釧路が一番寒い時期~凸凹WABISABI自然ごよみ/4

おおよそ-20℃以下で熱湯を外気に投げ飛ばすと氷の結晶になる現象。(映像提供 松岡篤寛)

 ボクは根がお調子者である。その場の雰囲気で結構いい加減なことをいう。自然ガイドなので基本的には科学的な根拠のある説明を心掛けている。しかしその場の雰囲気でつい口が滑って後で調べると違っていることがあって一人赤面するが後の祭り。

お客さん「今日は寒いですね。さすが北海道」
ボク「いえいえ今日はあったかいほうですよ。こんなもんじゃありません」
お客さん「一番寒いのはいつ頃ですか」
ボク「大体1月中頃から2月にかけて2週間ぐらいすごく寒い時期があります」
お客さん「マイナス何度ぐらいになるんですか?」
ボク「大体-20℃以下になります。阿寒湖温泉だと-30℃以下になります。30℃以下になるとちょっと次元が違います。ハイ。」

 コロナ禍で科学的根拠の重要性が叫ばれている。本当に一番寒い時期はいつ頃なのか気象庁の過去データで調べてみた。

 月毎の過去30年間の平均値で見ると一番寒かった月は1月が19回、2月は11回で年間の中では1月が一番寒い月となる。次に日毎の平均値を見てみると最低気温が一番低い期間は1月28日から2月2日までの六日間である。最低気温平均-11.4℃であるが、この前後も0.1℃単位の誤差なので-11℃以下になる1月21日から2月7日までのおおよそ2週間強が一番寒い期間と言っていいのではないか。中でも日平均気温が-6.1℃を記録している1月25日から1月29日までの五日間が1日を通して最も寒い時期になる。

 次に観測史上日最低気温のベスト10を見てみると過去30年間で釧路の最低気温は1922年1月28日に記録された-28.3℃である。阿寒湖畔では2019年2月9日に記録された-30.7℃である。

 ボクのいい加減さを検証してみると<1月中旬から2月にかけて2週間ぐらいの寒い期間>はほぼイイ加減である。最低気温が20℃以下も間違いない。ただ阿寒湖畔に関して言えば最低気温も-30℃そこそこなので、ちょっと大げさな話である。ちなみにボクは2010年から2014年までの5シーズン阿寒湖温泉で生活していたがこの間に-30℃以下の記録はない。しかしボクの中では-30℃以下の暮らしは体験済みのことになっている。いい加減である。

最近話題のジュエリーアイス。河口で凍結した氷が海に流れたものが、岸に寄せられたもの太平洋側で発生。オホーツク側は流氷ですね。

 さてこの時期に釧路でしてはいけないことは自宅を離れることである。複数日にわたって自宅を離れることはご法度である。2006年1月20日から24日まで甥っ子の結婚式で名古屋に行きその足で熊野古道を歩いてきた。自宅に戻ると何か雰囲気が違い不吉な予感がした。水道の元栓は止めて行ったのだが水が出ない。そのうち台所の下からじわじわと水が滲み出てきた。トイレに行って驚いた。便器の下から水が滲み出て白い粉が散らばっている。その粉の根元をたどるとなんと便器が割れている。元栓は閉めたのだが建物の中に残っていた水が凍結し管を破り漏水状態になった。水回りの配管をはじめ、便器、湯沸かし器が全滅し、旅行費用の倍ほど復旧費用にお金がかかった。以降、我が家の家訓「1月、2月に旅行はご法度。水道の元栓を止める場合は管に残った水を全て排水すること」その技術を身につけるために水道屋さんの指導を受け、マニュアルを作った。

 阿寒湖温泉に住んでいた時は最低気温が-20℃をこすとスケート大会の日は気温が上昇するまで競技が停止された。阿寒湖畔は内陸で山に囲まれた湖の辺なので冬は風が弱い。しかし、-30℃というのはやはり体感としては次元が違う。漁業協同組合の-50℃の冷凍庫から-40℃の冷凍庫に移動しただけで暖かくようなもので、顔の表面水分が凍結するような感覚がある。

 しかし体感温度というのはまた別で、強風下の-10℃より無風の-30℃の方が過ごしやすい。風速1m毎に体感温度は1℃下がるといわれてるので-10℃の風速20mの強風下では体感温度は-30℃になる。

 以上は釧路に住んでいる人の側の話で、観光で最も寒い時期に釧路を訪れるというのもその時期ならではの風景や体験をすることができるお勧めの時期なのだ。

 気嵐(けあらし)は釧路市内でいえば陸上の冷たい空気が海へゆっくりと流れ出し、釧路川が凍結し河口付近の海面の水蒸気を冷やして蒸発させ、霧(気嵐)が生まれる現象。気嵐は北海道の方言だそうだが、気象用語では「蒸気霧」。つまり水温より外気の方が冷たいので蒸発し霧が立ち込め幻想的な風景を作り出す。これは川霧ともいって湿原を流れる釧路川流域でも川沿いに立ちこめる現象が見られる。

川霧のけあらしのなかで佇むタンチョウが美しい音羽橋雪裡川流域。周りの樹氷もならでは。-20℃以下になるとけあらしが発生しすぎてタンチョウが見えなくなることもあるとか。

 ダイヤモンドダストという空気中の水分が凍結して朝日にあたって空気がキラキラ光って見える現象もある。最近阿寒にする仲間が熱いお湯を散布してそれが固体化する現象を写真にアップした。ボクが幼かった頃は銭湯に行った帰りだとか濡れたタオルをぐるぐると空中で回すといきなりカチカチになったものだ。人工的な遊びも進化している。

釧路川河口のけあらし。氷が割れて蓮の葉状になる現象もこの時期ならでは。

 寒さが苦手な方にはお勧めしないが、北海道らしさを体感するなら最も寒いこの時期もお勧めである。ちなみに齢をとるとだんだん体感も鈍くなってくる。暑さや寒さに関して鈍感になる。お客様の安全対策で欠かせないのは夏の熱中症、冬の低体温症であるが、わが身において最も気をつけているのは低体温症である。自分の感覚を過信すると危険である。そもそも体感がズレているという前提にたって、備えたいとおもう今日この頃。

厳冬期のお供は湯たんぽ。この時期は24時間ストーブを付けている方も多いが、我が家は部屋が乾燥気味になるので、電気毛布もダメで湯たんぽがこの時期には活躍します。

気象が観光になる日~凸凹WABISABI自然ごよみ/3

ジュエリーアイス。十勝川河口大津海岸が本場のようで豊頃町の観光資源。阿寒川河口大楽毛海岸でも観察できる情報もあり。(写真提供 草皆衛)

 観光地にとって一番重要なものは観光資源である。風光明媚な自然景観に出会ったり、お伊勢参りのような信仰行事であったり、時代の変化に応じてその資源の内容も千変万化。観光資源の掘り起こしというのが観光振興策にとっては重要な活動である。それは有形であれ無形であれ、人々にその地に赴いて体感する観光行動の源泉である。

 近年、気象現象が観光資源として脚光を浴びている。フロストフラワー、アイスバブル、ジュエリーアイスなど特に冬の極寒期における気象現象に新たな観光資源としての魅力発信が期待されている。流氷が観光資源として脚光を浴びたのはボクが小学生高学年頃からだと思うので、かれこれ半世紀。それ以降、けあらしや蓮の葉氷、ダイヤモンドダストなどプチヒットの観光資源も登場した。登場したというより掘り起こされたと言った方がしっくりくる。気象観光は見るだけではなく体感することが魅力の本質に近づくことになるので自然体験とセットで観光資源化されて行くのだろう。

 18世紀の英国絵画は風景画に新たな境地を開いて行くのだが田舎の何気ない風景が産業革命真っ盛りの時代にあって人々の心を癒した。そしてその延長上にウイリアム・ターナー(1775-1851)という天才が現れ<気象>という画題を絵画に持ち込んだ。それは雨や雲や霧やいわば大気・空気感を描き出した。抽象画やその後の印象派への影響もたらしたともいわれるが 、僕はマクロからミクロへ、大局から細部へ、どこか必然的な心持ちの変化のようにも思われる。気象は最も身近な環境変化を体感できる素材である。八百万の神の意志を御神渡りという気象現象から読み取った先人たちのセンスは我々にも引き継がれ、この分野の更なる可能性を感じさせる。

 季節や年次変動に左右され、特定の発生条件や不定期であることなど気まぐれな観光資源ではあるが、気象予測が進化する現代、<観光予報>という情報発信へ進化するに違いない。細部に神は宿る。コロナ禍のなか、日常や身の回りの環境に目を開けば小さな変化への気づきが生まれる。それは古来からの美意識である<わび・さび>の世界にもつながっているようにもおもう。

トビか、トンビか?!~凸凹WABISABI自然ごよみ/2

凹型の尾羽が特徴。トビの由来はとび職が使う鳶口という引掛け道具の先端が鋭い嘴に似ているところからという説

 釧路にとって1980年代は黄金の10年ともいえる時代だったのではないか。ラムサール条約に釧路湿原が登録(80)され、国立公園の指定(87)で観光が産業基盤の一つになるとともに、マイワシなどの大漁が続き釧路港は連続水揚げ日本一(79~90)、百万トンの大台も超えた(83)。
 この時期、ボクは釧路市役所で魚揚場に勤務し、毎日、釧路港の水揚げを見ながら仕事をしていた。圧倒的なカモメ。カラスやワシに交じってトビもいたに違いないがどうも印象に薄い。あれから30~40年が過ぎ、自然ガイドになってたまに港に魚ではなく、鳥を見に行く。若い時は全く興味もわかなかったが、カモメは1種類ではなくて、10種類ほどもいて、カラスもハシブトガラスとハシボソガラスがいて、冬にはひょっとしたらワタリガラスもいるかもしれず、海鳥も沢山、港内にプカプカ。今は魚の姿より鳥の姿の方が目に付く。興味のないものは眼が向かないとはいえ、ボクは露骨にその傾向が強いかもしれない。

 トビは身近な鳥だが、猛禽類としては勇猛果敢にはほど遠く、ゴミあさりやあぶらげをさらうのが得意な、しょぼいイメージが付きまとう。主役というより脇役、でも渋い脇役という感じではなく、なかなか名前が浮かばないバイプレイヤーのような…。
 コロナ禍で休業中のなか、トビを探しに港に出かけた。冬場の海外からのバードウォッチャーは、1にオオワシ、2にタンチョウ。以下、シマフクロウ、エゾフクロウ…。自分たちのフィールドではお目にかからない鳥が目当て。よって、我々には見慣れた鳥でもお客さんには珍しい鳥というのもある。
 我々が見慣れているトビは英名はBlack Kiteだが、欧州ではRed Kiteが主で、黒は稀少。きっとユーラシア圏全域に分布するオジロワシより珍しい鳥なのかもしれない。

 啄木の詩に「港町 とろろと鳴きて輪を描く 鳶を圧せる潮ぐもりかな」と釧路滞在時に釧路港を詠ったとおもわれるものがある。ピ~ヒョロロ、ピーヒョロロと鳴く声がトロロに聞こえるのが啄木風。さらにトビが主役かとおもいきや、その背後にある「潮ぐもり」が主役で、いつのまにかトビは背景に沈んでいくあたり、さすがバイプレイヤーの役どころを見抜いた啄木の確かな眼。
 普段は目立たないがいざとなったら鋭い嘴で一撃! とおもわせながら今日もトボトボと餌を探す日々。トビに自分を重ねて振り返る、なぁ~んて哲学的な心持ちは一切ないのだが、いつになったらガイドを再開できるのだろうとおもいながらトビを見つめていた。そして考えた。なんでトビを探しにきたんだろう?

カモメはカモメ~凸凹WABISABI自然ごよみ/1

ユリカモメ(道東では冬鳥又は旅鳥)夏になると頭が真っ黒に変身!

新規カテゴリーに「凸凹フェノロジーカレンダー」を設けます。フェノロジーカレンダーは日々の自然の移ろいを動植物で示すものですが、気象庁も動植物を季節変化の指標にする項目を大幅に削減。地球温暖化も進み、ここ道東の季節感も少しずつ変化しているようです。皆様も身の回りの自然の変化をこのコロナ禍のなか、ちょっと注意深く愛でるのもいかが? というわけで随時、アップします。
1回目はカモメ。

「カモメは飛びながら唄を覚え、人は遊びながら年老いていく」 
寺山修司の確かコマーシャルに使われたキャッチコピーです。カモメは日本では約10種類ほど観察されるので、このカモメはどのカモメなんでしょう? きっと寺山は下北出身だから、旅人の心情を託したとすれば旅鳥のユリカモメあたりか。それとも八戸の蕪島が大繁殖地のウミネコかしら?
ちなみに東京都の鳥<みやこどり>は種名ミヤコドリ(上写真)とは違い、ユリカモメ(フロント写真)のことです。ユリカモメは夏になると頭が真っ黒になって、これが同じ鳥かとおもいます。仮面カモメで演劇的なので寺山寄りです。
 冬はカモメ観察の季節。冬鳥として渡ってくるシロカモメやワシカモメなどもいて港に魚が揚がる時などは複数種のカモメが観察できます。でも違いは微妙なので、そこが渋い。
 我々に一番馴染みがあるのはオオセグロカモメ。一年中居る留鳥で数も一番多いです。このオオセグロカモメも夏と冬では少し変化します。冬は頭部が白というよりごま塩風の雰囲気。これに加え、大型のカモメは成長になるのに4シーズンほどかかるので、成長過程でも羽色や嘴、足の色が変化するのでこれまた渋い。
 オオセグロカモメは気が強くて、ずうずうしいので、さしずめ「陸のヒヨドリ、海のオオセグロカモメ」といった態度がデカい野鳥両横綱。でも、ヒヨドリもオオセグロカモメも生息域が日本周辺と周辺アジア地域だけなので欧米からのバードウォッチャーには喜ばれる、ガイドにはありがたい鳥ではあります。
 ちょっと困った人だけど付き合ってみるとなかなか味がある、そんな感じ?

『クスリ凸凹旅日誌~24の旅のカタチ』▶あとがき

全24話+随想6話、掲載終了します。お読みいただきありがとうございました。

トレイルは続く

 いろいろなことを考えつつ家を空ける事となる。
 今ではすでに90代に入って老人ホームにいる母二人。持病を持ってグループホームに住む妹。義理の母は心配事はとりあえず、兄夫婦が近くに住むので安心だけど、私の方は頼りになるのは私だけなので、母と妹は私以上に無事の帰りを待っている。
 おおよそ連れは、私のこの心配事とは無縁の人に感じる。楽しむことについてはいつも一杯の様子だ。嫌味ではなく、楽しめる「力」に凄味を感じている。末っ子で幸せに育ったんだと思う。私は長女で様々な家庭の事情を見て育った。そして抱えている。
 家を空ける時は、重たいリュックと、重たい想いを背負って旅に出る。道中、頭を離れない。楽しむとは、きっと様々な事をかかえて対応しなければならないのは、誰もが同じなのだ。
 そんなこんなで留守をする私の気持ちのサポートをいつもしてくれる亡弟の連れ合い信子さん、娘の弓喜子、ありがとう。
 そして母、妹にありがとう。待っていてくれる人がいるから、帰るという事が大切になる。
(幸子)

 コロナ禍のなか新生活様式というのが提唱されている。北海道も「新北海道スタイル」といわれるライフスタイルで、これまでの我々の日常生活にも変化が促されている。
 時が経てばまた〈あの時〉のように生活を楽しみ旅を楽しむことができるだろうか? 〈あの日常〉を我々は取り戻すことができるのだろうか? 〈あの刻〉のように異国を旅することはできるのだろうか? その答えは誰にもわからないようだ。世の中は〈あの日〉に見切りをつけて、〈これからは〉にシフトしているようだ。しかしボクは記憶の旅を振り返り、今の自分達が置かれている状況を確認しつつも、未来への期待は萎むことはない。
 これからどれほどの旅が実現できるだろうか? ひょっとしたら、ひとつもできないかもしれない。それでもいいのだ。
 ボクの旅文化は〈空間〉だけでなく〈時間〉も旅をするなかに包含されている。だから記憶の旅も、現場で起きてる旅も、これから実現を期待している旅もすべて〈旅〉である。
 幕末の蝦夷地探検家・松浦武四郎が晩年、全国を旅して歩いた寺社仏閣から91個の木片の部材を取り寄せ、離れに一畳の庵を作った。一畳敷である。現在も国際基督教大学の敷地内に遺っており、同学の文化祭の日にだけ公開されるそうだ。ボクはまだ見ていない。1日60キロメートルを歩いたという伝説の男の到達点のひとつが一畳の畳であったことにボクは感動を覚える。
 ここには空間としての旅だけではなく、時間としての旅の記憶が内在する。その記憶を呼び覚ます91の木片がある。拡大から縮小へ。マクロからミクロへ。歳をとり、歩くこともままならぬ状態でも人間の可能性は残されている。
 方向を間違わず、身の丈のスピードで歩いている限り、トレイルは続いている。 
(博文)

釧路湿原、阿寒・摩周の2つの国立公園をメインに、自然の恵が命にもたらす恩恵を体感し、自然環境における連鎖や共生の姿を動植物の営みをとおしてご案内します。また、アイヌや先人たちの知恵や暮らしに学びながら、私たちのライフスタイルや人生観、自然観を見つめ直す機会を提供することをガイド理念としています。