〈第七巻〉①松浦図を片手に

【第七巻】 摩周から屈斜路へ
神なる山は何処 ? 屈斜路カルデラを巡る

扉写真は摩周湖を背景に松浦図を照らし合わせる。上の絵図は「久摺日誌」に描かれた一行が滞在時の様子。

▶松浦図を片手に
1858年(安政5)5月21日、西別川から戻った武四郎一行は釧路川岸の弟子屈に着いた。ここで武四郎一行にアクシデントが起こる。釧路会所を出発する前に食糧の補給を依頼し、弟子屈で受けとる予定であったが、その荷物が届いていない。この食糧待ちをしている間、足掛け五日間にわたり一行は屈斜路湖周辺で過ごすことになる。結果、この食糧は下流の標茶に届いており、事なきを得るが、登山やトレッキング中に食糧や水がなくなるのは心細い限りである。
▶屈斜路湖は北海道では洞爺湖に次ぐ二番目に大きいカルデラ湖である。この地域のナンバーワンの一つは、屈斜路カルデラが日本一の大きさを誇ることである。広さ約20㎞×26㎞でそのほぼ半分は屈斜路湖となっている。ここには約7千年前にできた摩周カルデラも含まれている。
若い時、旅行で見た阿蘇カルデラの雄大さに、ボクは圧倒された記憶があり、〈阿蘇カルデラは日本一〉とつい最近まで思っていた。阿蘇カルデラのうたい文句は「世界最大級の阿蘇カルデラ…」となっており、ここらへんが思い込みの一丁目。実は日本一は屈斜路カルデラなのだ。ちなみに世界最大のカルデラはスマトラ島のトバ湖を囲むカルデラで、長さ100㎞、幅約30㎞もあるそうだ。世界はデカイ!

摩周第三展望台から望む屈斜路カルデラ。白い山肌がアトサヌプリ(硫黄山)。その奥に屈斜路湖と藻琴山が見える。


▶戊午日誌によれば、武四郎は摩周湖を反時計回りに一周してから、西別岳を経由して西別川中流域のシカルンナイまで下り、とって返し弟子屈まで戻り、弟子屈と屈斜路湖のコタンに滞在している。
屈斜路カルデラを全貌できるお勧めの展望地は二つ。
一つは摩周湖第三展望台である。摩周湖と摩周岳の素晴らしい景色を眺めた後、回れ右して後ろを見ると屈斜路湖とそれを取り巻く外輪の山々が一望できる。阿蘇カルデラを見た時は、カルデラの鍋底に様々な街並みが見渡せたが、屈斜路カルデラにはほとんど街らしい街がないので、きっと大きさを比較する対象物がないことが印象の違いになっていたのだと思う。
もう一つの展望地は藻琴山展望台である。藻琴山登山口手前、道路沿いの駐車帯に展望台がある。屈斜路湖とそれをとりまく外輪の山々が眼前に広がる。
登山をされる方は外輪を構成する藻琴山、摩周岳、西別岳などにぜひ登られることをお勧めする。藻琴山は、頂上に一升瓶を立てると千mになる山で、国土地理院の地図(2万5千分の1)には999・9mと表示されている。道東の中高年登山愛好家たちは春先の足慣らしに、これらの山に登る。景観の素晴らしさはもとより、特に西別岳は6月下旬頃からは高山植物が咲き誇る人気の山でもある。千m以下の低山で高山植物と出会える北海道ならではの登山が楽しめる。
一行が滞在した屈斜路アイヌコタンのあるクッチャロとテシカガは阿寒摩周国立公園を代表する観光地で、屈斜路湖岸の砂湯キャンプ場、和琴半島キャンプ場などは人気のキャンプ場である。また、弟子屈町の「道の駅 摩周」は道内でも人気の道の駅となっている。

第三展望台から摩周湖を望む。中島と摩周岳、そして摩周ブルーの湖面が美しい

▶武四郎一行は5月21日から25日まで滞在したが、25日には丸木舟で釧路川を下って、テシカガに泊まった。その夜、月夜だったが雪が降り、その雪が桜の花の上に降り積もっている情景を武四郎は印象深く日誌に記している。
ゴールデンウィーク明けの道東地方は春というにはまだ肌寒く、多くのドライバー達はタイヤの履き替えを躊躇する期間でもある。5月上旬はエゾヤマザクラはまだ咲かず。その開花期は、道東では例年5月中旬頃まで待たなければならない。釧路、根室は稚内と並んで桜の日本列島最終便の地である。だから桜に雪が積もる情景は道東ならありうる光景ではあるが、さすがに珍しいことではあるかもしれない。
以前、ゴールデンウィーク明けに雌阿寒岳に登った時、麓は桜がちらほら咲き始めていたが頂上でいきなり吹雪になり、道を見失い、ちょっと焦った経験がある。5月の道東は、やっと春が来た…かも? と言う季節感なのである。(続く)