先日、1年間続けてきたピアノ教室の発表コンサートがおこなわれた。還暦を機にはじめたことの一つがピアノ。個人レッスンを週1回続けてきたが先生には、「歳になってはじめることなので、弾きたい曲をやりたい」というリクエストを出した。私は数曲のピアノで弾きたいお気に入りがあったが、その一つが『トロイメライ』だった。シューマンの「子どもの情景」という小曲集のひとつで、「夢」とか「夢見心地」という意味だそうだ。
この曲へのおもいは、大林宣彦が尾道を舞台に描いた映画『転校生』の挿入曲で印象的に使われていたことにあり、さらに私自身が映画仲間と製作した8mm映画『第三の男’77』は、大林の初期の実験映画である『伝説の午後 帰ってきたドラキュラ』へのオマージュで、私の映画への記憶につながっていく。
今月の21日、義母がファンであるピアニスト、フジコ・ヘミングの札幌公演に同行した。ピアノをはじめたから数ヵ月後、『トロイメライ』に取り組んだとき、YouTubeで有名ピアニストの聞き比べをした。その時、「これなら自分もできそうだ」とおもわせたのがフジコ・ヘミングだった。それから数ヶ月、やっとなんとか簡単に編曲したものを弾けるようになり、私のピアノへのおもいは一つ、小さい実を結んだ。
さて、札幌のフジコ・ヘミングは、ショパン、ドビッシー、ブラームスの名曲と彼女の十八番であるリストの「ため息」そして「ラ・カンパネラ」でコンサートを締めくくり、観衆の大喝采を浴びた。決して若くはない彼女はアンコールはやらないのでは、との話も聞いていたが、再登場し、短い謝辞の後、アンコールの曲をおこなった。
それは、平明で、ピュアで、素朴な演奏であった。超絶技巧の演奏の後であったので一層際立つほどのシンプルさであった。「これなら私も弾ける」。再び、そう思った。純真であることは可能性を開くドアである。自分自身の「子どもの情景」をイメージしながら、『トロイメライ』に身を浸し、トロイメライがつなぐ縁を夢見心地で回想した。
人生初めてのピアノコンサート出演は、アッという間に終了。手が震え、普段しないミスを重ね、頭の中が白くなった。そんな甘いものではないことを体感した。
しかし、私の小さく実を結んだピアノへのおもいは、音楽の神様がつないだ縁をとおして、少し熟していたように感じた。
雌阿寒温泉周辺に人が定住移住してきたのは、明治30年代の造材、漁業、そして硫黄鉱山である。その痕跡を探訪するため雌阿寒岳の硫黄鉱山跡をスノートレッキングした。阿寒クラシックトレイルの仲間が案内してくれ、雌阿寒岳北西側の西山・瘤山周辺を探訪。人や資材を搬送するためのリフト跡が山頂近くまで伸びている。地図で見ると標高800mくらいなので、まだまだ山頂は先なのだが、先人の労苦の偲ぶ痕跡が随所に残っていた。仲間のスペシャルランチで満喫の山旅でした。
11月1日阿寒湖まりむ館で開催された「トレイルラン&ノルディックウォーク シンポジウム」にパネラーの一人としたご招待され、参加してきました。北海道のトレイルランニングの第一人者武田渉さんをメインに、阿寒湖鶴雅グループでノルディックウォークの普及に尽力されている高田茂さんと、私の3名で阿寒湖の自然の魅力開拓についてお話をしました。旅行が多様化しているのは昨今の現象ではありませんが、ことアウトドアに関して言えば、欧米より導入されたスポーツやエクササイズでバリエーションがさらに増しているところです。3者の共通意見は、阿寒湖温泉が温泉街からダイレクトに自然と隣接しているところが、アクティビティを準備したり楽しんだりする利用者側からは大きな魅力とのことで一致しました。しかしながら、その利活用はまだまだ不足しており、新たなアウトドアスポーツの導入で温泉地の可能性を拓きたいのが主催者であるNPO法人阿寒観光協会まちづくり推進機構の意図です。パネラーからは、地元にそのスポーツが理解されることの重要性やフィールドの可能性などの調査や研究に時間が必要との発言もあり、安全管理上の課題等もそれぞれのアクティビティは違うが、共通で課題整理していけるのでは、との意見もありました。トレイルランの武田さんは、来シーズンでも仲間と調査に来たい、との意向を示され、地元のやる気にも感心していました。私も、今の阿寒クラシックトレイルルートだけではなく、トレイルランと共通で開拓できるロングトレイルルートもあるのではないかと密かに来年の計画におもいをめぐらせました。
釧路湿原、阿寒・摩周の2つの国立公園をメインに、自然の恵が命にもたらす恩恵を体感し、自然環境における連鎖や共生の姿を動植物の営みをとおしてご案内します。また、アイヌや先人たちの知恵や暮らしに学びながら、私たちのライフスタイルや人生観、自然観を見つめ直す機会を提供することをガイド理念としています。