。台風17号が通過して、空の色が替わりました。キラコタン岬の基点である鶴居村周辺の秋の景色です。今年は、ヤマブドウやミズナラの実(ドングリ)が結構目立ちます。クマさんたちも喜んでいるでしょうか。タンチョウはデントコーンの刈り跡で餌をさがす姿が目立つようになりました。まさに鶴居村の名を実感する季節です。キラコタン岬への道には酪農家の離農後の牧草地があります。びっしりはえたコゴミが紅葉し夕日に染まってきれいでした。芦別川を覗くとサケたちが遡上に真っ盛り。秋本番の鶴居村です。
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マリモの心 <ガイドエッセイ『旅する阿寒』第9話>
マリモの心
<このマリモ阿寒の顔です、心です>
地域でマリモの保護活動をおこなっている「阿寒湖のマリモ保護会(設立昭和25年)」がつくった標語である。
「阿寒湖のマリモ」は国の特別天然記念物、いわば生物界の国宝であるが、植物としてのマリモ(糸状から球状まで)の生息域は阿寒湖に限らず日本国内、北半球をメインにして世界中にひろがっている。しかし、阿寒湖がとりわけ有名なのは、球状マリモのほとんど唯一といっていい生息地だからである。近年、もう一箇所の球状マリモの生息地アイスランドのミーバトン湖は、ほとんど絶滅状態とのことで、阿寒湖は、まさに世界唯一の球状マリモ生息地となりつつある。マリモは今も昔も、阿寒の顔なのである。
和名由来の「鞠藻」は鞠のような藻なので、球状鞠藻をイメージしつけられた文学的なセンスの名前なのだ。生物的には、糸状のものもマリモではあるけれど、マリモといえば丸いもの、というイメージが阿寒湖をして唯一のマリモ(球状)生息地としてのブランドを世界に発信することになった。
しかし、なぜ阿寒湖だけに球状マリモが生息しているかの謎については、近年、釧路市の若菜博士をはじめ多くの科学者の研究が進み、そのベールがひらかれてきた。大胆かつ、超簡単にまとめれば、阿寒湖を取り巻くさまざまな自然環境が織り成す奇跡の球体化現象とでも言えばいいのか。(もう少し色気のある表現でまとめたいところだが…)
以前は、「球体になるのに数百年を要し奇跡のマリモは誕生する」といわれた解説も、今は「条件が整えば数年間で直径十五センチほどの球状マリモに成長する」ということで、謎が解ければなんとやら状態である。しかし、科学的な解明を経て、さらに阿寒湖だけに球状マリモが生息する奇跡は、その希少性を高め、ユネスコ世界自然遺産登録への動きにつながってきたところである。
阿寒湖が紅葉に彩られる10月8.9.10日の3日間、阿寒湖最大の祭りである「マリモ祭り」が開催される。昭和25年(1950)に第1回なので60年を超える歴史の祭りである。
私が阿寒湖温泉で暮らして、もっとも誤解していたのがこの祭りであった。
<誤解その1>
私はこの祭りがアイヌの伝統的祭りとおもっていた。しかし、祭りの出発点は、当時、阿寒湖の水力発電による水位低下で湖岸に打ち上げられたマリモを湖に還すことと、そして、お土産品として全国に持ち出されて売買されていたマリモを湖に還すこと、この2つの湖への帰還運動をコンセプトにした自然保護思想をもった活動が契機であった。祭りを機に地域には「マリモ保護会」が発足し現在まで活動が続いている。
<誤解その2>
この祭りはアイヌと和人がこの主旨にそって、協同で演出し創作したものであった。当時のアイヌ文化への世間の理解度を想像すれば、誠に大胆かつ先駆的な試みだったのではないか。一時は「西の雪まつり、東のマリモ祭り」というキャッチフレーズがあったように、歴史浅い北海道の風土をうつしだした個性的な祭りとして誕生したのだった。
マリモをお土産物として売買した当事者や電力開発や資源開発に関わっていた方も地域にはいたのであろうが、自然保護や民族融和を地域のコンセンサスとして祭りのカタチに組み立てた先人達のセンスと努力に敬服する。
マリモをアイヌは「トーラサンペ」と呼ぶ。「湖の御霊(妖精、時には妖怪のようなものといわれる)」といわれ、網に絡み漁の邪魔物として嫌ったものでもあるそうだ。「でっかいマリモを乾燥させて枕にした」という話も聞いた。アイヌにとってのカムイ(神)ではないのに、なぜ、カムイノミ(祈りの儀式)でマリモを崇めるのかが私にとって謎であった。
球状マリモ生息地で、過去の森林伐採の影響でマリモが絶滅したシリコマペツ湾に、最新技術によりマリモを復元する試みがはじまった平成21年のマリモ祭りで、祈念のカムイノミがおこなわれた。この時、おもいきってアイヌの方にこの私の謎をぶつけてみた。
「マリモを拝んでいるのではなくて、そのマリモを育む、水や湾や、森の神様に感謝して拝んでいるんだゎ。この祭りの発足時、全道のアイヌに参加を呼びかけて、これを機に各地のアイヌ同士の交流も生まれ、文化保存の動きにもつながったので、この祭りの意義はとても大きいんだゎ」。
マリモの保護を自然環境全体の保全につなげることを確認し、アイヌ文化をとおして、自然と人、アイヌと和人の共生を訴える、そんな大きな意義をもったマリモ祭り。
マリモは究極の「他力本願」の命だ。マリモは自力ではなく、周りが健やかで仲良く支えあって生きることを知らしめる「象徴」として、静かに阿寒湖の湖底に佇んでいる。
そんなマリモが年に一度「マリモ祭り」に陸に揚がり、人々に伝える「マリモの心」とは…。先人のおもいを知り、人と自然の共生のシンボル・マリモのメッセージに耳を澄ます祭りが今年も阿寒の秋を彩る。
うれしいニュース
今朝(2015.9.5)の北海道新聞にうれしい記事が2題のってました。一つは、今年の釧路市市民貢献賞で、我が自然ガイドの師匠ともいうべき大西英一さんと阿寒クラシックトレイルでいつもボランティアでサポートいただいている小瀬泰の受賞が決定したとのことです。それぞれ釧路の環境教育と農業振興に大きな功績をはたしている御両人のますますのご活躍を心から祈念したいとおもいます。もう一つは、道と北海道観光振興機構が学生対象におこなった、「道東観光プラン」のコンペに道外から唯一選ばれた愛媛大学の学生プランが「松浦武四郎の足跡をたどる旅」とのこと。何といっても、道外の若者が武四郎をテーマにしてくれたことに感謝です。最終選考はこれからだそうですが、決定の暁には是非、協力したいですね。
いつも歩いている遊歩道だけど
いつも歩いている美原外周散歩道。こんなにキノコを見たのははじめて。私の眼がキノコ目になったのか、環境が変ったのか?ちなみに造成約30年以上となり、樹木にも劣化が顕著。主要樹種はキタガミハクヨウ(ドロノキとヤマナラシのF1)とカラマツです。ちなみに私はネイチャーガイドとはいえ、キノコ部門は初心者ですので、けっして情報はあてにしないでくださいね!
アイヌ地名を訪ねて<ガイドエッセイ『旅する阿寒』第8話>
アイヌ語は、通常、単語の意味の組合せで構成されることが多い。野鳥を例にとれば、アイヌ名がついたもので有名なのはエトピリカ。エトは嘴、ピリカは美しい、よって「嘴の美しい鳥」となる。エトピリカとともに、世界のバードウォッチャーが東北海道周辺でしか見ることのできない鳥として珍重するケイマフリも、ケイマは脚、フリは赤なので、「赤い脚の鳥」となる。
北海道をガイドする時、アイヌ語は動植物のみならず、風土を知る道しるべにもなる。
釧路から阿寒湖温泉までの国道240号(通称「まりも国道」)は自動車が通るようになる前から、人馬の往来があった道である。
1810年に幕府は北方有事に備えて、釧路と網走を陸路でつなぐ道として、山道を開削した。これを「網走山道」という。私は、阿寒の仲間たちと古道の研究会でこの山道跡を歩いているが、現在の白水フレベツ林道入口から約2キロほど先のイタルイカというところまでは、ほぼ現在の国道がこの山道と重なる。阿寒川と併行している経路であり、川沿いに道が拓かれていったのであろう。
安政5年(1858年)、6度目の蝦夷地探検における武四郎の探検調査目的の一つは、この網走山道の状況確認であった。
北海道のアイヌ地名を語る上で、武四郎は外せない。なんといっても六度の蝦夷地探検では、同行のアイヌ案内人とともに、約1万件にもならんとする地名を地図におとしている。1859年に発刊された『東西蝦夷山川地理取調図』は、武四郎蝦夷地探検の地図版集大成であるが、これは釧路市立図書館地域資料室で復刻版が閲覧できる。私も見せていただいたが、現在も使われているアイヌ地名が克明に地図におとされている。
アイヌ地名で特に登場頻度が高いのは、~ナイ、~ペッという川や沢を表す地名だ。阿寒にも布伏内(ふぶしない)、徹別(てしべつ)、飽別(あくべつ)、オンネナイ等、今も現役地名が川沿いの集落や河川名として活きている。ナイとペッの違いについては、ナイは小さい川で、ペッは大きい川だとか、穏やかなのがナイで、洪水で荒れる川をペッとつける等々、諸説あるが、地域差もあるようで、ここは研究者におまかせ。
さて、身近なアイヌ語学習の1丁目1番地はなんといっても「地名」である。国道を走りながら、時に古道を歩きながら、地理地形をあらわしたアイヌ地名を確認する事が出来る。
地名講座その一。同じ地名が全道各地にある例で、たとえば、「ワワウシ」という地名は、ワワは川を渡る、ウシは多い、よって<川を渡る人が多い処>という意味になる。阿寒川にも、支流の舌辛川にもワワウシという地名があり、なるほどそこは川を渡って対岸に行くのはもってこいの場所だ。
その二、もっと一般的なのは「ルベシベ」。北見地方に留辺蘂町があるが、<峠を越える道>の意味で、全道各地にある地名である。阿寒湖畔を越える山道にもルベシベがある。
自然ガイドをしていて、アイヌ地名の魅力を現場で実感する事がある。マリモ国道が阿寒の山に入ってから湖畔との中間あたりに阿寒橋という小さな橋がある。この橋は阿寒川に流れ込む白水川(しらみずがわ)に架かっている。白水川というのは和名で、アイヌ地名はワッカクンネナイという。ワッカは水、クンネは黒、ナイは川を意味するので、和名に直訳すると黒水川になるが、どういうわけか、和名は白水川なのだ。この川は雌阿寒岳東側中腹に源を発しているが、少し強く雨が降ったときは真っ先にこの川水が白濁して、というより泥水化して阿寒川に合流する。阿寒川本流は阿寒湖に源を発し、川の両岸は立派な河畔林が繁茂し、相当の降雨でないと濁らないので、この合流点で綺麗な阿寒川本流と白濁した白水川が合流し、ブラックチョコとミルクチョコのダブルチョコ状態になるのを何度も目撃した。
研究者曰く、和人は火山の噴出物で白濁した水を見て白水川といい、アイヌは川底の黒い安山岩を見て、ワッカクンネナイと命名。それぞれの感性の違いが現れている、とのことだが、確かに白っぽくもあり、黒っぽくもある川ではある。
この白水川沿いに白水フレベツ林道が通っており、山中に数キロ入ると、今度はフレベツ川が白水川に合流する小橋がある。冒頭に赤い脚の鳥(ケイマフリ)の名称由来をお話したが、フレベツ川はフレ(赤い)・ペッ(川)で赤い川である。この川は正確にいえば錆びた茶色に見える。上流にかつて渇鉄鉱の鉱山があったところで、鉄分が川底の岩に付着して錆色になり、川が赤く見えるところから命名されたことがわかる。このフレベツ川が白水川に合流するところが、まさに白い水に赤い水が流れ込んでいるようで、なんとも不思議な景色である。百聞は一見にしかず、とはこのこと。ガイド案内冥利につきる隠れた(誰も隠してはいませんが)名所ではある。
ロングトレイルで網走山道を歩き、阿寒川から支流沿いに坂を上り、ルベシベを越えると湖岸の阿寒川源流部である滝口につながる。滝口はアイヌ語でソーパロ。ソーは滝、パロは口なので直訳だ。阿寒湖の河口は細い入り江になっており、アイヌ語でクッチャロ、喉を意味する。屈斜路湖はもとより、釧路川口に開かれた釧路の地名由来の一つでもある。
私が和人とアイヌの自然のとらえ方の違いを知ったのは、和人は川を下る視点から右手を右岸、左手を左岸というが、アイヌは川を上る視点で右手を右岸、左手を左岸、そして、人体にたとえて河口から喉をとおり、湖に入っていく方向感だ。
どちらが正しいとか、間違っているとか、統一すればいいとかの問題ではない。この違いこそ多様な価値観や感性を認め合い、<人と自然>や<人と人>が共存する上でベースとなるものとおもう。角度が違えば、白も黒に、右も左になるわけで、多様な価値観の源をアイヌ地名から教わるのである。