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北北西に進路をとって。

大日岳からの絶景。手前、奥大日岳。中央、剣岳。左奥、白馬岳連峰。

毎年恒例の山岳研修報告です。
体力の限界も近づきつつある(既に過ぎているのだけど)ここ数年は日本の有数の山岳路踏破を目指してきました。
それも終盤に近づき、難関の南アルプス縦走を計画しました。予備日、下山後の観光視察も入れて7泊8日の壮大な計画。出発が近づきつつあるなか、どうやら台風15号の動きが怪しく、このままだと南アルプス直撃!
今回予定の荒川三山、赤石岳山脈縦走3泊4日は奥深く、入山までまる1日かかるほど。もしも、台風でアクセス道路が寸断されたら大変。まかり間違えば、ずっと帰ってこられなくなるのでは、との妄想も駆け巡り、東京に到着して急遽、目的地を台風の影響の少ない北北西に進路変更した。目的地を決めたのも東京着後だったので、登山仲間から地図をスマホで送ってもらい、同じくスマホで直前台風予報をチェックしながらの決定。
スマホと新幹線、これがドタキャン変更登山を実現させた原動力。台風には勝てないが、うまく使えば文明の力は凄いもんだ。年寄り頭には相当疲れる所業だったが、これもいずれはAIがサポートしてくれそう。
変更先は日本有数の山岳リゾート立山。早朝の新幹線に乗って富山まで約2時間、富山電鉄に乗換え立山駅からバスで登山口の称名滝についたのはほぼ正午。日本一の落差を誇る滝を愛で、期待はずれの山菜蕎麦をかき込んで、いざ、目指すは大日岳・奥大日岳の2泊3日縦走。

日本最高落差(350m)を誇る称名滝

ここまでは超順調に文明の力を実感したが、これからが大変だった。
台風の影響か、とにかく暑い。もう秋の気配の釧路からいきなり35℃の世界へ。そして標高差1000mくらいを登らなければならない現実。南斜面で陽はカンカン。給水とリンゴやゼリー飲料が五臓六腑に染み渡る感じ。やっとのおもいで夕暮れ時に大日平に到着。ここは立山弥陀ケ原湿原という我が国で一番高いところにあるラムサール登録湿地でもある(現地の説明版で初めて知ったんだけど…)。初日の泊まりの山小屋にやっと到着したら、山小屋の主人が「塩さ~ん、お風呂沸いてますのでどうぞ~~」。ちょっと耳を疑ったが、確かに本州の山小屋ではお風呂や場所によっては温泉を使える山小屋もあるが、この時はまさかの坂。こんな山奥でお風呂に入れて、入口で確認したアサヒドライビール350ml700円もいただけるなんて。
風呂上り、夕日の山々を眺めながら冷えたビールで安着祝い。お客も私たちをいれて5名。何んとも言えない幸福感が全身を包んだ。

日本有数の山岳リゾート立山へは立山駅からは専用バスだけが走る専用道
山小屋での風呂上りのビール。言うことなし!


 さて、2日目も快晴。前日の疲労回復と今日のパワーアップのため秘薬アミノバイタル3500mmgを飲んで出発。目指す大日岳は標高2501mなので、今日も標高差1000mを一歩一歩。私の経験では、アミノバイタルは約2時間が効力維持時間。快調な前半は早朝でまだ陽も当たらず、気温もそれほどでもなかったが山頂に近づく頃から前日並みの暑さ(高度は上がっているから気温は昨日より低いはずだが…)。おまけにアミノバイタルも切れてきて、赤ランプ点滅状態で大日岳頂上。ここからさらに稜線づたいにアップダウンを繰り返し奥大日岳をめざす。「奥」とつくからには奥なんである。遠いのであ~る。
陽はカンカンと照らし続け、山小屋で買った400円のジュースもアッというまに飲んでしまい、限界が近づきつつある。
こういう状況だと夫婦喧嘩が勃発しやすい。案の定、今日の宿泊山小屋を確保していないので、早めに電話したらいい、とか、電話がつながらない、とか、なんでこんな山の上なのに電話がつながらないんだ、とか…。水を絞りきったボロボロ雑巾みたいになって、夕刻、やっとみくりが池温泉小屋に到着。温泉に浸かって、評判の食事をいただき、急転直下・大日岳縦走登山は無事終了。

弥陀ケ原湿原の地沼を抜けて登坂路へ
山頂は今年一番と言う快晴

人生でこれほど汗をかいたことはなかった、とおもわせるほどの発汗と今年一番という快晴のなかの山行であった。
教訓。これからの気象変動の激しい昨今、スムーズに旅行をするには、的確な情報収集と迅速な旅程変更、さらには事前の変更プランも念頭においた計画作りが重要になる。本番の登山も楽しかったが、前後の旅程調整にも感慨深い研修登山であった。

下山時にであったライチョウ一家
踏破ルートを振り返る
みくりが池に映る立山連峰の雄姿

凸凹海外研修報告その1(スペイン編)ガウディ恐るべし

開業以来毎年2回ずつ国内外の観光地を視察している。「遊びじゃないの?」という声も聞こえるが、研修なんである。報告もし、成果も仕事に反映しなければならない。まあ、旅行者の立場で仕事を再点検する意味では、遊びの気分も大切ではある。
さて、今回はスペインとはいってもバルセロナ、マドリッドの二大都市とイタリア、ローマの8泊10日間の旅であった。類比的に考えるタイプなので、バルセロナで言えば、共通項である港町を軸に、ガウディ建築物(毛綱建築物)、サン・ジョゼッペ市場(和商市場)、地中海海鮮料理(太平洋海鮮料理)なんかが比較項目になってくる。

■建築物や街並みの魅力
アール・ヌーボー(新しい芸術活動)の時代にフランスやスペインで活躍した、芸術家たちのなかでアントニオ・ガウディは最も著名な建築家だとおもう。いうまでもなくサクラダ・ファミリア教会の設計者かつ施工者でもあるが、ガイディは工期途中で不慮の死(交通事故)でなくなり、かつ設計図も戦争中に消失したので現在は継承者たちが2026年の完成を目指して試行錯誤しているそうだ。ガウディ建築物は有名なもの(世界遺産に指定されているような)だけでも5棟くらいあって、その他の建築家たちの作品が街中にあって、相当奇抜なものも多いが街の景観に溶け込んでいるところが凄い。はっきり言えば、これはバルセロナのオンリーワン観光素材なので、比較するものもないが、釧路にもポストモダンの建築家で郷土出身の毛綱毅曠(故人)がいる。大小あわせれば10棟ほどの毛綱建築物が市内に点在している。
一朝一夕に街並み景観を形成することは不可能だが、地道な積み重ね、つまり街の歴史を語る活きた素材が建築物や街並みのアイテムである。その方向性は大切に市民共有したいものである。

生誕のファザード、ガウディ生前の部分。鐘楼上部にエレベーターで昇れる(要事前予約)
尖塔基部までエレベーターで上がるとこの感じ
渦巻状の螺旋階段を下まで降ります
サクラダ・ファミリア教会細部の土台に亀
受難のファザード(生誕のファザードの裏手)、直線的なデザインのキリスト受難を描く彫刻群。ガイディ死後の建築
教会内部。ガイディ死後、森林をイメージした設計。ガイディ何をおもう
世界遺産カサ・ミラ、ガウディ建築。
街に連なる建築、右は世界遺産カサ・バトリュ
カサ・バトリュ内部、曲線デザインとステンドグラスが美しい
グエル邸屋上の煙突デザイン、タイルモザイクもガイディお得意
アントニ・タピエス美術館、これもモンタネールの作品
カタルーニャ音楽堂、馬好きにはたまらないアングル

ガイディの最高傑作ともいわれるコロニアグエル教会。
バルセロナ郊外なので観光客もあまり居ない
ここは石とレンガ中心ですべて曲線で構成、ガイディ恐るべし

日誌からみる武四郎の人となり

■ドナルド・キーンが亡くなって、あらためて 『百代の過客<続>』 を読み直し、氏の日本における日記文学への深い眼差しに興味惹かれた。 キーン氏は同書に武四郎を取り上げ、 「アイヌ民族の権利の、力強く、そして説得力のある擁護者としての姿が、文中から立ち現れてくる。」と 武四郎を評し 、また日記が武四郎自身の人となりを自ずと語ってくれているのが面白い、と述べている。
■ 現在、私は仲間との勉強会「武四郎を読む会」で、武四郎の日誌『戊午東西蝦夷山川地理取調日誌』を解読しているが、そのなかでも、そのことを納得するような件があった。勉強の対象テキストである『戊午東西蝦夷山川地理取調日誌』は在野の武四郎研究者であった秋葉実さんの解読による著書で、現在、読み合せているのは1858年、武四郎第6回目(最後の)蝦夷地探訪の部分である。「戊午久須利日誌」と題され、後に刊行本『久摺日誌』として紹介される釧路から阿寒湖畔、網走、斜里を巡り、摩周、弟子屈を経て釧路に戻るまでの日誌部分である。
■ ご存知のとおり、武四郎の旅はアイヌの案内人の同行があってはじめて成立したもので、依頼者とガイドとの関係性もガイドである私にとっては興味のあるところだ。今回、ご紹介するのはこの日誌の塘路泊を記述した個所で、武四郎とアイヌ案内人とのつながりと旅仲間に対する眼差しの優しさにいたく感心したのである。同文箇所の秋葉解読文と私の訳文を以下に示す。

上段:『戊午東西蝦夷山川地理取調日誌』部分抜粋 下段:塩による訳文

■ ここで共感するのは、武四郎のマメな優しさ、上下関係より仲間関係重視、郷愁に対する感性、武四郎の旅のイメージなどであるが、ガイドの疲労に配慮して自らが米を研ぐ武四郎の姿勢は、彼の繊細な心遣いを表している。まさに寝食を共にして、苦難に満ちた蝦夷地探訪をアイヌ案内人とともに成し遂げた基本姿勢である。
また、ケンルカウスがイトウをさげて現れた様を「生涯の話の種に」という件には、エピソードの積み重ねのなかに旅の価値を認め、現場のなかの事実を積み上げながら、真のアイヌの姿に触れようとした人となりが垣間見れる。
■ 尊王攘夷論者として対ロシアから蝦夷地を守り日本がこれを統治する武四郎の考えには揺るぎはなかったのであろうが、武四郎のおもいどおりにアイヌを同化させることにはならなかった失敗談のエピソードも日誌には綴られていて、武四郎自身の揺らぎや困惑も垣間見れる。私が武四郎に学ぶのは、思想的影響をうけながらも、現地現場でそれを補正しながら真実を見極めようとする姿勢である。

フェルメールを追って

■今回もっとも印象に残ったマウリッツハイス美術館(ハーグ:オランダ)

凸凹海外研修のもう一つの旅の目的は西洋絵画鑑賞。フランスからベルギー、オランダへ。ブリューゲル、ルーベンス、レンブラントなどの巨匠の作品の追っかけでした。しかしながら、各美術館収蔵作品が必ず見れるとは限らないことを痛感!出張貸出中、整理のため閉鎖など、こちとらわざわざ日本から来たんだぞ!と思わず文句もいいたいところ。特にブリューゲルはその美術館を代表する作品、例えば「バベルの塔」(ボイマンス・ファン・ブニンヘン美術館)が出張中。館員に当方の事情を話すと済まなそうにしていた。

さて、出発前に日本でも過去最大のフェルメール展が開催されており、私も帰国時に観賞するため予約チケットを購入した。フェルメールには15人子どもがいて、故郷のデルフトという小さな街からほとんど出ることなく、これまた小さな部屋でおこる些細な日常を描き続けた人。不思議だね、こんな絵が世界中の人を感動させるなんて。今回、東京で見た代表作「牛乳を注ぐ女」でその秘密が少しわかったような気がした。明暗、色彩、構図という絵画の基本を突詰めると絵がおのずと語りかけてくる、というのを実感した。それにしても独占観賞できたルーブルやオランダの美術館が夢のよう。東京の人ごみのなかでの絵画鑑賞のコツも習得したんだけど、やっぱり絵画はゆっくり愛でる余裕が必要だね。

■締めは東京上野美術館でのフェルメール展。すごい人で一気に日本を体感。写真撮影厳禁なので、外の巨大看板のフェルメールを皆と一緒に撮影

凸凹海外研修、欧州3カ国珍道中の旅

晩秋のパリ。ルーブル宮を散策するパリジャンたち。

凸凹海外研修はパリからベルギー、オランダ2週間。パリでは、前田一歩園創設者前田正名がパリ留学時の協力者である種苗店ヴィルモランの現社長と面談。その後、友人の娘さんが開業したモンマルトルのパテスリーで甘い再会。パリで活躍している今昔の縁者との出会いに旅の醍醐味。ちょっと深夜特急便の気分でした。
今回は、ここ数年はまっている西洋絵画観賞の旅、北方ルネサンスから17世紀、市民社会がメインとなったベルギー、オランダの作家たちの作品を追っかけて北上です。ブリューゲル、レンブランド、フェルメールなどの名画を見るのと活躍した街を訪ねるのが目的でした。
その一つ、ガイド仲間が昔、駐在していたお勧めブルージュ(ベルギー)訪問。7.8年越しの夢が実現しました。馬車の蹄の音と、鐘楼の音色で目覚め、運河をクルーズ、美術館で名画に触れました。夜はベルギー料理を味わい、中世の街並みが残る空間に滞在したという感じがしました。
というわけで、どこが研修か?と疑いを持たれる御仁もいられるとおもいますが、当舎のお客様は個人旅行で地域ガイドを使う方たちで、多くの方は海外旅行でそういう観光文化を身につけておられる。そんな、お客様の立場を理解するには、まず自分自身がその立場に身をおいて旅先で様々な経験をすることが最高の研修なのです。本当ですよ!

アムステルダム駅で自由にピアノを弾く、私も弾こうかとおもったけど…

アムステルダムは運河と自転車の街