阿寒ガイド(武四郎足跡ツアー)

■釧路阿寒歴史紀行~幕末の北方探検家「松浦武四郎」の足跡を訪ねて~

北海道のみならず北方領土、サハリンまでも含め6回にわたる蝦夷地探訪により、多くの功績を今につたえる松浦武四郎の釧路阿寒の探訪時の足跡をたどります。また、様々な開拓の名残りを訪ねながら、釧路から阿寒湖温泉まで、歴史や郷土文化の魅力を体感するガイドメニューです。

・おもなご案内ポイント(コース時間によって案内箇所は変わります)

 ・松浦武四郎探検像(幣舞公園)
 ・武四郎止宿の地(阿寒町布伏内)
 ・雄別炭鉱跡(阿寒町雄別地区)
 ・アイヌ地名を訪ねて(ワッカクンネナイ、イタルイカオマナイほか)
 ・武四郎の顕彰碑(阿寒湖温泉地区)
 ・阿寒湖畔散策路
 ・前田一歩園創設者前田正名の顕彰像(阿寒湖温泉前田公園)
・武四郎湖畔止宿地(阿寒湖アイヌコタン)

・所要時間:1日コースとなります。
・待ち合せ場所:お客様の指定場所に出向きます。(ただし、釧路市内又は阿寒湖温泉にてお願いします)
・実施期間:6月、9月、10月の3ヶ月間、1日1組

【ツアーを楽しむための情報】▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼
■鳥のように、虫のように。
江戸時代から明治時代にかけて、阿寒の地に大きな足跡を遺した偉大な先人・松浦武四郎と前田正名。
好奇心と感性に溢れた少年期。未知の世界を自らの足で探訪した青年期。地域社会の営みを重視し、産業開発と環境人権の両立を実践した壮年期。そして後世に託す夢の標を示した老年期。世界を見渡す鳥の眼と足元の一歩を大切にした虫の眼を持つ小さな巨人。その足跡に触れる道(阿寒クラシック)は、先人が伝える、スピリッツ(精神)を体感する道です。

松浦武四郎1818-1888
松浦武四郎(1818-1888)

■松浦武四郎~蝦夷地探検とアイヌ人権擁護の道~
幕末のカイの国(蝦夷地)を6度に渡り探査した武四郎は、1858年(安政5年)に自身6回目の探訪で、阿寒釧路の内陸踏査をおこないました。アイヌの案内人とともに、資源状況・道路確認・アイヌ地名とコタンの実態を調査します。
そのたどった道は、幕府が北方ロシアの脅威に備えるべく開削した「網走山道」でした。その道は、アイヌが狩りや交通に切り開いた道であり、後に資源を搬出する産業道路、そして観光や地域交流を支える現在の「まりも国道」へとつながっています。

→武四郎の蝦夷地探検図
→阿寒町から阿寒湖まで、武四郎作成の取調図
→おもなアイヌ地名
→武四郎の略歴年表
↓武四郎メモリアル

松浦武四郎探検像(釧路市内幣舞公園)
松浦武四郎探検像(釧路市内幣舞公園)
武四郎の詩碑(雄阿寒登山口入口国道わき)
武四郎の詩碑(雄阿寒登山口入口国道わき)
前田正名
前田正名(1850-1921)

■前田正名~前田一歩園創設者の歩んだ道~
前田一歩園の創設者・前田正名は、明治の近代化をめざし、農商工産業振興と海外への直接輸出を訴え、全国を駆け回り産業団体設立に尽力しました。その活動は「前田行脚」と呼ばれ、常に蓑笠と旅草履のスタイルは山梨県知事時代も「蓑笠知事」と呼ばれるほど徹底した現場主義でした。
同時に我が国の発展を産業政策、金融政策から訴えるため、世界の先進地を巡り、調査報告を政策立案につなげました。最後の夢の舞台、阿寒の森は木材産業振興に立脚しつつ、環境への配慮を取り入れた開発理念を実行し、環境の時代を予見したその類まれなる先進性を今につたえています。

→前田正名の略年表
→環境と人権の系譜
→開発と開発の歴史
↓前田正名メモリアルスポット

前田正名像のある前田公園ではマリモ祭りにアイヌの法要の舞いがおこなわれる
前田正名像のある前田公園ではマリモ祭りにアイヌの法要の舞いがおこなわれる
正名が湖畔に訪れた時の古道は先人達が昔から使っていた山越えの道
正名が湖畔に訪れた時の古道は先人達が昔から使っていた山越えの道

釧路湿原、阿寒・摩周の2つの国立公園をメインに、自然の恵が命にもたらす恩恵を体感し、自然環境における連鎖や共生の姿を動植物の営みをとおしてご案内します。また、アイヌや先人たちの知恵や暮らしに学びながら、私たちのライフスタイルや人生観、自然観を見つめ直す機会を提供することをガイド理念としています。