イタリア旅行でしばらく不在、さらに東京で娘と花見で東西の春を満喫してきました。帰釧した翌日(4/7)の暴風雨で関東以西の桜は終わりを告げているようですが、これから東北、北海道は春です。特に道東の釧路、根室地方は日本でももっとも遅い桜の開花となり、例年は5月中旬です。
北海道は冬が長く春は一斉に草花が芽吹く最高のシーズンです。今年はイタリアや東京で春を満喫した上に、北海道でもエゾヤマザクラを愛でることが出来て幸せです。
「凸凹日誌」カテゴリーアーカイブ
落石漁港で憧れのエトロフウミスズメとじっくり2時間
根室のガイド仲間から、落石漁港にエトロフウミスズメが入っているとの情報をもらい、急遽、釧路から2時間、車をとばし落石漁港へ行ってきました。図鑑でしかお目にかかれない海鳥が、落石ネイチャークルーズの運航で俄然、身近な観察対象になってきたのは嬉しい限りです。さらに漁港の野鳥情報発信も充実してきて、最近、私の観察リストにも新規登録が増えてきました。
ここ数日の荒天でクルーズは欠航とのことですが、荒れた外海から静穏な湾内に海鳥たちが避難してきたようです。エトロフウミスズメは通常、外洋で観察される鳥とのことですが、こんな身近で、それも足のついた陸から観察できるなんて…。
いました、いました。おもったより小柄でずんぐり体型。図鑑の冬羽より、立派な冠羽、嘴はくすんだオレンジで、眼際の白いラインは随分と明瞭で長い印象でした。潜水採餌を繰り返すのですが、岸壁際からすぐそばでほぼ同じ間隔で浮上するので観察がし易い。約2時間ほど4羽の個体を確認しました。
落石クルーズの方によると、ちょっと弱っていた個体がオオワシにさらわれたとのこと。自然は厳しい。
この日は、風が強く、外海は荒れていましたが、こんな時だからこそのバードウォッチングもあるのですね。エトロフウミスズメを観察していたら、上空を見慣れぬ鳥が旋回し、港の空き地に留まりました。慌てて写真を撮ってから図鑑を見ると、ケリという鳥。北海道にはほとんど馴染みのない野鳥です。温暖化、荒天等さまざな要因も推測できますが、このケリ君、周りのカラスに威嚇されながらも、初めて見るかのように雪の周りで餌をあさっておりました。
産業活動の場所なので注意が必要ですが、港は身近なバードウォッチングの適地でもあります。意外な来客とじっくり出会うこともできますよ。
テレビマンユニオン製作「遠くに行きたい!」で鶴居阿寒の仲間たちが出演
テレビマンユニオンといえば、私の世代(60代)にとっては、テレビ時代の先駆けをまさに疾走していた制作会社でした。ベトナム戦争激化のなかで、TBS系をメインとするテレビ報道の可能性を切り開いていた猛者たちが集結していた印象があり、電話で問い合わせがあった時も、優しい女性スタッフの声でしたが、おもわずドキッとしました。
「遠くへ行きたい」はそのテレビマンユニオンが製作している現在のテレビレギュラー番組の最長寿番組だそうです。私の子どもの頃は、永六輔さんがレギュラー出演し、観光地ではない普通の町の風土にふれる、今日のツーリズムの先鞭をつけた番組だったようにおもいます。今回は、釧路ロケ編で少しばかり情報提供のお手伝いができました。
いつもお世話になっている、鶴居、阿寒の皆さんが画面に登場し、おもわず写真を撮りました。人と自然の関係性を大切にしている番組コンセプトは今も昔も変わらないようにおもいました。
高速道路開通で準備整う「阿寒マルシェ」に行ってきました
3月12日に開通する道東自動車道阿寒ICにともない、札幌からの時間距離は一気に39分も短縮される。(一般道使用時との比較)
とはいえ、札幌釧路間は4時間30分ほど、JR北海道では4時間の移動時間がかかる。観光関係者は札幌でのPR活動や物産販売PRで大忙しのようだが、迎える阿寒町では道の駅「丹頂の里」に新しい物販施設「阿寒マルシェ」がオープンした。釧路市はもとより釧路管内の、水産品、野菜・加工品、お菓子、乳製品が揃い、阿寒ICから阿寒湖温泉(約50km)へ向かう観光客に物産でPRしようというもの。この道の駅は、冬のタンチョウ観察拠点で今年も世界からタンチョウ撮影のカメラマンが集まったが、これからは道の駅そのもののグレードアップも予定されて、夏の魅力も発信するエリアになるようだ。乞うご期待!
SLを見つめているとなぜか仏像を拝む気分になった
私の父は国鉄マンであった。釧路市の浪花町に国鉄の機関区工場(現在、国の合同庁舎)で、おもにSLの修理をしていた技術者だった。私が小さかった頃、溶接の全国大会に出場するほどの腕前で、家のなかにも鉄製の加工品がいろいろあった。両親の実家が知床の斜里町だったので、国鉄勤務の特典で家族パスというのがあって、夏冬休みはいつも釧網線で実家に行っていた。
私は特に鉄道ファンというほどでもないが、「SL冬の湿原号」に乗ると昔の情景がよみがえる。あの頃は、確かC58がメインだったような気がする。冬の野上峠(川湯駅~緑駅間)は重連でも歩くほどのスピードで峠超えをし、斜里駅につくと、叔父さんが馬橇で迎えに来てくれた。
いつもお弁当はおにぎりだったが、ごく稀に駅弁を買ってくれることがあった。子どもにとっては夢のような出来事で、川湯駅には「しいたけ飯」、斜里駅には「鶏めし」という名物弁当もあり、ほんの数度の出来事であったが、その時の感動は今も忘れない。バヤリースオレンジという缶ジュースがあって、初めて買ってもらった時は、嬉しさあまって、汽車に酔って、全部吐いてしまった。2月25日は父の命日である。「SL冬の湿原号」は、手入れの行き届いたクラシックカーだ。よく見ると仏像をおもわせるフォルム。いつまでも、とは無理な話だが、来年も勇姿を見せてほしい。
おもわず合掌。