2006年1月20日~24日名古屋市 熊野古道(中辺路、熊野三山、那智の滝ほか)
旅元のトラブル
旅先で大きなトラブルに遭遇したことはない。しかし旅元、つまり旅行中の自宅が大きなトラブルに見舞われた。
この旅は名古屋在住の甥っ子の結婚式に出席するのがメインテーマであった。このため通常は出かけることのない真冬の旅となった。北海道は1月下旬から2月上旬にかけてが最も寒い期間である。この時期は旅行に行っては行けない危ない時期なのだ。
以前勤務していた港湾部でこの時期に釧路港の港が凍結したことがあった。このためLPGタンカーが入港できず、不凍港といわれている釧路港が凍結することで、ここを基地として道東各地や道北に輸送するプロパンガスが停止した。氷が溶けないので最終手段として港を浚渫しているクレーン船に氷を割ってもらい窮地を脱した。そんな苦い経験を思い出す。
ボクたちは1月21日の結婚式に合わせて前日出発し、結婚式が終わった後は熊野古道を探訪し、釧路に戻る4泊5日の旅を計画した。出発前に水道の元栓を閉め、万全の体制で出かけたつもりだった。
しかし…、
帰釧すると、どうも家の中の様子がおかしい。元栓を開き水道の蛇口を開けても水が出ず。そのうち台所の下や、トイレの中で妙な音がすると水が湧き出してきた。よく見るとトイレが割れている。な、なんと家の中の温水器やトイレや水道管のなかの水が凍結し氷となって管が破裂しているのである。
我々が旅行中の釧路の最低気温(すべて氷点下)は20日ー9・4度、21日ー13・9度、22日ー16・3度、23日ー18・3度と右肩下がりの冷凍庫状態であった。結局補修するのに旅行費用の倍以上のお金がかかった。
その後、我々の旅行は、この教訓を生かし、①真冬は旅行しない ②水道の元栓を締めるだけではなく、室内にある水を全て排水する作業を行う。これには専門家の指導を受け、忘れない為にマニュアルを作るほどの念の入れようになったのである。
ガイドの原点
この旅で初めてガイドというのを熊野観光協会を通して依頼した。有償ガイドでそれなりの料金であった。1日中ガイドされるのは独学志向のボクにとってはちょっと煩わしいので、午後からの半日ガイドをお願いした。午前中はボクらだけで熊野古道を歩いて雰囲気をつかみたいと思った。
熊野古道を選んだのは、世界遺産指定は意識したが特別に興味があったわけではない。中上健次の小説は何冊か読んではいたが、映画化された『赫い髪の女』(熊代辰巳監督)、『十九歳の地図』『火まつり』(柳町光男監督)などの映画の方が身近であった。特に柳町監督作品は映画サークルで上映したこともあり、監督とも会ったことがある。南方熊楠のことは興味があったが、奇人として捉えていた。
どうも熊野というのは何か因縁のある土地のような気がしていたが、ボクにはちょっと奥が深すぎて手に余る処のような気がしていた。
ガイドをつける価値があると思った。玉井さんという女性のガイドは、その後のボクにガイドの道を開いた原点になった。本人が聞いたらびっくりするかもしれない。旅行の時点でそう思ったわけではない。その後、旅先では意識的に地元のガイドや施設のガイドサービスを利用するようにした。特に熊野古道や遠野など土地の歴史や風土の背景を知っていることが旅をより楽しくする旅先ではガイドの力は大きい。
玉井さんは決して多弁ではなく、歩きながら合間、合間に風景や道端の史跡を説明してくれた。そのリズムがなかなかいい。ボクたちの質問にも的確に答えてくれた。ガイド、特に無償のボランティアガイドなどはガイドが自分の知識を我々に伝えることに一生懸命なあまり、一方的になり、こちらの気持ちは置いてきぼりのことがままある。高齢の方にその傾向が強い。自戒したい。
ボクたちは熊野三山(熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社)を巡り、那智の滝を拝み、熊野信仰の原点といわれ、熊野の神々が降臨したゴトビキ岩と呼ばれる巨岩のご神体が断崖上に祀られている神倉神社にも行った。
旅先の現場でしか味わえないこととは何だろう? 熊野古道のことを知りたければ歴史書や映画や小説など様々な表現物が導いてくれる。現地でなくては感受できないもの。ひと言でいえばセンス・オブ・ワンダー(レイチェル・カーソン)。興味への気づきとでもいおうか。現場でインスパイアされるもの。
玉井さんが現地で説明してくれたことをボクは今はほとんど思い出せない。でも熊野古道は「いいなぁ」と気づかせてくれた。またいつか熊野古道を歩いてみたいとおもった。東京に戻り新宿のタカシマヤ紀伊国屋書店で『熊野古道』(小山靖憲著 岩波新書)を購入し、釧路への帰路に完読した。
SIT(Special Interested Tour)という分野が旅行にはある。特定のテーマに沿ったグループツアーである。ボクがガイドする釧路湿原の観察ツアー、松浦武四郎の古道散策、バードウォッチングツアーもSITである。
ガイドの力は大きい。しかしガイドはお客さんに寄り添いながら、気づきをサポートすることが重要だ。出しゃばりすぎはよくない。でも引き出しは沢山用意してくことが重要。
ボクは8年後、市役所を退職し、クスリ凸凹旅行舎というネイチャーガイドの会社を立ち上げた。この会社は地域出版物も手がけているので「ガイド」と「出版」が活動の両輪である。
現地での旅を終え、書籍でその旅を振り返りながら知識を膨らませ、興味を広げるいわば「読む旅」も手掛けたいと思った。
新たな旅文化をつくる。熊野古道はそういう志のガイドの原点になったのである。