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スプリングエフェメラルがやって来る(湿原の4月前半)~凸凹WABISABI自然ごよみ/6

エゾアカガエルの大合唱は3月下旬から4月中頃まで

平地の雪も融け、草花もチラホラ。最初はフキノトウをはじめ、早春の野草が芽を出します。
エゾアカガエルの合唱にあわせて、水辺にはミズバショウ。スプリングエフェメラル(春の妖精たち)の一番手はフクジュソウ。そしてエゾエンゴサク。その後にキバナノアマナの黄色い花やヒメイチゲの白い花が…。
中旬になると高層湿原には春一番のホロムイツツジやヤチヤナギが可憐で超地味な花を咲かせます。
北帰行の冬鳥たちはまだ居残り組もいて、湖沼にはオオハクチョウ、オオヒシクイ、キンクロハジロ、カワアイサ、ミコアイサなどが
帰りのタイミングを見計らっているようです。夏鳥はヒバリやハクセキレイ、オオジュリンが初便、その次がノビタキ、ベニマシコ、カワラヒワ、アオジたちが到着です。こんな感じで4月の前半が過ぎていきます。

釧路が一番寒い時期②~凸凹WABISABI自然ごよみ/5

冬鳥たちの北帰行と春一番のフクジュソウ。早春の天と地のシンボル

前回の「釧路が一番寒い時期」の絶対値でしたが、今回は相対値。例年4月上旬は時に降雪がある日もあり、以前勤めていた市役所の道路管理課では新年度になって除雪車の出動をしたこともありました。
今朝、4月7日の釧路市の最低気温は-3℃。最高気温の予測は5℃。全国予報では本州、四国、九州、沖縄は軒並み20℃以上なので、トリプルスコアならぬ4倍! ちなみに英語ではquadrupleというそうな。略してquad(クアッド)。今、対中国対応で4カ国連携(日米豪印)をしているのをクアッドといってますね。
それはさておき、この時期、早春の湿原は、といえば茶色系のなかにちらほら緑の芽吹きが見られ、目を凝らすと春一番の花も咲き始めています。ちなみに釧路の桜(エゾヤマザクラ)の開花予想は5月上旬で例年より早いです。
長い冬のエンドロールを待ちきれずに早春の湿原を散策してきた最新スナップで北国の春を味わってください。

釧路が一番寒い時期~凸凹WABISABI自然ごよみ/4

おおよそ-20℃以下で熱湯を外気に投げ飛ばすと氷の結晶になる現象。(映像提供 松岡篤寛)

 ボクは根がお調子者である。その場の雰囲気で結構いい加減なことをいう。自然ガイドなので基本的には科学的な根拠のある説明を心掛けている。しかしその場の雰囲気でつい口が滑って後で調べると違っていることがあって一人赤面するが後の祭り。

お客さん「今日は寒いですね。さすが北海道」
ボク「いえいえ今日はあったかいほうですよ。こんなもんじゃありません」
お客さん「一番寒いのはいつ頃ですか」
ボク「大体1月中頃から2月にかけて2週間ぐらいすごく寒い時期があります」
お客さん「マイナス何度ぐらいになるんですか?」
ボク「大体-20℃以下になります。阿寒湖温泉だと-30℃以下になります。30℃以下になるとちょっと次元が違います。ハイ。」

 コロナ禍で科学的根拠の重要性が叫ばれている。本当に一番寒い時期はいつ頃なのか気象庁の過去データで調べてみた。

 月毎の過去30年間の平均値で見ると一番寒かった月は1月が19回、2月は11回で年間の中では1月が一番寒い月となる。次に日毎の平均値を見てみると最低気温が一番低い期間は1月28日から2月2日までの六日間である。最低気温平均-11.4℃であるが、この前後も0.1℃単位の誤差なので-11℃以下になる1月21日から2月7日までのおおよそ2週間強が一番寒い期間と言っていいのではないか。中でも日平均気温が-6.1℃を記録している1月25日から1月29日までの五日間が1日を通して最も寒い時期になる。

 次に観測史上日最低気温のベスト10を見てみると過去30年間で釧路の最低気温は1922年1月28日に記録された-28.3℃である。阿寒湖畔では2019年2月9日に記録された-30.7℃である。

 ボクのいい加減さを検証してみると<1月中旬から2月にかけて2週間ぐらいの寒い期間>はほぼイイ加減である。最低気温が20℃以下も間違いない。ただ阿寒湖畔に関して言えば最低気温も-30℃そこそこなので、ちょっと大げさな話である。ちなみにボクは2010年から2014年までの5シーズン阿寒湖温泉で生活していたがこの間に-30℃以下の記録はない。しかしボクの中では-30℃以下の暮らしは体験済みのことになっている。いい加減である。

最近話題のジュエリーアイス。河口で凍結した氷が海に流れたものが、岸に寄せられたもの太平洋側で発生。オホーツク側は流氷ですね。

 さてこの時期に釧路でしてはいけないことは自宅を離れることである。複数日にわたって自宅を離れることはご法度である。2006年1月20日から24日まで甥っ子の結婚式で名古屋に行きその足で熊野古道を歩いてきた。自宅に戻ると何か雰囲気が違い不吉な予感がした。水道の元栓は止めて行ったのだが水が出ない。そのうち台所の下からじわじわと水が滲み出てきた。トイレに行って驚いた。便器の下から水が滲み出て白い粉が散らばっている。その粉の根元をたどるとなんと便器が割れている。元栓は閉めたのだが建物の中に残っていた水が凍結し管を破り漏水状態になった。水回りの配管をはじめ、便器、湯沸かし器が全滅し、旅行費用の倍ほど復旧費用にお金がかかった。以降、我が家の家訓「1月、2月に旅行はご法度。水道の元栓を止める場合は管に残った水を全て排水すること」その技術を身につけるために水道屋さんの指導を受け、マニュアルを作った。

 阿寒湖温泉に住んでいた時は最低気温が-20℃をこすとスケート大会の日は気温が上昇するまで競技が停止された。阿寒湖畔は内陸で山に囲まれた湖の辺なので冬は風が弱い。しかし、-30℃というのはやはり体感としては次元が違う。漁業協同組合の-50℃の冷凍庫から-40℃の冷凍庫に移動しただけで暖かくようなもので、顔の表面水分が凍結するような感覚がある。

 しかし体感温度というのはまた別で、強風下の-10℃より無風の-30℃の方が過ごしやすい。風速1m毎に体感温度は1℃下がるといわれてるので-10℃の風速20mの強風下では体感温度は-30℃になる。

 以上は釧路に住んでいる人の側の話で、観光で最も寒い時期に釧路を訪れるというのもその時期ならではの風景や体験をすることができるお勧めの時期なのだ。

 気嵐(けあらし)は釧路市内でいえば陸上の冷たい空気が海へゆっくりと流れ出し、釧路川が凍結し河口付近の海面の水蒸気を冷やして蒸発させ、霧(気嵐)が生まれる現象。気嵐は北海道の方言だそうだが、気象用語では「蒸気霧」。つまり水温より外気の方が冷たいので蒸発し霧が立ち込め幻想的な風景を作り出す。これは川霧ともいって湿原を流れる釧路川流域でも川沿いに立ちこめる現象が見られる。

川霧のけあらしのなかで佇むタンチョウが美しい音羽橋雪裡川流域。周りの樹氷もならでは。-20℃以下になるとけあらしが発生しすぎてタンチョウが見えなくなることもあるとか。

 ダイヤモンドダストという空気中の水分が凍結して朝日にあたって空気がキラキラ光って見える現象もある。最近阿寒にする仲間が熱いお湯を散布してそれが固体化する現象を写真にアップした。ボクが幼かった頃は銭湯に行った帰りだとか濡れたタオルをぐるぐると空中で回すといきなりカチカチになったものだ。人工的な遊びも進化している。

釧路川河口のけあらし。氷が割れて蓮の葉状になる現象もこの時期ならでは。

 寒さが苦手な方にはお勧めしないが、北海道らしさを体感するなら最も寒いこの時期もお勧めである。ちなみに齢をとるとだんだん体感も鈍くなってくる。暑さや寒さに関して鈍感になる。お客様の安全対策で欠かせないのは夏の熱中症、冬の低体温症であるが、わが身において最も気をつけているのは低体温症である。自分の感覚を過信すると危険である。そもそも体感がズレているという前提にたって、備えたいとおもう今日この頃。

厳冬期のお供は湯たんぽ。この時期は24時間ストーブを付けている方も多いが、我が家は部屋が乾燥気味になるので、電気毛布もダメで湯たんぽがこの時期には活躍します。

気象が観光になる日~凸凹WABISABI自然ごよみ/3

ジュエリーアイス。十勝川河口大津海岸が本場のようで豊頃町の観光資源。阿寒川河口大楽毛海岸でも観察できる情報もあり。(写真提供 草皆衛)

 観光地にとって一番重要なものは観光資源である。風光明媚な自然景観に出会ったり、お伊勢参りのような信仰行事であったり、時代の変化に応じてその資源の内容も千変万化。観光資源の掘り起こしというのが観光振興策にとっては重要な活動である。それは有形であれ無形であれ、人々にその地に赴いて体感する観光行動の源泉である。

 近年、気象現象が観光資源として脚光を浴びている。フロストフラワー、アイスバブル、ジュエリーアイスなど特に冬の極寒期における気象現象に新たな観光資源としての魅力発信が期待されている。流氷が観光資源として脚光を浴びたのはボクが小学生高学年頃からだと思うので、かれこれ半世紀。それ以降、けあらしや蓮の葉氷、ダイヤモンドダストなどプチヒットの観光資源も登場した。登場したというより掘り起こされたと言った方がしっくりくる。気象観光は見るだけではなく体感することが魅力の本質に近づくことになるので自然体験とセットで観光資源化されて行くのだろう。

 18世紀の英国絵画は風景画に新たな境地を開いて行くのだが田舎の何気ない風景が産業革命真っ盛りの時代にあって人々の心を癒した。そしてその延長上にウイリアム・ターナー(1775-1851)という天才が現れ<気象>という画題を絵画に持ち込んだ。それは雨や雲や霧やいわば大気・空気感を描き出した。抽象画やその後の印象派への影響もたらしたともいわれるが 、僕はマクロからミクロへ、大局から細部へ、どこか必然的な心持ちの変化のようにも思われる。気象は最も身近な環境変化を体感できる素材である。八百万の神の意志を御神渡りという気象現象から読み取った先人たちのセンスは我々にも引き継がれ、この分野の更なる可能性を感じさせる。

 季節や年次変動に左右され、特定の発生条件や不定期であることなど気まぐれな観光資源ではあるが、気象予測が進化する現代、<観光予報>という情報発信へ進化するに違いない。細部に神は宿る。コロナ禍のなか、日常や身の回りの環境に目を開けば小さな変化への気づきが生まれる。それは古来からの美意識である<わび・さび>の世界にもつながっているようにもおもう。

トビか、トンビか?!~凸凹WABISABI自然ごよみ/2

凹型の尾羽が特徴。トビの由来はとび職が使う鳶口という引掛け道具の先端が鋭い嘴に似ているところからという説

 釧路にとって1980年代は黄金の10年ともいえる時代だったのではないか。ラムサール条約に釧路湿原が登録(80)され、国立公園の指定(87)で観光が産業基盤の一つになるとともに、マイワシなどの大漁が続き釧路港は連続水揚げ日本一(79~90)、百万トンの大台も超えた(83)。
 この時期、ボクは釧路市役所で魚揚場に勤務し、毎日、釧路港の水揚げを見ながら仕事をしていた。圧倒的なカモメ。カラスやワシに交じってトビもいたに違いないがどうも印象に薄い。あれから30~40年が過ぎ、自然ガイドになってたまに港に魚ではなく、鳥を見に行く。若い時は全く興味もわかなかったが、カモメは1種類ではなくて、10種類ほどもいて、カラスもハシブトガラスとハシボソガラスがいて、冬にはひょっとしたらワタリガラスもいるかもしれず、海鳥も沢山、港内にプカプカ。今は魚の姿より鳥の姿の方が目に付く。興味のないものは眼が向かないとはいえ、ボクは露骨にその傾向が強いかもしれない。

 トビは身近な鳥だが、猛禽類としては勇猛果敢にはほど遠く、ゴミあさりやあぶらげをさらうのが得意な、しょぼいイメージが付きまとう。主役というより脇役、でも渋い脇役という感じではなく、なかなか名前が浮かばないバイプレイヤーのような…。
 コロナ禍で休業中のなか、トビを探しに港に出かけた。冬場の海外からのバードウォッチャーは、1にオオワシ、2にタンチョウ。以下、シマフクロウ、エゾフクロウ…。自分たちのフィールドではお目にかからない鳥が目当て。よって、我々には見慣れた鳥でもお客さんには珍しい鳥というのもある。
 我々が見慣れているトビは英名はBlack Kiteだが、欧州ではRed Kiteが主で、黒は稀少。きっとユーラシア圏全域に分布するオジロワシより珍しい鳥なのかもしれない。

 啄木の詩に「港町 とろろと鳴きて輪を描く 鳶を圧せる潮ぐもりかな」と釧路滞在時に釧路港を詠ったとおもわれるものがある。ピ~ヒョロロ、ピーヒョロロと鳴く声がトロロに聞こえるのが啄木風。さらにトビが主役かとおもいきや、その背後にある「潮ぐもり」が主役で、いつのまにかトビは背景に沈んでいくあたり、さすがバイプレイヤーの役どころを見抜いた啄木の確かな眼。
 普段は目立たないがいざとなったら鋭い嘴で一撃! とおもわせながら今日もトボトボと餌を探す日々。トビに自分を重ねて振り返る、なぁ~んて哲学的な心持ちは一切ないのだが、いつになったらガイドを再開できるのだろうとおもいながらトビを見つめていた。そして考えた。なんでトビを探しにきたんだろう?