3月22日に十勝の豊頃町育素多沼から浦幌町三日月沼周辺でガン類メインにバードウォッチングをしてきました。冬と春が重なるこの時節は冬鳥たちの渡りの季節でもあります。おもにシベリア方面の故郷に帰る野鳥たちは、オオワシ、オジロワシなどの猛禽類、ハクチョウやガンカモ類など冬の間、我々バードウォッチャーを楽しませてくれた大型の冬鳥たちです。このうち十勝地方は、おもにガン類の渡りの経由地になっているようで3月中旬から4月にかけて多くのガンの仲間である、マガン、ヒシクイ、オオヒシクイ、ハクガン、シジュウカラガンなどが十勝の空を群舞します。なかでもハクガンは、私にとっても初めての鳥で、一時は日本への渡りは極僅かだったのが関係者の保護活動が実ってここ数年、増えてきているそうです。繁殖地は極北のウランゲリ島周辺で、ここでの保護活動も功を奏して繁殖数も回復してきたそうです。十勝川左岸の酪農畑作地帯である豊頃から浦幌一体の農耕地に仲良く(?)ガンの仲間たちが群れて採餌していますがちょっとした気配ですぐ飛び立ちます。これがまた大迫力でおそらく数千から数万単位の群れが渡りの途中、ひとときの憩いの時かもしれません。旅立ちはいつごろでしょうか?4月のはじめでしょうか? 長旅の無事を祈るばかりです。
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日誌からみる武四郎の人となり
■ドナルド・キーンが亡くなって、あらためて 『百代の過客<続>』 を読み直し、氏の日本における日記文学への深い眼差しに興味惹かれた。 キーン氏は同書に武四郎を取り上げ、 「アイヌ民族の権利の、力強く、そして説得力のある擁護者としての姿が、文中から立ち現れてくる。」と 武四郎を評し 、また日記が武四郎自身の人となりを自ずと語ってくれているのが面白い、と述べている。
■ 現在、私は仲間との勉強会「武四郎を読む会」で、武四郎の日誌『戊午東西蝦夷山川地理取調日誌』を解読しているが、そのなかでも、そのことを納得するような件があった。勉強の対象テキストである『戊午東西蝦夷山川地理取調日誌』は在野の武四郎研究者であった秋葉実さんの解読による著書で、現在、読み合せているのは1858年、武四郎第6回目(最後の)蝦夷地探訪の部分である。「戊午久須利日誌」と題され、後に刊行本『久摺日誌』として紹介される釧路から阿寒湖畔、網走、斜里を巡り、摩周、弟子屈を経て釧路に戻るまでの日誌部分である。
■ ご存知のとおり、武四郎の旅はアイヌの案内人の同行があってはじめて成立したもので、依頼者とガイドとの関係性もガイドである私にとっては興味のあるところだ。今回、ご紹介するのはこの日誌の塘路泊を記述した個所で、武四郎とアイヌ案内人とのつながりと旅仲間に対する眼差しの優しさにいたく感心したのである。同文箇所の秋葉解読文と私の訳文を以下に示す。
■ ここで共感するのは、武四郎のマメな優しさ、上下関係より仲間関係重視、郷愁に対する感性、武四郎の旅のイメージなどであるが、ガイドの疲労に配慮して自らが米を研ぐ武四郎の姿勢は、彼の繊細な心遣いを表している。まさに寝食を共にして、苦難に満ちた蝦夷地探訪をアイヌ案内人とともに成し遂げた基本姿勢である。
また、ケンルカウスがイトウをさげて現れた様を「生涯の話の種に」という件には、エピソードの積み重ねのなかに旅の価値を認め、現場のなかの事実を積み上げながら、真のアイヌの姿に触れようとした人となりが垣間見れる。
■ 尊王攘夷論者として対ロシアから蝦夷地を守り日本がこれを統治する武四郎の考えには揺るぎはなかったのであろうが、武四郎のおもいどおりにアイヌを同化させることにはならなかった失敗談のエピソードも日誌には綴られていて、武四郎自身の揺らぎや困惑も垣間見れる。私が武四郎に学ぶのは、思想的影響をうけながらも、現地現場でそれを補正しながら真実を見極めようとする姿勢である。
-25℃極寒の釧路の朝
2019年2月9日。 釧路湿原極寒の朝。-25℃の世界。みんな寒そう~。
マクンペッ探訪記
釧路湿原の東側に位置する塘路湖の近辺に、地元の方たちが古川と呼ぶ、河川跡がある。松浦武四郎の『東西蝦夷山川地理取調日誌』によれば、マクンベツ及びマクンベツチャロとして紹介されているあたりとおもわれる。アイヌ語ではマクン〔mak-un〕奥の、奥にある、ぺッ:川となるのだろうか。ガイド仲間と一緒に1月下旬に探訪した。事前情報は、武四郎の勉強会の仲間が提供してくれた、古い写真である。1948年の空撮写真にはまだこの川が写し出されている。
当日は晴れた午前中で、まだ雪も深くなかったので長靴での探訪となった。川跡は確かに雪に埋まってはいるが明らかに蛇行する川であることが確認できる。土手には柳やヤチダモが多く繁茂し、カラ類の野鳥が頻繁に行き来する。蛇行するマンクベツを釧路川本流との合流点まで進み、折り返し、ヨシ原を抜けて再びマクンベツの凍結した流れに合流し、今度はアレキナイ川の合流点まで進む。この間は、ヤチダモの高木が多く、キツツキ類(アカゲラ、オオアカゲラ)が目につく。塘路湖と釧路川をつなぐアレキナイ川は冬も凍結しない流れを保っている。
ここから、いつもは釧網線の車窓から眺める、エオルトー、ポントーと呼ばれる湖沼の凍結した氷上を歩き、出発点に戻った約2時間のトレッキングとなった。
武四郎は日誌に、マメキリの乱(1789年のクナシリ・メナシの戦い)でこれに味方しなかったクスリアイヌをネムロ、クナシリのアイヌが追ってきたが、クスリアイヌはこの川に逃げ込み、追ってきたアイヌたちは釧路川を抜けていったので、クスリアイヌたちは助かった旨のエピソードを記録している。確かに本流も相当に蛇行しているのに加え、マクンベツがエスケープルートになって、周辺には小沼も点在しているとなれば、当時の湿原での追跡劇も目に浮かぶ景観である。
私は、冬のトレッキングルートの一つとして今シーズンから既に何度かお客さんをご案内している。時間にあわせてショートカットも出来るので、冬ならではの湿原ウォークを楽しむには魅力のコースである。ここでその昔、こんな物語が展開していたとは…。湿原らしい景観と環境、動物たちとの出会い、そしてアイヌたちの目線で歴史のひとこまにふれる。
アイヌ文化目線について考える
1月22日、川湯温泉で「観光客受入スキルアップセミナー」が開催(主催:くしろ圏観光キャンペーン推進協議会)され、ファシリテーターとしてセミナーに参加した。その内容をお伝えしたい。
セミナーは「アイヌ文化を活用した観光振興の方向を考える」をテーマに、秋辺日出男さん(阿寒アイヌ工芸協同組合専務理事)の「アイヌ文化目線をとりいれたガイディングの魅力について」と題した講演があり、その後、意見交換をおこない私も司会進行役として参加、計2時間ほどのセミナーとなった。参加者は、ガイド、自治体職員、観光関係者等約30名。地元弟子屈が約半数で、釧路市、厚岸町、霧多布からも参加があった。
○秋辺さんの講演のポイントは3つ、
・ガイドの心構えとして、時代区分の北海道と本州との違いや、アイヌに関する歴史的な基本知識は最低限そなえること。
・先住者にとって、北海道150年に失われたものとそれの回復としての社会環境の整備(白老のウポポィ建設などへ)などを理解すること。
・アイヌ文化のhappy な部分だけでなく、unhappyな部分もガイドは自分の引き出しにおさえておいてほしいこと。
また、アイヌ語やアイヌ地名における、伝承上の齟齬などネットや一部の解釈での理解は危険であることをふまえつつ、地名などはアイヌも和人も共有するものなので、ガイドをする上で魅力になる。さらに、伝説やアイヌと和人の発想の違いなども紹介し、同じ土地に生まれたもの同士、アイヌ文化を共有財産として活用していくスタンスを意識することが重要と締めくくった。
特に、次の若い世代にアイヌの文化歴史を伝えることは、北海道の歴史を知る我々の権利でもあると強調した。
私は講演のメモをホワイトボードでしめしたので、以下写真でご参照下さい。
その後、意見交換で各地からの参加者にアイヌ文化を生かしたガイドの実態をお聞きした。それぞれの地域にはアイヌテーマをメインにしたプログラムはないが、それぞれのガイドの場面ではアイヌ地名やアイヌ文化に関連する紹介をしている旨の発言があった。また、旅行代理店からはアイヌの当事者ガイドをメインとしたガイディング事業である「ユーカラ街道事業」の紹介があった。自治体関係者からはプロモーションなどでは、アイヌの負の歴史に関しては出来るだけ話さないようにしている、との実態も率直にお話いただいた。
秋辺さんからは、アイヌに関連した観光資源の掘り起こしや、アイヌ自らがガイドする事業への期待も表明された。
ファリシテーターは進行役なので自分の意見は出来るだけ言わない、とおもっていたが、是非、秋辺さんの被差別体験の話をお聞きしたいと質問した。というのも、セミナー前に2回ほど秋辺さんと打ち合わせしていたなかで、unhappyな歴史をガイドとしておさえる重要性を再認識させられ、私自身ガイドにおける「心と技」の部分では、「心」の記憶として秋辺さんの被差別体験を留めたいとのおもいがあった。
講演タイトルの「アイヌ文化目線をとりいれたガイディングの魅力について」は秋辺さん自身の命名ではないそうだが、理屈っぽく考えるには適したものだ。「アイヌ」とは何か、「文化」とは何か、「目線をとりいれる」とはどんな表現か、我々の「ガイディング」スタンスは、お客さんに伝える「魅力」とは…。そういう「技」を駆使しつつ、決して忘れることのない「心」を秋辺さんの体験をとおし、参加者と少しでも共有できたとおもえた。
私は前日、豪州からの観光取材メンバーを川湯温泉まで案内してきた。2000年シドニー五輪は先住民アボリジニの最終聖火ランナーであるキャシー・フリーマン(彼女は400mの金メダリストにもなった)の印象が残る民族融和の演出が施された開会式であった。秋辺さんも2020東京の開会式演出で先住民部分の演出を担うようだ。何かの縁を感じた。総合統括である野村満斎氏の演出コンセプトは「和の心」だそうだ。その「和の心」にアイヌの心がどのように含まれ、表現されるのか、とても楽しみになってきた。
最後にまとめとして、会場ではまとめきれなかったので紙上でご勘弁いただきたい。
我々が目指す目線は、不幸な過去を忘却の彼方に追いやるものではなく、それを包含し多様な文化を共有しつつ、ともに目指す未来像であってほしいとおもう。グローバルには「民族の共生」から「自然と人の共生」へ、ローカルでは「持続可能な自然と地域」を実現する”心と技”をお互い磨いていきましょう。