トレイルは続く
いろいろなことを考えつつ家を空ける事となる。
今ではすでに90代に入って老人ホームにいる母二人。持病を持ってグループホームに住む妹。義理の母は心配事はとりあえず、兄夫婦が近くに住むので安心だけど、私の方は頼りになるのは私だけなので、母と妹は私以上に無事の帰りを待っている。
おおよそ連れは、私のこの心配事とは無縁の人に感じる。楽しむことについてはいつも一杯の様子だ。嫌味ではなく、楽しめる「力」に凄味を感じている。末っ子で幸せに育ったんだと思う。私は長女で様々な家庭の事情を見て育った。そして抱えている。
家を空ける時は、重たいリュックと、重たい想いを背負って旅に出る。道中、頭を離れない。楽しむとは、きっと様々な事をかかえて対応しなければならないのは、誰もが同じなのだ。
そんなこんなで留守をする私の気持ちのサポートをいつもしてくれる亡弟の連れ合い信子さん、娘の弓喜子、ありがとう。
そして母、妹にありがとう。待っていてくれる人がいるから、帰るという事が大切になる。
(幸子)
コロナ禍のなか新生活様式というのが提唱されている。北海道も「新北海道スタイル」といわれるライフスタイルで、これまでの我々の日常生活にも変化が促されている。
時が経てばまた〈あの時〉のように生活を楽しみ旅を楽しむことができるだろうか? 〈あの日常〉を我々は取り戻すことができるのだろうか? 〈あの刻〉のように異国を旅することはできるのだろうか? その答えは誰にもわからないようだ。世の中は〈あの日〉に見切りをつけて、〈これからは〉にシフトしているようだ。しかしボクは記憶の旅を振り返り、今の自分達が置かれている状況を確認しつつも、未来への期待は萎むことはない。
これからどれほどの旅が実現できるだろうか? ひょっとしたら、ひとつもできないかもしれない。それでもいいのだ。
ボクの旅文化は〈空間〉だけでなく〈時間〉も旅をするなかに包含されている。だから記憶の旅も、現場で起きてる旅も、これから実現を期待している旅もすべて〈旅〉である。
幕末の蝦夷地探検家・松浦武四郎が晩年、全国を旅して歩いた寺社仏閣から91個の木片の部材を取り寄せ、離れに一畳の庵を作った。一畳敷である。現在も国際基督教大学の敷地内に遺っており、同学の文化祭の日にだけ公開されるそうだ。ボクはまだ見ていない。1日60キロメートルを歩いたという伝説の男の到達点のひとつが一畳の畳であったことにボクは感動を覚える。
ここには空間としての旅だけではなく、時間としての旅の記憶が内在する。その記憶を呼び覚ます91の木片がある。拡大から縮小へ。マクロからミクロへ。歳をとり、歩くこともままならぬ状態でも人間の可能性は残されている。
方向を間違わず、身の丈のスピードで歩いている限り、トレイルは続いている。
(博文)
塩 幸子
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歩いてきた道々を思い出す。小学校4年生の時、北見から釧路へと引っ越した。転校となった初日の帰り道、校門を出て左へ行くのにのっけから右へと間違えた。景色の違いに気付いて慌てて引き返した。自分の道オンチに驚かされ続けて今日に至る。
登山道も結構間違える。後ろに続く連れに指摘される。体力のなさで私を悩ます連れだが、道は自信ありだ。年1回のアルプス登山はもうかれこれ10年に及ぶ。北海道の山では体験していなかった困難が待ち受けていた
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南アルプス北岳登山でのことだった。稜線を歩きたくて必ず縦走計画を立てる。北岳から間ノ岳へと続く稜線の道は三千メートルの天空の散歩道といわれる。好天の元、歩く自分の姿を思い浮かべていたが、この道をまさに散歩中に調子が悪くなった。高度障害。体質を知ることとなった。人気の道はあえなく断念するしかなかった
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後立山は2回に分けて登った。全長31キロの山脈だ。最初の年は扇沢から唐松岳へ。松本から入って信濃大町で一泊。利用する人はほとんどが登山客の定宿だった。
早朝、鹿島槍ヶ岳が洗面台の窓を占領するかのようにいっぱいに大きい姿が目に入った。こんなに近くにと驚き、横で洗面している女性に思わず喜々として声をかけた。見慣れているのか何の感動もない体での冷たい反応に悲しかった。
稜線上にある種池山荘まであと100mの所で急激に体調不良となった。数歩で一休み。 喘ぎながら登る。先を行く連れが心配そうに振り返って私を見ている。急激な高山病到来だった。五体投地さながらの苦行が続いた道となった。冷池山荘にどうにか辿り着いた。小屋入り口での部屋割り待ちに結構な人の列ができていた。順番待ちの間、ふらふらと体が崩れそうになるのかと思わんばかりの最中、連れは山の激写に夢中だった。どうにか声を出して交代してもらった。
その日の夕食は食べられなかった。翌日の朝食も喉を通らず次の山へと向かった。ありがいことに徐々に体調は回復に向かった。鹿島槍ヶ岳に近づく。双耳の山は両頂に登った。雲の中だったが、昨日の朝、窓越しに見たあのしっかりとした姿を思い出していた。
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斜めに傾いたように見える槍ヶ岳。初めての北アルプスでは雨で登頂断念の頂だ。 今日は快晴。前日、上高地から歩いて槍沢ロッジでの一泊、今朝から6時間かけて槍ヶ岳山荘まで来た。この時を迎えて気持ちは弾んでいない。弟の高校でのクラスメイトが大学1年の時、槍ヶ岳頂上で落ちた。 そんな事もあり、やはり怖い。
山頂は狭い。揺れている感じがするのは心理状態の現れか。怖さにかがんで少しバックしたら後ろにいた登山者に軽く触れた。互いにドッキリ! 危ない! 見渡して山々に目線を移す。下山を思うとなんだか気もそぞろで楽しめない。登りよりも何倍も怖い下りが待っている。危ない道トップクラスの北鎌尾根の茶色いゴツゴツ岩が険しいんだゾッ! と言わんばかりにその姿がグッと近くに見て取れる。しっかり気をつけて肩の小屋に辿り着いた。もっともっと怖くて危ない大キレットがこれから待ち受けているんだ 。
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南アルプス赤石岳縦走は、数年前から計画していた。今が決め時。近年体力の衰えが気になり、もう先延ばしにはできない。天候に不安を抱えて空港に向かう。空港のテレビで最後のチェックをする。気になるのは台風襲来だった。
やっぱりだ! 南アルプスを力を持っての通り道となってしまった。 切り替えだ。日本海側の山なら免れそうだと思った。手元に地図がない。知人に連絡してスマホで送ってもらう。大まかな変更を空港で開始した。 奥深い南アルプスは登り口までが遠い。最寄りの駅から足となるタクシーを予約していた。これをまずキャンセル。秋の登山は客が少なく山小屋はまず安心して泊まれる。だがこの時期はいつも台風とにらめっこだった。
赤石への山旅は無くなった。この山は3泊必要なのだ。それも天気が良しとしてのことで悪天なら小屋に足止めとなる。 年齢を考えると次はない。残念だった。
幸いに台風は変更した日本海側の山に及ぶことはなかった。大日岳・奥大日岳から室堂への縦走路は全日快晴の元、登り降りた
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大キレット、不帰キレット、剣岳、下の廊下。危ない山、縦走路を中心に歩いてきた。
山小屋で明日の道を考え、不安で目が冴えていつもなかなか寝付かれない。十分に疲れているのに眠りに入れない。毎度この繰り返しだった。怪我なく帰って来れた。 ありがたいとつくづく思う。
どのみちも魅力的だった。
釧路湿原、阿寒・摩周の2つの国立公園をメインに、自然の恵が命にもたらす恩恵を体感し、自然環境における連鎖や共生の姿を動植物の営みをとおしてご案内します。また、アイヌや先人たちの知恵や暮らしに学びながら、私たちのライフスタイルや人生観、自然観を見つめ直す機会を提供することをガイド理念としています。