クスリ凸凹旅行舎の第一回刊行本である『旅する阿寒』の入稿を済ませました。ホッ! 阿寒の魅力を掘り起こし、阿寒クラシックトレイルを知っていただくために書いた自身初のガイドエッセイです。4月中頃には出版の運びとなります。その際はお手にとって立ち読みしていただければ嬉しい限りです。ちなみにクスリ凸凹旅行舎は出版者登録をしましたので、「ハードルの低い(質が低いわけではありません!)地域出版物」刊行をポリシーに、これからもやっていこうとおもいます。
「阿寒クラシックトレイル」カテゴリーアーカイブ
釧路新聞文化欄に阿寒クラシックトレイルの記事寄稿
武四郎の足跡を講演しました。
釧路学教養講座で『松浦武四郎の足跡』と題して、1時間30分の講演をしました。私の連載エッセイ「旅する阿寒」を呼んでくださっていた担当者が講師に推薦してくれたようです。武四郎の釧路での足跡と阿寒クラシックトレイルのことを話しましたが、時間が足りず、少し最後は尻切れトンボ状態でした。経験不足なんでしょうか、時間配分がなかなかうまく行きません。それでも約50名の受講者の方は熱心に聴いてくれました。お話していると聴衆の表情は結構伺い知れるので、ほとんど寝ている方もいなくて、話がいがある講演でした。これからもこういう機会をとおして、阿寒クラシックトレイルもアピールしていきたいものです。
紅葉満開の「川の道」で阿寒の自然を堪能
10月23日に阿寒クラシックトレイル「川の道」を開催しました。とてもめまぐるしく天気が変わる日でしたが、釧路の天気予報とも違い、なかなか予測がつきません。晴れ、くもり、雨、晴れ、そして雪、再び晴れという具合。
さて、紅葉はなんとか終盤に間に合った感じで、ヤマモミジの紅葉が誠に美しく、川の流れと背後の山とのコントラストに圧巻されました。「川の道」はいつも秋におこなっておりますが、このエリアは阿寒でも特にヤマモミジが多く、紅葉の美しい処のひとつです。台風の影響で道が結構、荒れており、参加者の皆さんもちょっと苦労されているようでした。阿寒の森で採取されたシナノキの蜂蜜入りスコーンやの天然エノキの味噌汁などご当地グルメも充実のツアーでした。
凸凹旅行舎ガイド研修記② 木曾路で体感した温故知新、妻籠はどうなる?!
凸凹旅行舎ガイド研修は、恐怖の黒部峡谷「下の廊下」から移動し、中山道木曽路の歴史トレッキングルートを馬籠宿から妻籠宿までウォーキング。人気のコースを視察し、阿寒クラシックトレイルで行っているトレッキングの参考になるヒントを見つけ出すのが目的であった。まず驚いたのが、外国人特に欧州のお客さんの多いこと。約8kほどのトレッキングだったがコース上であったのはほとんどが外国人(日本人は我々と女性2名組みのみ)。また、中華系の方をほとんど見かけなかった。歩く文化は欧米指向か? さて、コースは、ほどよく整備され、県道と交差しながら杉や竹林の木立の中、小川の流れとともに歩き、時には滝やお休み処も設置されている等、歩く側からするととても心地よく日本の自然と歴史文化を体感できる。
また、熊よけの鈴やトイレが随所に設置されており、安心して歩くことができた。外国人向けには木曽路全コースを網羅したMAPパンフが無償配布されており、これなら日本を味わいながら安心して散策できるな、と感心しきり。さて、コースの中ほどに古民家を使ったお休み処があり、お茶や小梅の焼酎付け、漬物、柿などを無償で振舞ってくれた。管理人のおじさんは片言の英語で外国人にも接待、木曽節も披露。おかげで私は英会話の実践トレーニングも出来た。こんなおもてなしは旅の記憶として木曽路を強く印象付けるものになるとおもった。私たちは、あこがれの妻籠宿に1泊した。全国の伝統的な町並み保存運動の先導となり、明治初年の旧宿場の景観保存と復元作業をおこなった妻籠には厳しい規制ゆえか、日常の生活用品を購入する店舗がないので、昔にタイムスリップしたようだが生活臭というのも感じない寂しさがあった。老夫婦の民宿にお世話になったが、体調のおもわしくないご夫婦は、いつ宿を閉じるかわからないと話していた。同じ街道筋の奈良井宿(数年前に訪問)では、新旧の機能を取り入れたまちづくりを指向しており、若い人の店舗も多く活気があった。観光地として再生した妻籠宿の今後はどうなるのであろう。旅人も高齢化するが、観光地も高齢化するのである。旅人は一方で国際化により若返るが、観光地のまちづくりは保存と創造のバランスシートのなかで地域の持続可能性を検証し続ける運動なのだとあらためて実感した。