「凸凹日誌」カテゴリーアーカイブ

凸凹海外研修報告その2(スペイン編)市場飯の魅力

飲食ブースには観光客が一杯、ちゃんとした海鮮メニューも充実(バルセロナ、サン・ジョゼッペ市場)

■市場飯の魅力
エコノミーな旅行者である私たちにとって宿泊は立地優先である。駅や観光地に近い、安宿を探すのがポイント。バルセロナは市内最大のサン・ジョゼッペ市場に歩いて3分の好立地。市場で昼食、夕食、お買物を楽しんだ。この市場、和商市場と同じく市民と観光客が入り乱れ、店舗や飲食店が混在し、その規模は和商の約2、3倍。お客は4、5倍という盛況。港町の市場となれば、海鮮が旨くない筈はなく、我々の腹にも懐にも優しかった。食材を愛で、食べたいものを選択し、しかも旨くて安いというのが市場飯の極み。マドリッドでもサン・ミゲル市場(こちらは飲食店メイン)に行ったが、スペインはタパス(小皿料理)という伝統的な陳列選択型飲食店が多く、美味しいものにありつけるハードルが低い。食材はざまざまだが海鮮は魚種が重なるものもあって興味深かった。なかでもカキは人気の食材だったが、これは厚岸のほうが値段も見た目も、おそらく味も(食べなかったので)厚岸に軍配が上がる。
和商市場の関係者には是非、バルセロナの市場を視察していただきたい。随所に可能性が広がるとおもう。世界の観光客はこんなところが大好きなんだ、ということを体感できるはずである。ここでは印象的なホスピタリティにであった。市場飯というと何か荒々しさも魅力だが、ここで食べたカウンターレストランの兄さん(風情の印象)は、ちゃんと日本メニューと片言の日本語、そして的確なお勧め料理提案、にこやかな笑顔、判りやすい清算、どれをとっても申し分ないホスピタリティであった。日本人のホスピタリティが賞賛されるが、これは個別具体的なものなので、私も含め観光客に接する人々には、いつでもどこでも参考にしたい自戒テーマである。

ほとんど和商市場です(バルセロナ、サン・ジョゼッペ市場)
市民も飲食店主も買出しで、鮮魚部門は早めの店じまい
カキは人気だったが、どうみても厚岸の方が旨くて安い
香辛料の店、よくみれば結構古い市場のつくり
果物コーナーで買出しします
サン・ジョゼッペ市場の夕食レストラン、黒衣装の店員のホスピタリティに感心
スズキ焼きとマテ貝、これにコロッケ、シシトウの炒め物とおすすめ白ワインで夕食満喫(サン・ジョゼッペ市場)
昼食は鮮魚のフリット(揚げ物)を外の公園で
飲食店舗メインのマドリッドのサン・ミゲル市場
あくまでお客が勝って唄っている、いいね。
夕食第1部。ポークシチュー、ビール、パン
カウンターがびっしりだったので淵のガラステーブルにセット
全部チーズベースのカナッペ(パンに食材を載せたスタイル)
夕食第二部、チーズカナッペ2種とおためし寿司(やっぱりまずかった)
デザートはフルーツショップで
バルセロナのタパスレストラン。カウンタから好きなものをチョイス
色とりどりのカナッペが、目移りします
白ワインとこれで約30ユーロ(3600円)いいね。

春の訪れ

斜面を飾るエゾエンゴサクとバイケイソウ

春採湖湖畔を散歩。エゾエンゴサク、キバナノアマナなど春の草花が咲き始めて、夏鳥第一便のノビタキ、オオジュリン、カワラヒワたちがさえずっていました。 湖水には渡るのをやめたのか、カワアイサが寂しげに数羽。散歩道にそった臨港鉄道の鉄路も寂しげでした。

渡りの季節

川辺で何やら獲物を狙っているのか、オジロワシ

渡りの季節を向かえ、釧路川にも水鳥たちが集まってきました。3月下旬から4月にかけて次々と繁殖地の北の故郷に向かいます。ひと時の休息をする水鳥たち。スズガモ、キンクロハジロ、ウミウ、マガモ、ヒドリガモ、オナガガモ、ハシビロガモ、コガモ、そして常連のカモメたちも賑やかに川辺を行き交います。

日誌からみる武四郎の人となり

■ドナルド・キーンが亡くなって、あらためて 『百代の過客<続>』 を読み直し、氏の日本における日記文学への深い眼差しに興味惹かれた。 キーン氏は同書に武四郎を取り上げ、 「アイヌ民族の権利の、力強く、そして説得力のある擁護者としての姿が、文中から立ち現れてくる。」と 武四郎を評し 、また日記が武四郎自身の人となりを自ずと語ってくれているのが面白い、と述べている。
■ 現在、私は仲間との勉強会「武四郎を読む会」で、武四郎の日誌『戊午東西蝦夷山川地理取調日誌』を解読しているが、そのなかでも、そのことを納得するような件があった。勉強の対象テキストである『戊午東西蝦夷山川地理取調日誌』は在野の武四郎研究者であった秋葉実さんの解読による著書で、現在、読み合せているのは1858年、武四郎第6回目(最後の)蝦夷地探訪の部分である。「戊午久須利日誌」と題され、後に刊行本『久摺日誌』として紹介される釧路から阿寒湖畔、網走、斜里を巡り、摩周、弟子屈を経て釧路に戻るまでの日誌部分である。
■ ご存知のとおり、武四郎の旅はアイヌの案内人の同行があってはじめて成立したもので、依頼者とガイドとの関係性もガイドである私にとっては興味のあるところだ。今回、ご紹介するのはこの日誌の塘路泊を記述した個所で、武四郎とアイヌ案内人とのつながりと旅仲間に対する眼差しの優しさにいたく感心したのである。同文箇所の秋葉解読文と私の訳文を以下に示す。

上段:『戊午東西蝦夷山川地理取調日誌』部分抜粋 下段:塩による訳文

■ ここで共感するのは、武四郎のマメな優しさ、上下関係より仲間関係重視、郷愁に対する感性、武四郎の旅のイメージなどであるが、ガイドの疲労に配慮して自らが米を研ぐ武四郎の姿勢は、彼の繊細な心遣いを表している。まさに寝食を共にして、苦難に満ちた蝦夷地探訪をアイヌ案内人とともに成し遂げた基本姿勢である。
また、ケンルカウスがイトウをさげて現れた様を「生涯の話の種に」という件には、エピソードの積み重ねのなかに旅の価値を認め、現場のなかの事実を積み上げながら、真のアイヌの姿に触れようとした人となりが垣間見れる。
■ 尊王攘夷論者として対ロシアから蝦夷地を守り日本がこれを統治する武四郎の考えには揺るぎはなかったのであろうが、武四郎のおもいどおりにアイヌを同化させることにはならなかった失敗談のエピソードも日誌には綴られていて、武四郎自身の揺らぎや困惑も垣間見れる。私が武四郎に学ぶのは、思想的影響をうけながらも、現地現場でそれを補正しながら真実を見極めようとする姿勢である。

-25℃極寒の釧路の朝

氷が張って川を覆っています

2019年2月9日。 釧路湿原極寒の朝。-25℃の世界。みんな寒そう~。

釧路川のけあらし(水温より外気温が低く発生する川霧)
釧路川のカヌーステーション。氷が流れ樹氷とフロストフラワーの競演。
タンチョウも寒そうに川辺にたたずんでいました
シカの親子も寒そう