『クスリ凸凹旅日誌』▶4話:出張という名の 海外旅行

2001~2009 台湾、韓国、香港ほか

台湾の中華航空へのプロモーション(2002年)

公私混成の観光振興
 1973年釧路市役所に入所してから42年間、自治体職員をしてきた。ほとんどは経済畑を歩んできたが、中でも観光は最後の5年間の阿寒湖温泉勤務も含めて14年間の長きにわたって携わってきた。
 市役所には本人申告といって1年に1度、自分の希望する職場を申告する制度がある。ボクは結構な頻度で申告をしてきたが唯一希望が叶ったのが観光の職場であった。
 公務員は公私混同がない生活スタイルを求められるが、ボクは〈公〉の仕事と〈個〉の仕事が峻別されることに与しない方だったので、勝手に俺は〈公私混成〉で行くんだと決めていた。
 2001年にこれからは観光の時代ということで格上げされた観光振興室という職場に赴任した。ボクはその中でも希望して当時の観光振興をリードするインバウンド誘致の仕事を担当させてもらった。釧路空港へのチャーター便誘致を主軸にしたインバウンド観光客誘致の黎明期であった。釧路空港国際化推進協議会という官民共同のプラットホームがあって、そのプロモーション事業の担当となった。台湾、韓国、香港など近隣アジアからチャーター便を誘致し団体観光客を東北海道に誘客するのが目的であった。


 海外というのは地方公務員にとってはほぼ無きに等しい出張先であったが、時代が変わって仕事の必要性があれば、東京に行くのも台北に行くのも変わりはない。だが当時、市職員が海外出張に行くのは珍しく、餞別と称して上司の部長から金一封を頂いたことがある。
 当時の誘致事業の流れは、訪問団を結成し、航空会社を訪問し、チャーター便の誘致を要請する。そして主要な旅行代理店を訪問し、釧路地方の観光地としての魅力を紹介する。夜は関係者をお招きしてレセプションを行い交流を深める。
 その後、関係者を釧路に招待し、観光地を案内するFAMツアーという視察ツアーを行う。
 まあこんな感じでチャーター便を利用した団体客が次から次と北海道を訪れ、年間2百便以上もチャーター便が釧路空港にやって来た。役所の仕事で成果がこれほど明確に形になることはそうあるものではなかった。
 ボクが携わっていた時期は、台湾が中心で香港、韓国と続き、これからは中国本土が中心という流れであった。約10回ほど海外出張に赴いたが、台湾が一番多く6回行った。それぞれの国にはそれぞれの事情があってプロモーションも同じではない。台湾は中華航空とエバー航空という2大キャリアの力が強く、旅行代理店はそれぞれのキャリアの系列下であった。このため座席は航空会社が旅行代理店に配分し、販売させる形だった。


 初期のインバウンド観光を牽引した台湾は住民の出国率も高く日本のJPOPやアニメを愛する哈日族と呼ばれる若者を中心とした日本オタクもいて、子供から大人までが親日的であった。中でも北海道は、本当はカナダの雪に憧れている台湾の人が、その代替として近くの北海道が注目されてる、と台湾の人から聞いたことがある。
 台湾は中国の一部として国連の承認も得られず、日本とも国交がなく、政情が不安定なこともあり、子息を海外留学させ、生活拠点を分散させている、という話も聞いた。確かに我々が誘致作業をするときは、正式な政府機関がないので民間組織の台北駐日経済文化代表処が、中華民国(台湾)の日本における外交の窓口機関であった。また、中華民国(台湾)側にも「亜東関係協会」(今は「台湾日本関係協会」に改名)があった。色々偉い人にもお会いしたが台湾の人は概ね友好的で、それはきっとトップダウンの交流が保障されていない中でボトムアップの交流が拠り所であったせいなのかもしれない。
 観光が地域の主要産業に押し上げられインバウンド観光への期待がますます高まるなか、ボクは市役所を定年退職した。退職後の職業に自然ガイドを選んだのは理由がある。団体客から個人客へ、国内観光客から海外観光客へ、地域観光の個性化を通した観光地の魅力アップ 等々、時代の変化の中で、地域の観光振興策を考えた時、必要なのは新たなニーズに対応した雇用モデルの創出だと思った。
 若い人が海外からの個人客をガイドし、広域に広がる東北海道の第一級の自然の魅力を伝える。そのための自然ガイドの職業としての可能性を広げたいと思った。

観光で試される地域力とは
 コロナでインバウンド観光の先行きが不透明である。これまでもインバウンド観光はSARSや領土問題、教科書問題などの歴史認識等々、様々な課題に折り合いをつけながら絶えることはなかった。それは一言でいってしまえば〈旅の魅力〉が成せるものなのかもしれない。
 観光振興に携わっていた当時、「試される大地」という北海道のキャッチフレーズがあった。ボクはこのキャッチフレーズがお気に入りだった。
 台湾第二の都市・高雄行った時、現地の交流協会の方が、
「塩さん、貴方の住んでいる街が10年後なくなることは想定していますか? ボクたちは今の高雄がこのまま続くかどうかわかりません」
といった。
 今になるとその言葉に込められた切実さがわかるような気がする。
 香港そして台湾をめぐる中国との政治的緊張感が増す中、コロナはもとより、これまで普通であったことが遠い昔のことに変わる状況が目の前に出現しつつある。「試される大地」この言葉がよみがえる。
 観光は平和産業である。「観光は平和へのパスポート」は国連が1967年の国際観光年に発したスローガン。観光振興とは産業だけのものではない、文化や歴史を通し、人々が交流し、理解する活動の姿である。
 観光振興で培ってきた我々の〈旅文化〉は今、疫病や政治体制の変動など、我々に災難をもたらす要因にどう立ち向かうか、どう折り合いをつけるか、試練の時を迎えている。
 試される大地がその真価を問われるときである。その土台に個人としての旅文化があることはいうまでもない。公私混成なのである。