【第二巻】 阿寒町から阿寒湖畔へ
松浦武四郎の歩いた道〈阿寒クラシックトレイル
▶環境と人権というテーマで起承転結の「結」にしたい。
武四郎の蝦夷地探訪が後世に残したものは、この地の風光明媚な観光的価値と、開拓資源の豊かさと交通網の可能性、そして開発政策よりアイヌ保護を優先するとの主張だった。一方、森林開発の夢を阿寒に求めた前田正名は阿寒の国立公園化の動きを受けて「阿寒の自然は、スイスの自然に勝るとも劣らず」そして、「阿寒の山は伐る山ではなく、観る山だ」との政策転換を果たし、今日の「復元の森づくり」につながる自然資源を観光の柱とする阿寒の基盤を築いた。
この二人はともに先住民アイヌに対する人権家としての眼差しを持ち、それは阿寒におけるアイヌ文化につながっていると実感する。
▶マリモ祭りはアイヌと和人が協働でマリモに象徴される自然保護を世に問った祭だ。
毎年、全道から集まったアイヌとシサムが温泉街を行進し、立ち寄る先に前田正名像のある前田公園と三代目園主・前田光子が暮らした前田一歩園山荘がある。奉納の舞と祭りの報告とともに感謝の言葉が述べられる。
明治39年に前田正名が取得した広大な阿寒湖周辺の森は、一方の視点から見れば、利権により得たともいえるものだが、「前田家の財産はすべて公共事業に供する」を家訓とする前田家のユニークな経営により、実質的には公有化されたも同然。さらにイズムを継承する二代目、三代目により、一層厳格な規制の元で自然は活かされて来た。前田家のほぼ独占的な土地資源、温泉資源活用は、あらためて所有の意味を考えさせられる。
▶今日、流行言葉のようにサスティナビリティ(持続可能性)が叫ばれている。交流市民と定住市民が観光産業をとおして財の交換をする。観光資源である自然とアイヌ文化を持続可能なものとするため、行政と協働関係にある地域マネジメントシステムの一翼を担っているのが前田一歩園財団だ。
それを支える思想の源流部にはアイヌ文化とともにある松浦武四郎、前田正名という二人の偉人がいるのだとおもう。
現在の日本で、人と自然の共生関係をアイヌ先住文化に学びながら、持続可能な地域社会と自然環境を実現しているユニークモデルが阿寒湖温泉なのだ。これはオンリーワンかもしれないが、可視化が難しい。物語を説明するガイド機能が必要となる。
このことをフィールドで体感してもらうが阿寒クラシックトレイルの魅力の真髄で、それを〈暮らしの糧として地域に定着させたい〉というのが我々の活動の肝である。(終わり)
【第二巻】 阿寒町から阿寒湖畔へ
松浦武四郎の歩いた道〈阿寒クラシックトレイル〉
▶観光を主産業とする釧路、特に阿寒湖温泉では、インバウンドつまり海外からのお客様に魅力を訴える〈観光まちづくり〉をすすめてきた。最近は、カジノ設置も市長選の争点になった。武四郎は阿寒湖を「実に一奇」つまりオンリーワンと記している。カジノはオンリーワンではなく、世界標準のリゾートには随所にある。
オンリーワンの魅力を阿寒に温故知新で探すとき、ボクは武四郎の足跡とともに前田一歩園創設者・前田正名を類比して考える。アイヌという先住民文化と火山カルデラを囲む針広混交林と湖沼群を抱える豊かな自然のなかにある阿寒湖温泉にとって、人と自然の共生関係をつくる基盤を担ったキーパーソンがこの二人だとおもう。
▶二人の共通項をボクは3つの視点でまとめてみた。1つは発禁本。
◎『近世蝦夷人物誌』(松浦武四郎著) アイヌの暮らし、人となりのエピソードを聞き取りした記録で今日、ルポルタージュとして高い評価を受けているが、幕府から発禁措置を受け、死後、お孫さんの手で再販。平凡社ラブブラリーから『アイヌ人物誌』として刊行されている。
◎『興業意見書』 前田正名が明治政府で農商務省の若手官僚として全国の地域産業の実情と振興の方向性を示したものだが、地方の実情描写の生々しさと政府の施策批判、計画の実現性を巡り発禁措置になる。
二人とも現実の直視と原因に対する批判が赤裸々すぎた。
正名は興業意見書の最初に「人民生活の有様は衣食住ともに十分ならず、人にして今だ人と称すべからざる者多し」とし、人民の生存権を政策的に支援することを訴えた。武四郎が「開発より福祉を」と訴えた姿勢に共通するものがある。
前田正名というひとは、「国力は地方産業を振興し、わが国ならではの地場産業製品を直接輸出により外国に売って、生活を豊かにしていくこと」(『人物叢書前田正名』祖田修著より)という主張を生涯ぶれずに訴え、そのための施策を実行したひとだった。主張を変えなかったので、2度にわたり政府の官僚トップの立場を追われている。
▶2つめの共通項は「下野」つまり、野に下る、職を追われる、官から民へ、ちょっと官が上で民が下という差別的なニュアンスもある。武四郎は明治政府の新たな行政機関である北海道開拓使のアイヌ政策に不満をしめし、開発判官の職を辞す。正名も政府内部の政策論争に破れ、その信念をつらぬくために全国地方の産業振興のため、産業団体づくりに奔走する。
起承転結の「転」は下野であるが、見方を変えれば二人とも元々「野」=現場で輝く人であったとおもう。正名においては、農業関係はじめ10数に及ぶ産業団体の全国組織を結成する本領発揮の時期を迎える。
▶3つめの共通項は「歩く人」ということだ。武四郎は言わずもがな、正名は全国を歩き回ったこの時期を「前田行脚の時代」といっている。二人とも身長150㎝ほどの小柄な体躯でありながら、誠に頑強な身体を晩年まで維持している。正名は非職後に一時、山梨県知事をつとめ、ワイン造りを甲府に紹介するなど産業振興をすすめているが、いつも蓑笠に旅草履というアウトドアファッションで執務もしたため「蓑笠知事」、「布衣の農相」とかあだ名がついたそうだ。
「歩く人」をボクなりにいいかえれば、現場主義者ということになる。
「環境と人権」という視点でまとめれば、二人には直接的な接点はないが、アイヌの生存権や生活権、文化権というキーワードはそのまま『興業意見書』における正名の困窮する人民を救済するための政策支援構想とリンクする。
アイヌ民族の持続可能性を武四郎は訴え、アイヌ地名という言語保存の形で後世に引継いだ。正名の前田イズムは阿寒アイヌコタンという生活の場をアイヌに貸与し、地域コミュニティを基盤に観光文化をとおし、アイヌ文化の持続可能性を支援している。
二人がアイヌに尊敬の念をもって讃えられている偉人であることは、そのヒューマニズムが本物であったからだとおもう。
▶阿寒クラシックトレイルをガイドして阿寒湖温泉にたどり着き終点は、前田正名像がある前田公園になる。そこで締めくくりの話としてボクはこんな話をする。
「阿寒の地で、自然を活かし、保存再生の森づくりをすすめている前田一歩園は、その財源を温泉地の土地代と温泉使用料に見出し、伐る山から観る山への政策転換を実践しました。このシステムは、皆さんが、阿寒に宿泊し、温泉につかってくれることで支えられ、阿寒の自然、そのシンボルであるマリモの保全につながる阿寒エコシステムといえるものとなっています」。(続く)
阿寒湖畔ボッケ散策路にある武四郎が詠んだ漢詩の碑。
読みは、
「水面、風収まる夕日の間
小舟棹をさして崖に沿いて帰る
たちまちに落つ銀峰千仭(せんじん)の影
これわれ昨日よじのぼりし所の山」
阿寒クラシックトレイル山湖の道は、雌阿寒岳から下山し翌日丸木舟で湖水めぐりをした武四郎一行に習い、その船着場トウチピアニからカヌーを漕ぎ出した。
久摺日誌に描かれた絵と碑文から、傾く陽光に照らされて、少し気持ちを重ねることができました。
足掛け6年に及ぶ阿寒クラシックトレイルの開発研究もとりあえず今年で一区切り。最後の「山湖の道」は快晴のなか最高のトレイルでした。昼食にはアイヌ料理のユックオハウ(鹿汁)と郷右近富貴子さんの雄阿寒岳と阿寒湖を舞台に唄とムックリ。これぞ最高のライブステージ!巨木を愛で、阿寒名水に喉を潤し、武四郎に習い湖水をめぐり、先人たちのスピリッツも体感した素敵な1日でした。メンバーもお疲れ!!
釧路湿原、阿寒・摩周の2つの国立公園をメインに、自然の恵が命にもたらす恩恵を体感し、自然環境における連鎖や共生の姿を動植物の営みをとおしてご案内します。また、アイヌや先人たちの知恵や暮らしに学びながら、私たちのライフスタイルや人生観、自然観を見つめ直す機会を提供することをガイド理念としています。