ひとり出版舎である「クスリ凸凹旅行舎」の第3冊目は自分たちの旅行体験を振り返り、旅のカタチを整理したものです。自分たちのための思い出本でパーソナルなものなのでネット印刷自家製本として30部だけ作成しました。でもやはりどこかで皆さんにも読んでもらいたいおもいもあるので、当ブログで24話+随想6話を掲載します。よかったらお付き合いください。
はじめに~
上手に思い出すということ
●2020年は大きな転換点の年であった。新型コロナウイルスによる世界的なパンデミック。本格的な異常気象現象の顕在化。政治家たちのモラルハザードと独裁。個人生活から国家のレベルまで、ひいては世界中、さらには地球そのものにまで影響を共有する出来事が現在進行形でおこっている。転換点の年、というのはこれらの出来事が対岸の火事ではなく、自分たちの生活スタイル、ひいては思考に至るまで、変更を余儀なくされた転換点であるということだ。
●私たち夫婦は66歳になった。人並みに物忘れや足腰も弱り、頭も体もピークは過ぎた。自然ガイド業もコロナの影響で休業中である。この間、昨年亡くなった、博文の母方の伯父の追悼と北海道入植百年を記念して開拓史の本をいとこや親戚と共に作った。過去の記憶を手繰り寄せ、記録し、未来に遺す。そんな作業は、上手に思い出すということが大きなテーマとなった。巷でも戦後75年を迎え戦争の生き証人たちがいなくなる。その前に多くの衝撃的な発言が話題となった。人は何らかの遺言を遺したい、それを生きた証としたい。その思いは身内の開拓史であれ、戦争の証言者であれおもいは同じ。
●開拓史が一段落して自分たちの旅日誌をまとめたいというアイデアが浮かんだ。
私たちも幕末の蝦夷地探検家・松浦武四郎の足跡を追った旅日誌を仲間と一緒に解読し、現地を歩いたりしていたので自分たちの旅日誌というのも興味があった。寺山修司のテーゼを適用すれば「旅が人生の比喩なのではない 人生が旅の比喩なのだ」。旅を振り返ることは自分たちの人生という旅を振り返ると同時に〈旅文化を考える〉というテーマにもつながった。
この本は24の旅を素材に、過去の記憶を辿りながら今の自分たちが〈書く旅〉そして〈読む旅〉として再構成したものだ。表テーマと裏テーマが交錯し、フィクションとノンフィクションが交差する。個別的な出来事がどこか普遍性を持つ。振り返れば自分達は目標設定をしてそれに向かって突き進むというタイプではないようだ。ただ歩くプロセスの中で喜怒哀楽をかみしめながら生きてきたように思う。〈歩く意味〉も少し振り返りながら考えてみた。それらの思考の舞台としての24の旅でもある。
●歩くという行為は基本的には移動の手段である。近代科学の発展によってそれは移動の手段としての本来的な目的を離れ、先人たちは歩くことに様々な意味を付加してきた。我々にとって歩くことは「ながら移動」である。移動というメインテーマに様々なサブテーマ(思索しながら、健康のために、観察のために……)が付加されて〈歩く文化〉が作られてきた。
歩くことはスピードが問題である。人間の五感(見る、聞く、嗅ぐ、触る、味わう)と相性がいい。様々な先人が、歩きながら考え、歩きながら歌を詠み、歩きながら会話をし、歩きながら観察してきた。いわばそれは歩く文化であり、旅という行為と繋がっていく。
●足掛け8年間にわたった安倍政権が退陣した。彼の口癖は「スピード感と緊張感」である。また「政治は結果が全て」とも言った。それは自明の理のように政治家のみならず我々の社会生活においても当然のことのように語られた。彼がいうスピード感とは何なのだろう。迅速に早くということであろう。早く結果を出すためにはプロセスは問わず、記録なしでも構わず、結果オーライ。これが実証された彼らの本質のようで、それは未来志向という方向性につながっている。
●我々の考えるスピード感は歩くという個別の運動能力に伴うスピード感なので、その人なりのスピードである。そこから得られる様々な感覚も個別の体性感覚である。ゆっくり歩かなければ見えないものもある。松尾芭蕉の歌を読むとスピードというのがいかに人間の感覚と表現に繋がっているのかがよくわかる。それぞれのスピードで得られる体性感覚を通した思考や表現を大切にしたいと思う。結果だけではなく、プロセスの中で記録され、記憶された過去を上手に呼び覚まし、私たちなりの旅文化を〈書く旅〉として遺せたらと思った。
● これまで人間の脳細胞というのは加齢に伴い細胞が破壊され、減少の一途をたどるといわれてきた。しかし、これにも異論があり、加齢に伴う記憶後退現象は記憶総量が、パソコンに例えていえば容量オーバーとなり、新たな記憶が入力不可の状態になる、とのこと。よってハードディスクの中の不要な記憶を消去すれば改善するとのことなのだが、我々の脳は自発的に「これは消去」という選別が不得意である。しかし、データを外化することは可能だ。そのためには記憶を一度文章化(デジタル化)し、過去として定着させ、記録形態に変換することが必要となる。
●この本はその作業のカタチである。ボケないための自家製の秘薬みたいなものである。本当にボケ対策になるのかどうかは10年くらい経った後でなければ分からない。即効性がない漢方薬みたいなものだ。ただ本という形で記憶が手元に残ることは効果がある。AIの時代に人間の記憶として最後まで残るのは〈想起的な記憶=過去をイメージとして物語る記憶=純粋記憶〉だといわれている。
その点ではこの本が私たちにとって「記憶を辿る旅のガイドブック」になることだけは確かなことのようだ。
中山道を歩いて出会うのは外国人達。グローバル観光の時代です