『クスリ凸凹旅日誌』▶3話:山々への気づき あこがれの北アルプス

1995年9月20~26日 燕岳、槍ヶ岳ほか
 塩 幸子

道を間違えやっとたどり着いた燕岳の稜線

私の山々への気づき
 40代半ば両膝に痛みを覚えた。登山を大きな楽しみにしていただけに憂鬱な体調変化に何かしないと覚悟を決めてウォーキングを始めた。健康関係のテレビ番組で、歩くだけではダメと気づき、膝周りの筋肉を鍛えることとした。
 朝、目覚めてから、夜、布団に入るまで、一つひとつの軽い筋トレを日常生活に取り入れた。安心して歩きたい、登りたい、下りたい、この一心だった。時間、場所、お金の心配なく日々生活の中のなかで続けたことが成功の要因だと思っている。
 40代の十年間登れない時期を過ごし、55歳の時に雌阿寒岳を痛みなく下りられたことに何よりホッとした。その後、連れと共に様々な道を楽しめてこられた。
 日々継続の力の賜物だった。

登山との出会い~初めての北アルプス
 小学校5年の時、友人宅で見たアルバムの写真に釘付けになった。「雌阿寒岳家族写真」、登山を私の内に大きな概念として受け止めた出来事だった。
 山とは深い緑、連なる沢山の木々では? 想像とは違う! 行ってみたい! 強く感じたあの感覚が忘れられなかった。中3の大雪山黒岳から始まり、現在までの山行は夏山中心で年数回の限りではあるがどれも思い出深い。
 近年は膝痛の心配が小さくなり、ここ数年間、続けて憧れのアルプスに行けたことが何よりも今の私を満足させている。
 高校生の時、図書館で『槍までの道』と題した雑誌の中の写真が目に止まった。それからは、すっごく北アルプス。ずっ~と北アルプス…だった。まず目に留まったのは天を突き刺す槍ヶ岳ではなく、「燕」岳。何でこの一字でツバクロと読むのか不思議だった。頂上あたりは奇岩の数々。山の頂は岩? それも白っぽい岩。この山を通過して槍に立てたら……。


 この時点で私は中学生の時、たった一度の大雪山黒岳登山経験しかない存在だった。憧れではなく夢のような北アルプスの山々。それから40年後、膝の調子も良好で雌阿寒岳を下れた私は、連れと燕から槍の計画を立てた。幾度も地図を見て山道を頭に入れた。「燕」の漢字も書けるぞと一応の準備として満足していた。充分とは思えないが、まあこのくらいでヨシとした。小5の娘を伴って三人で勇んで穂高駅に立った。中房温泉で一泊。翌日の好天を願い眠りについた。
 願った通りの晴れの朝を迎えて、整備された山道、途中の小屋で名物のスイカは食べられるかな? 辛い行程では楽しみが必要だ。一切れいくらかなぁ? と考えながら登り始めた。
 結構な登り時間が過ぎた。頭に入れた要所要所のポイントがなぜか出てこない。連れも変だと言い出し、ちょっと慌てて地図を広げた。大体、全く他の登山客に出会わない。登り人も下り人もいない。
 登山口を軽い気持ちで温泉客に聞いた〈一つ目の失敗〉。前日の下見を怠った〈二つ目の失敗〉。一瞬頭がくらっとした。まさかの間違い。登り口が二つあったのだ。幾度も地図を見たはずだヨ。下準備は十分だと思ったヨ。ドキドキしてきた。今更下れない。予定の1.5倍の登りになってしまった。
 しかしこの失敗が今も思い出に残る登山の一つになった。まずは稜線までの我慢だ。短いジグザグ急登の連続だった。数歩登って息を整える。何度も繰り返す。ふっと振り返ると富士が目に飛び込んできた。山歩きで初めて目にした富士だった。遠方だがその高さがよくわかった。嬉しかった。少し疲れがとれた。そんな気がした。

 燕岳から東沢岳を結ぶ稜線に出た。北アルプスの中心部が目前に突然現れた。沢を挟んで対峙する山脈の山々は薄いブルーに、点在する山小屋の赤い屋根、青い屋根。沢の下には湖が細長く光っている。高瀬湖だ。私にとってこの出会いが北アルプスの原風景となった。
 燕山荘で一泊。御来光を見て、客におねだりのイワヒバリを観察して、ゆったりとした朝の時間を過ごしているうちに、小屋の登山客は次の山を目指して誰もいなくなっていた。私たち家族が最後となってしまった。早出早着きが原則の山で、またしてもこの調子だ。
 薄氷の張ったなだらかな山道が続く。今ここにいるんだ、と現実の幸福感一杯に西岳まで歩く。槍は徐々にその姿を大きくさせた。西岳までのゆったりした道は終わり、アップダウンが厳しい山道となる。東鎌尾根だ。大きな岩場が続き槍岳山荘に着く。雲が湧いて陽が傾き、この日の槍ヶ岳登頂は明朝に持ち越した。翌朝、霧の中の槍の頂はどうも滑りそうだった。娘に怪我をさせてはと思いながらここまで来ていた。
 勇んで釧路を出てきたが、楽しみに浮き足立っているのはきっと私だけで、この登山で嫌な記憶が残り山登りはもうこりごりとは思われたくなかった。いつになくこの時の私は妙に慎重だった。
 石橋を飛び越える私。少し叩いて渡る連れ。叩いて壊れて渡れなくなる娘。三者三様の性格。慎重なのは大切だがこのコロナ禍の中、自宅アパートで仕事をしている娘は週一回買い物以外、外出してない様子なのだ。これはこれで心配。話を元に戻す。ふっ切れた思いだった。夢の北アルプスに来られたのだ。
 もう十分に満足していた。またの機会が必ずある、そう信じて上高地に下りた。