「自然と人の共生」カテゴリーアーカイブ

野鳥の楽園で鳥三昧の2日間をエンジョイ+ガイド

世界的スター、オオワシは憧れの鳥No.1!
世界的スター、オオワシは憧れの鳥No.1!

2016根室バードランドフェスティバルのガイドスタッフとして1月30.31日参加してきました。前年が凄まじい吹雪で全てのガイドツアーが中止という試練をこえて、今年は快晴好天となり、全てのガイドツアーが催行されました。

完全耐寒装備でいざ、ツアーに出発!
完全耐寒装備でいざ、ツアーに出発!

私は港やハイド(観察小屋)巡りのツアーガイドで参加者の憧れの鳥などに出会うお手伝い役ですが、そこは自然が相手の世界、なかなかおもう様には行きません。
根室のバーダーの話では、今年は少し鳥の出がおもわしくないとのことですが、しかし、野鳥の楽園・根室らしく、オオワシやオジロワシなどのビックスターから、ユキホオジロ、ハギマシコ、チシマシギなどの名脇役、さらにはハイブリット(混血種)の珍客まで登場、期間中80種に及ぶ野鳥が観察されました。
メイン会場では物産や野鳥活動団体、メーカー、さらには講演会や地元ジャズバンド演奏、イベント等の催しも賑やかな2日間でした。
来年は10回目ということで関係者も張り切っています。是非、来年はご一緒したいですね。

チーズ、クッキー、珍味類などこれまでにない若いセンスにあふれた物産コーナー
チーズ、クッキー、珍味類などこれまでにない若いセンスにあふれた物産コーナー
根室のチーズはパッケージも野鳥デザイン
根室のチーズはパッケージも野鳥デザイン
クッキーも鳥型、素材も道産素材にこだわり
クッキーも鳥型、素材も道産素材にこだわり
トーサンポロ沼には淡水カモたちの群れ
トーサンポロ沼には淡水カモたちの群れ
道外の方には憧れの海カモであるコオリガモのペア(左♀)
道外の方には憧れの海カモであるコオリガモのペア(左♀)
珍客ハイブリッド(混血種)のカモちゃん。図鑑には出てこないぞ!
珍客ハイブリッド(混血種)のカモちゃん。図鑑には出てこないぞ!
ハイドという観察小屋からアカゲラをじっくり
ハイドという観察小屋からアカゲラをじっくり
北海道のカケスは亜種でミヤマカケスといい頭が茶色
北海道のカケスは亜種でミヤマカケスといい頭が茶色

世界遺産への道<ガイドエッセイ『旅する阿寒』第12話>

世界遺産への道

0702■阿寒湖遊覧船のマリモ観察クルーズに乗った時、ガイドをしているNさんのマリモの話が心に残った。東京で働いていた時に昼食で入った食堂のテレビニュースで阿寒湖のマリモ観察が流れ、懐かしさとともに故郷の価値をあらためて実感した、というエピソードであった。
阿寒湖畔の子どもたちは年に2回、小学生は早春に、中学生は厳寒期にマリモの生息地観察をおこなう。阿寒湖のマリモ保護会が昔からおこなっている観察会である。私も何度か一緒させてもらった。文化財保護地区内のマリモ生息地の観察会は年に数度だけなので、阿寒湖畔の児童特典行事に違いない。雄阿寒岳を背に稀少なマリモを手にとって嬉々とした子どもたちを見て「幸せな子どもたちだなぁ」とおもうが、それは外様の勝手な思い込みというものかもしれない。
■シリア難民のニュースにふれ、この世に生を受ける私たちは、両親が選べない、社会(地域)と時代が選べない、カジノのルーレットのマスにコロリと落ちる小玉のような宿命に支配されていると痛感する。確かなことは、ある土地の人間関係なかで育まれ、その土地を原風景として記憶のなかに留めているということなのかもしれない。
原風景で思い出すのは、知里幸惠さんの『アイヌ神謡集』序文の冒頭部である。「その昔この広い北海道は、私たちの祖先の自由の天地でありました。天真爛漫な稚児の様に、美しい大自然に抱擁されてのんびりと楽しく生活していた彼等は真に自然の寵児、なんという幸福な人たちであったでしょう。…」
幸せな記憶に彩られたふるさとの原風景がたち上がってくるかのようだ。
■近年、マリモのユネスコ世界自然遺産登録の動きが急浮上した。どこか、知床に続け、という掛け声も聞こえてくるようだ。観光を主要産業とするこの地域にあって、自然遺産のブランドは魅力的である一方、「マリモが世界遺産になるのかぁ?」という疑問符もつくのであるが、ちょっと郷土史を紐解けば、この地域とユネスコとのつながりは深く、そこには、自然の民アイヌの存在とユネスコの関わりがあるのである。
アイヌ古式舞踊は2009年にユネスコ世界無形文化遺産に登録されたが、これに遡ること40数余年、阿寒湖のアイヌ有志を中心に結成された「阿寒ユーカラ座」は、ユーカラ劇「アイヌラックル伝」を携えて1976年、パリのユネスコ本部に登場、世界に初めてアイヌ文化を紹介した。この催しはパリっ子の絶賛を浴び、アイヌ民族の存在を世界に認知させることに寄与した。この公演は、釧路にユネスコ支部を立ち上げ、人権運動に大きな足跡を残した丹葉節郎氏が中心となって、多くの文化人たちが集い進めたアイヌと和人の協働の成果であった。ユネスコとアイヌ文化のつながりを今に伝える原点である。
latestMARIMO (21)■さらに、この活動の基盤は1950年から阿寒湖のマリモを保全するための活動を祭りとして創作した「マリモ祭り」に遡る。観光土産として売却されていたマリモの湖への返還と水力発電による水位低下から湖岸に打ちあがったマリモを湖に帰す、この2つの保全活動とアイヌの自然共生思想が祭りとして表現された「マリモ祭り」は、持続可能な観光資源としての自然の保護とアイヌの人権回復を意識したものであった。
■原風景といえば、外せないプレイヤーが阿寒の森林を保有する前田一歩園である。現在、財団の森づくりのコンセプトは「復元の森づくり」である。三百年前の原生に近い針葉樹八割、広葉樹二割の健康な森林へむけて森づくりに邁進している。薩摩藩士出身高級官僚の前田正名氏が所有した阿寒の森は、製材業の時代を経て、「伐る山から観る山」へ開発理念の大転換を果たし現在に至る。今も湖北の森に行き続ける千年のミズナラは自然の姿とともに、前田イズムのカタチとして見る事ができる。
阿寒の子どもたちやアイヌの先人たちや前田正名が夢見た阿寒の原風景は持続的な生物多様性を包含した「豊かな阿寒の姿」ではあるが、現代では無垢な存在ではなく、持続性を支える地域の人々による、意志と努力と技に託されている。
■ある集団、ある地域が共有している、広い意味での仕草や行動の仕方を「文化」といえば、アイヌと和人が協働する輪郭をもつ「阿寒湖文化」とでもいう軌跡の延長上に、地域社会は発展し、人と自然の共生関係と観光交流を基盤とした観光文化圏を形成した。
世界遺産は観光資源のブランド化にとっては魅力的なものではあるが、自然遺産としてのマリモの希少性を担保する科学的知見だけではなく、アイヌ文化や一歩園の森づくりにおける共生システム管理の実績など、より複合的な文化のあり様をもっとアピールしたいとおもうのである。
地域を表現している技としての「観光文化」と、人と自然のつながりをしめす象徴としての「マリモ」を複合文化として世界に発信すること、そして、そのことをユネスコ世界遺産の登録基準をクリアする要因として、地域が再認識しすることが肝要だとおもう。
DSC00478■ユネスコ(国際連合教育科学文化機構)憲章前文はその活動の根源の精神をしめしたものである。先住民との連帯や教育が人間の尊厳に欠くことできないものであるという意思のなかに、自然や他者への関心や相互理解の先に平和の享受を希求するための一つの方策として世界遺産を見る事ができる。少し長くなるが、出発点に立ち返るためにもご紹介したい。
「戦争は人の心に生まれるものであるから、人の心の中に平和のとりでを築かなければならない。政府の政治的及び経済的取り決めのみに基づく平和は、世界の諸人民の一致した、しかも永続する誠実な支持を確保できる平和ではない。よって平和が失われないためには、人類の知的及び精神的連帯の上に築かれなければならない。文化の広い普及と正義・自由・平和のための人類の教育とは、人間の尊厳に欠くことのできないものであり、且つすべての国民が相互の援助及び相互の関心の精神をもって果たさなければならない神聖な義務である。」
■阿寒湖温泉の郷土史を振り返れば、この憲章の精神に呼応するかのような物語(経験)が散りばめられている。温故知新。未来を示す道標のように、その歩みは世界遺産への方向を示しているとおもえてくるのである。

あかぬ鳥・タンチョウ

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中州の浚渫でケアラシのなかのタンチョウが一段と幻想的

根室の野鳥観光ビジネススクールに入れていただき、英語で野鳥ガイドをする勉強をしている。この研修授業でタンチョウの探鳥地めぐりをした。
あたらめてタンチョウの美しさと多様なタンチョウの活動を観察することができた。また、鶴居村ではタンチョウと人(酪農家や観光関係者)の関係を巡る諸問題を学ぶとともに、タンチョウを巡る産業観光とでも言ったらよいのか、現地視察も出来、ガイドにとっても大きな糧を得ることができた。
11月に入ると給餌が始まるが、今年からタンチョウの分散化を目指して、給餌量を1年1割ずつ減らし、5年後には半分にする計画がスタートするそうだ。順調に個体数を増やしている(推定で1500羽ほど)現状で、集中化による弊害と自立を促すため生息地分散を図る目的だそうだ。
関係者は周辺農家への被害を危惧していたが、タンチョウと人との関係性を試されることになるかもしれない。
そんなタンチョウではあるが、日の出の音羽橋は、いつきてもこの鳥の美しさを再認識させる光景がひろがり、しばし寒さを忘れるホットスポットだ。
幕末の探検家・松浦武四郎は阿寒岳を「あかぬ山」と称し、いつまでも見飽きない<あかぬ山>として、その魅力を表現した。それに習えば、さしずめタンチョウは<あかぬ鳥>であることは間違いない。

高台から音羽橋と雪裡川を遠望する
高台から音羽橋と雪裡川を遠望する
遅生まれの幼鳥。おそらく7月から8月生まれ。
遅生まれの幼鳥。おそらく7月から8月生まれ。
雪裡川のねぐらは日の出ころにはケアラシのなかのタンチョウが群れる
雪裡川のねぐらは日の出ころにはケアラシのなかのタンチョウが群れる

「山湖の道」で阿寒の自然と共生文化を体感!オハウも旨い!

阿寒の自然と共生文化を体感した「山湖の道」

11月1日(日)好天の中、阿寒クラシックトレイル「山湖の道」が開催されました。山越えし湖畔にいたる約10キロの散策と武四郎にならっての湖上遊覧。原生の佇まいの森を抜け、カルデラの景観と復元の森づくりの足跡もたどりながら、巨木に出会う喜び。昼食は山湖を臨む展望台でアイヌ料理と音楽のおもてなし。とても贅沢なひとときを参加者の皆様とともに我々スタッフも堪能しました。

マリモの心 <ガイドエッセイ『旅する阿寒』第9話>

「迎える儀式」で年に一度、引き上げられるマリモ
「迎える儀式」で年一度、引き上げられるマリモ

マリモの心

<このマリモ阿寒の顔です、心です>
地域でマリモの保護活動をおこなっている「阿寒湖のマリモ保護会(設立昭和25年)」がつくった標語である。
「阿寒湖のマリモ」は国の特別天然記念物、いわば生物界の国宝であるが、植物としてのマリモ(糸状から球状まで)の生息域は阿寒湖に限らず日本国内、北半球をメインにして世界中にひろがっている。しかし、阿寒湖がとりわけ有名なのは、球状マリモのほとんど唯一といっていい生息地だからである。近年、もう一箇所の球状マリモの生息地アイスランドのミーバトン湖は、ほとんど絶滅状態とのことで、阿寒湖は、まさに世界唯一の球状マリモ生息地となりつつある。マリモは今も昔も、阿寒の顔なのである。
和名由来の「鞠藻」は鞠のような藻なので、球状鞠藻をイメージしつけられた文学的なセンスの名前なのだ。生物的には、糸状のものもマリモではあるけれど、マリモといえば丸いもの、というイメージが阿寒湖をして唯一のマリモ(球状)生息地としてのブランドを世界に発信することになった。
しかし、なぜ阿寒湖だけに球状マリモが生息しているかの謎については、近年、釧路市の若菜博士をはじめ多くの科学者の研究が進み、そのベールがひらかれてきた。大胆かつ、超簡単にまとめれば、阿寒湖を取り巻くさまざまな自然環境が織り成す奇跡の球体化現象とでも言えばいいのか。(もう少し色気のある表現でまとめたいところだが…)
以前は、「球体になるのに数百年を要し奇跡のマリモは誕生する」といわれた解説も、今は「条件が整えば数年間で直径十五センチほどの球状マリモに成長する」ということで、謎が解ければなんとやら状態である。しかし、科学的な解明を経て、さらに阿寒湖だけに球状マリモが生息する奇跡は、その希少性を高め、ユネスコ世界自然遺産登録への動きにつながってきたところである。
阿寒湖が紅葉に彩られる10月8.9.10日の3日間、阿寒湖最大の祭りである「マリモ祭り」が開催される。昭和25年(1950)に第1回なので60年を超える歴史の祭りである。
私が阿寒湖温泉で暮らして、もっとも誤解していたのがこの祭りであった。
<誤解その1>
私はこの祭りがアイヌの伝統的祭りとおもっていた。しかし、祭りの出発点は、当時、阿寒湖の水力発電による水位低下で湖岸に打ち上げられたマリモを湖に還すことと、そして、お土産品として全国に持ち出されて売買されていたマリモを湖に還すこと、この2つの湖への帰還運動をコンセプトにした自然保護思想をもった活動が契機であった。祭りを機に地域には「マリモ保護会」が発足し現在まで活動が続いている。
<誤解その2>
この祭りはアイヌと和人がこの主旨にそって、協同で演出し創作したものであった。当時のアイヌ文化への世間の理解度を想像すれば、誠に大胆かつ先駆的な試みだったのではないか。一時は「西の雪まつり、東のマリモ祭り」というキャッチフレーズがあったように、歴史浅い北海道の風土をうつしだした個性的な祭りとして誕生したのだった。
マリモをお土産物として売買した当事者や電力開発や資源開発に関わっていた方も地域にはいたのであろうが、自然保護や民族融和を地域のコンセンサスとして祭りのカタチに組み立てた先人達のセンスと努力に敬服する。

再生事業の安全祈願・シリコマベツのカムイノミ

マリモをアイヌは「トーラサンペ」と呼ぶ。「湖の御霊(妖精、時には妖怪のようなものといわれる)」といわれ、網に絡み漁の邪魔物として嫌ったものでもあるそうだ。「でっかいマリモを乾燥させて枕にした」という話も聞いた。アイヌにとってのカムイ(神)ではないのに、なぜ、カムイノミ(祈りの儀式)でマリモを崇めるのかが私にとって謎であった。
球状マリモ生息地で、過去の森林伐採の影響でマリモが絶滅したシリコマペツ湾に、最新技術によりマリモを復元する試みがはじまった平成21年のマリモ祭りで、祈念のカムイノミがおこなわれた。この時、おもいきってアイヌの方にこの私の謎をぶつけてみた。
「マリモを拝んでいるのではなくて、そのマリモを育む、水や湾や、森の神様に感謝して拝んでいるんだゎ。この祭りの発足時、全道のアイヌに参加を呼びかけて、これを機に各地のアイヌ同士の交流も生まれ、文化保存の動きにもつながったので、この祭りの意義はとても大きいんだゎ」。
マリモの保護を自然環境全体の保全につなげることを確認し、アイヌ文化をとおして、自然と人、アイヌと和人の共生を訴える、そんな大きな意義をもったマリモ祭り。
マリモは究極の「他力本願」の命だ。マリモは自力ではなく、周りが健やかで仲良く支えあって生きることを知らしめる「象徴」として、静かに阿寒湖の湖底に佇んでいる。
そんなマリモが年に一度「マリモ祭り」に陸に揚がり、人々に伝える「マリモの心」とは…。先人のおもいを知り、人と自然の共生のシンボル・マリモのメッセージに耳を澄ます祭りが今年も阿寒の秋を彩る。

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