『クスリ凸凹旅日誌』▶20話:空海の歩いた道。 高野山巡礼

2018年4月6日~11日
奈良、高野山、吉野山、松阪市

壇上伽藍といわれる高野山の修行施設群。その象徴である根本大塔

祖母の記憶
 父の母、ボクの祖母・塩ウトは徳のある人であった。気さくな人で子どもだったボクとテレビを見ながら「これは向こうの人もこちらが見えるんだろうかね?」と聞いたりした。「バーチャンはこうだからなぁ…」と小馬鹿にしていたボクも、今の時代になると、バーチャンには未来を予見できたのかも? とおもう。
 バーチャンは熱心な仏教徒であった。塩家の宗派は真言宗。弘法大師・空海である。バーチャンは何度か高野山や四国八十八カ所霊場巡りなどにも行っていたので、高野山や弘法大師のことも話や絵本の読み聞かせなどで教えてくれた。両親も中高年に入ってから同じように霊場巡りをしていた。父を湯潅する時は八十八ヶ所巡りの装束を着せ、杖を入れて納棺した。だからボクも…、というわけではない。
 例によって連れの発案で高野山の旧道町石道を歩こうということになった。高野山は標高約8百mほどの深山の平地に広がった空海が修行道場として開発した宗教都市である。
 高野山には高野七口と呼ばれる7カ所の出入口があるのだが、町石道は空海が最初に高野山の開発で造成した道であり、その道が今も山道として残っている。


 南海高野山線に乗って終点の極楽橋駅の六つ手前の九度山駅で下車。町石道の入り口である慈尊院まで九度山の街を歩く。大河ドラマの『真田丸』で真田一族が徳川家康に蟄居を命ぜられ、隠れ住んだ跡地の寺院を見物し、ご当地グルメ柿寿司を製造元でゲット。いよいよ町石道である。
 入り口の慈尊院は女人禁制であった高野山に空海の母が会いに来た処。母に会うため空海は九度下山したということが九度山の名前由来の一説だそうだ。町石道はここから高野山まで約23キロ、約7時間の散策コースである。標高差は約7百mで山道ではあるがハイキングコースとして整備されており、迷う心配はない。1町=109m毎に石でできた卒塔婆=町石(五輪塔を乗せた角塔婆という)があり、この町石毎に手を合わせ、高野山に至る(我々はそんなことはしませんでしたが)〈祈りの道〉であり〈修行の道〉である。
 これまで歩いた本州の古道は何処も森は杉の人工林になっており、残念ながら植生の多様性という点から見ると魅力に乏しい。ボクにとって歩くことの意味は、これ一つというものに絞れるものではないが「自然観察」はその一つであることは確かなのでその点では残念だ。しかし高野山に行くにあたって、この町石道を歩くということは、人生を振り返り、再生し生まれ変わる修行体験と考えれば、とても意義深い経験であった。
 町石は慈尊院から高野山の「壇上伽藍」と呼ばれる修行施設群まで180基、そこから空海が即身成仏として入定し、今も眠るとされている「奥の院」まで36基ある。
 前者は「胎蔵曼荼羅」、後者は「金剛界曼荼羅」という真言密教にとって重要な曼荼羅(密教の宇宙観や世界観を描いた図像)を表し、そこに描かれた仏の数にちなむのだという。ここを歩くことは〈仏の道〉に近づくこと。ということもほとんど高野山から戻ってから調べてわかったことであった。
 我々は宿坊と呼ばれるお寺の宿に一泊した。ここで一泊することも修行になるそうだ。何から何まで、ご利益がありそうだが…。ボクは観光振興に毒されているかも。

高野山の教え
 高野山には聖地のシンボルが二つある。一つは「壇上伽藍」と呼ばれる金剛峯寺や根本大塔などの修行寺院群。もう一つは空海が眠る「奥の院」である。町石道を歩いている間はほとんど人に会わなかったが奥の院には観光客がたくさんいた。驚いたことに半数いやそれ以上が外国人観光客。さらに驚くべきことは外国人観光客が欧州からの個人客が多いということである。アジア系の団体客が皆無。欧州からの観光客は、中山道を歩いた時も目立った。
 海外旅行で知ったのだがキリスト教の三大巡礼地は生誕の地エルサレム、ローマのバチカン、そしてスペインのサンチャゴ・デ・コンポステーラであり、巡礼の道というのは文化として根付いているのがヨーロッパだということである。多くの観光客は日本の寺院や、特に高野山を特徴づける奥の院の杉の巨木に囲まれた中にある30万基を超えるといわれる墓石や供養塔が作り出す日本ならではの聖地の佇まいに日本文化の一旦を感じるに違いない。また宿坊での宿泊体験(勤行や精進料理)も魅力的な観光資源になっているのだろう。ボクがロマネスクやゴシックの教会で彫刻や絵画、ステンドグラスに描かれた物語に魅入るのと同じで、そこには宗教を越えて迫りくる何かがあるのだ。


 ボクは特別信心深くもなく、我が家の法事もとりあえず参加する程度。高野山にも格別宗教的な目的を持って行ったわけではない。真言密教とは「言葉で伝えられる限界を超えたところに仏教の悟りがある」という考えだそうだ。言語に頼る宗派は顕教といわれるそうだ。
 ボクにとって歩く旅は、スピードやリズムに合わせて、過去を振り返り、未来を思索する。そして軟弱ではあるが山岳修行にも繋がるものと空海のことを調べながら行き着いた。
 「貴賎を論ぜず、貧富を看ず(亡くなってしまえば、男女も、貴賤もない)」「怨親平等(生あるものは皆、平等)」といった空海の教えをバーチャンの〈振る舞いの記憶〉がボクに諭してくれているようだ。奥の院には千人以上の高野聖を処刑した織田信長の供養塔もあった。
 仏敵と山のように積み上がった無縁仏の野仏が共に眠っている。死した後は皆、平等の教え。
 論より証拠である。