釧路学教養講座で『松浦武四郎の足跡』と題して、1時間30分の講演をしました。私の連載エッセイ「旅する阿寒」を呼んでくださっていた担当者が講師に推薦してくれたようです。武四郎の釧路での足跡と阿寒クラシックトレイルのことを話しましたが、時間が足りず、少し最後は尻切れトンボ状態でした。経験不足なんでしょうか、時間配分がなかなかうまく行きません。それでも約50名の受講者の方は熱心に聴いてくれました。お話していると聴衆の表情は結構伺い知れるので、ほとんど寝ている方もいなくて、話がいがある講演でした。これからもこういう機会をとおして、阿寒クラシックトレイルもアピールしていきたいものです。
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凸凹旅行舎ガイド研修記③ 釧路の観光まちづくりを旅をしながら考える
当舎の研修はフィールドワーク(自然やまちなみ)と資料館や美術展等関連文化施設の視察がセット。類比的に視察箇所や鑑賞箇所を決めている。今回は黒部渓谷、木曽路散策後、東京で2つの展覧会を鑑賞。ここ数年、阿寒の観光まちづくりを個人的なテーマにし、特に温故知新のモチーフとして松浦武四郎の古道トレッキングや前田一歩園の歴史を掘り起こしている。
今回の一つ目は江戸東京博物館の『よみがえれ!シーボルトの日本博物館』展で、武四郎から遡って、間宮林蔵そしてシーボルトに行き着いた。この歴史を縦軸とすると、横軸は吉村昭の著作で、『間宮林蔵』『生麦事件』『ふぉん・しいほると(シーボルト)の娘』と読み進んで、これに『高熱隧道』も加わり、今回はさながら吉村文学の旅。さて、外国人の目線で日本を紹介するため生活文化自然芸術等々の蒐集品を欧州に持ち帰ったシーボルトが日本文化をつたえる博物館構想をもっていたのを再現したのがこの展示会であった。シーボルトが構想未完のまま没した1866年から12年後の1878年に、逆に日本人の目線で欧州に日本文化を発信したパリ万博の日本館の中心人物が前田一歩園創設者の前田正名である。欧州はジャポニズムのブーム真っ只中で、その源流部にシーボルト、本流に前田正名の存在があった。
二つ目はビアトリクス・ポター生誕150周年『ピーターラビット展』(渋谷BUNKAMURAミュージアム)である。英国湖水地方=V・ポター=ナショナルトラストは、阿寒の森=前田光子=一歩園財団と私のなかでは対で、自然と人の共生と観光文化の結びつきを類推しながら考えることがおおい。阿寒にはアイヌという先住民文化とともに、自然と人の共生文化のキープレイヤーとして前田一歩園の活動が阿寒における地域と自然の持続可能性に寄与している。阿寒の観光文化を次代につなげるために、より深く地域の物語を世界に発信する場が必要だとおもう。絶景や自然美の背後にある物語は観光により深い感動をもたらすものとなる。ポター関連の観光施設が点在する湖水地方、阿寒にも前田一歩園関連の観光文化施設があってしかるべき。あたらめて阿寒の可能性を想像しながら、二つの展覧会を鑑賞した。
凸凹旅行舎ガイド研修記② 木曾路で体感した温故知新、妻籠はどうなる?!
凸凹旅行舎ガイド研修は、恐怖の黒部峡谷「下の廊下」から移動し、中山道木曽路の歴史トレッキングルートを馬籠宿から妻籠宿までウォーキング。人気のコースを視察し、阿寒クラシックトレイルで行っているトレッキングの参考になるヒントを見つけ出すのが目的であった。まず驚いたのが、外国人特に欧州のお客さんの多いこと。約8kほどのトレッキングだったがコース上であったのはほとんどが外国人(日本人は我々と女性2名組みのみ)。また、中華系の方をほとんど見かけなかった。歩く文化は欧米指向か? さて、コースは、ほどよく整備され、県道と交差しながら杉や竹林の木立の中、小川の流れとともに歩き、時には滝やお休み処も設置されている等、歩く側からするととても心地よく日本の自然と歴史文化を体感できる。
また、熊よけの鈴やトイレが随所に設置されており、安心して歩くことができた。外国人向けには木曽路全コースを網羅したMAPパンフが無償配布されており、これなら日本を味わいながら安心して散策できるな、と感心しきり。さて、コースの中ほどに古民家を使ったお休み処があり、お茶や小梅の焼酎付け、漬物、柿などを無償で振舞ってくれた。管理人のおじさんは片言の英語で外国人にも接待、木曽節も披露。おかげで私は英会話の実践トレーニングも出来た。こんなおもてなしは旅の記憶として木曽路を強く印象付けるものになるとおもった。私たちは、あこがれの妻籠宿に1泊した。全国の伝統的な町並み保存運動の先導となり、明治初年の旧宿場の景観保存と復元作業をおこなった妻籠には厳しい規制ゆえか、日常の生活用品を購入する店舗がないので、昔にタイムスリップしたようだが生活臭というのも感じない寂しさがあった。老夫婦の民宿にお世話になったが、体調のおもわしくないご夫婦は、いつ宿を閉じるかわからないと話していた。同じ街道筋の奈良井宿(数年前に訪問)では、新旧の機能を取り入れたまちづくりを指向しており、若い人の店舗も多く活気があった。観光地として再生した妻籠宿の今後はどうなるのであろう。旅人も高齢化するが、観光地も高齢化するのである。旅人は一方で国際化により若返るが、観光地のまちづくりは保存と創造のバランスシートのなかで地域の持続可能性を検証し続ける運動なのだとあらためて実感した。
凸凹旅行舎ガイド研修記① 究極の川の道「下の廊下」にシビレた~!
恒例のガイド研修、今年は5年越しの念願、黒部峡谷「下の廊下」を歩きました。戦時の電力開発を支えた作業道は断崖絶壁沿いに削りつくられた道。人と自然の格闘の現場であり、ここの開発では3百人におよぶ作業員が命を落としている(吉村昭『高熱隋道』を読まれたし)。2日間で約27kmを約16時間かけて、いつでも足を踏みはずせば百メートルほどの川底に滑落する恐怖と過ごした。肉体と神経が疲労する。いろいろおもうところがあるが、消化するには少し時間がかかる。想像を超える現場というのはまだ沢山あるんですね。
旅の予習、旅の復習。
今年のわが舎の研修旅行は黒部峡谷の水平歩道トレッキング。戦後、日本の電力開発を切り開いた人々の自然との壮絶な格闘の現場である。吉村昭著『高熱隧道』には、その修羅場が見事に活写されている。旅の予習である。
図書館で再読のため『高熱隧道』をさがしていたら、同著者の『ふぉん・しいぽるとの娘』を見つけた。シーボルトは江戸時代、日本の動植物や民俗性を欧州に伝えたドイツ人。今年、没後150年を記念して、ミュンヘンのシーボルトのコレクションが採集元の日本に里帰りする展覧会が東京でおこなわれている。研修旅行に展覧会鑑賞も追加した。シーボルトが紹介した日本の動植物の学名にはシーボルトの名前が付けられているものが多い。先日、バードウォッチャーのお客様を白糠刺牛の海岸にご案内した。ここはアオバトの繁殖地で多くのアオバトが岩礁に海水を飲みにやってくる。この珍しい習性をもつ日本周辺にしか生息しない野鳥の学名Treron sieboldiiにも同氏の名前が記されている。ひょんな巡り会わせから、旅の予習と復習の楽しみがうまれる。