「映画・本・JAZZ・登山」カテゴリーアーカイブ

佐藤さん、釧路市民文化賞受賞

釧路市文化賞の発表がありました。顔見知りの方たちの嬉しい受賞。なかでも佐藤宥紹さんは半世紀にわたり、ご指導ご支援いただいた先輩、先生、友人。この間、数々の教えを現場で、講演会で、お茶をしながらいただきました。当舎『復刻阿寒国立公園の三恩人プラス』では共同編・著者として、前田正名に関する渾身の論考を掲載。地域文化とともに、地域の歴史を記し、伝え、話した。その恩恵に授かった方は計り知れず。何よりも釧路の文化賞受賞というのがいいですね。これからも引き続きご活躍を祈念します。

新刊〝江戸時代の蝦夷地〟アイヌと和人の共同調査がうんだ画期的な植物図鑑のご案内

当舎では2024年9月1日に新刊『渋江長伯一行の蝦夷地植物採集紀行~「東蝦夷物産志」を読む』を刊行します。これは江戸時代の本草学者一行が東蝦夷地(太平洋沿岸地域)を4か月にわたり植物採集調査をした史料を解読し、現在の環境と照らし合わせて図鑑にまとめたものです。釧路地方在住の女性3名の研究者(植物、アイヌ語、古文書)が協同して取り組んだ成果です。アイヌと和人が蝦夷地の植物を調べ、その利活用の在り方をまとめたもので、現在の様子との対比もふくめて環境の変化や人と自然の共生の在り方を植物を通して検証できる貴重な書籍です。とはいえ、決して取り付きにくい本ではありません。手に取ってフォールドで書斎で、身近な植物のアイヌ語名や昔の利活用の在り方を興味深く知る手立てにある本です。是非、書店で手に取ってご覧ください。9月1日以降、コーチャンフォー道内各店及び市内書店等にて随時販売されます。また、当舎でもネット申込いただければ、販売いたします。

採集紀行の記録書を解読し、それぞれの植物のアイヌ語名とそれに符合する植物種名を表示。その利活用を解説しています。
全184頁でオールカラー。昔の草木図や標本資料とともに、現在の写真も掲載されているので確認ができます。
写真が無い時代では、絵師が調査隊に同行し、植物の写生のみならず、旅の様子も絵図で伝えてくれています。
目次です。調査隊一行が旅したのは道南・松前から太平洋沿岸沿いに道東・厚岸までの往復4か月でした。

懐かしい釧路の街並みを伝える喫茶「なしかし館~蔵」

釧路駅から幣舞橋までの約8百mはかつての中心街で、今は郊外の国道沿いに遷ってしましました。現在の北大通は金融機関やホテルが目立ちますが、釧路市の中央図書館もあります(北海道銀行の2階以上の階)。その並びにローソンがあって、その奥にあるのが喫茶「なつかし館~蔵」。中野さんという個人蒐集家が集めた華やかなりしころの釧路を伝えるアイテムが満載の喫茶店です。新刊『復刻阿寒国立公園の三恩人+プラス』の新聞取材の合間に「蔵」で一休み。いつもながらオールド釧路を思い出すひととき。おにぎり+おやきでランチ。昭和レトロの雰囲気も充満しております。是非一度、旅先の歴史にも触れてみてください。

投稿再開します!新刊発売開始!!

 前回の投稿が2023.5.30でほぼ1年近く、投稿していませんでした。ガイド業を終了し、少し時間にも気持ちにも余裕ができそうなので、出来るだけコンスタントに観光情報や当舎のPR、私の心持を投稿したいと思っています。お付き合いください。
 ということで、いきなりPRですが、当舎新刊『復刻阿寒国立公園の三恩人+プラス』が4月1日に発刊されました。釧路市内の書店や観光施設等にはおいているのですが、ご希望の方には郵送サービスもしますので、よろしくお願いします。筆者の種市佐改は冒頭で「観光は愛情産業。優しい自然愛、旅行者への人間愛、熱烈な郷土愛…」とおっしゃる根っからの観光人。故人ですが昭和40~50年代、冬の観光がまったくなかった時期に、三白観光(タンチョウ、ハクチョウ、流氷)の提唱し、現在の道東観光の発展に尽力した方です。
また、種市さんは観光に関する地域資料の蒐集や執筆なども精力的におこないました。その道東観光の魅力を発信し続けた種市佐改さんの名著『阿寒国立公園の三恩人』を復刻し、私も含め編集者3名のあたらな原稿をプラスしたのがこの本です。今、よみがえる阿寒摩周国立公園誕生の秘密。

表紙カラー、本文モノクロで360頁。追記が増えて随分厚い本になりました。1500円+税です。ネット申込は送料無料。振込料は負担願います。

『松浦武四郎と行く~新・道東紀行』の修正について

拙書『松浦武四郎と行く~新・道東紀行』をお買い上げいただいた方、ご購読いただいた皆様には心より御礼申し上げます。
いろいろ勉強しながら記述してきましたが、ところどころに間違いがあり、この場をかりて修正をお願いしたいと思います。

246頁の大雪山の山名由来で、
松田岳(松田伝十郎)と永山岳(永山在兼)のそれぞれの人物に由来した山名と表記しましたが、松田岳は松田市太郎。永山岳は永山武四郎に由来する山名で、修正をお願いいたします。
また、これに関連した表記で32頁の松田伝十郎に関する囲み記事の後段、「大雪山には名を冠した松田岳がある。」を削除願います。

【間違いの言い訳】
・毎年のように大雪山には行っていて、お鉢周りという外輪山を歩いてました。間宮岳があり松田岳もあり、樺太探検をした両探検家のつながりが頭にあり、長い間、松田伝十郎に由来すると思い込んでおりました。松田岳の由来は安政4年に大雪山を踏破し、石狩川水源を発見「イシカリ川水源見分書」を遺した松田市太郎の功績に由来するとのことです。

・永山在兼は道路技師として阿寒国立公園の道路を拓き、そのことで国立公園化を果たした道東地域発展の恩人です。明治時代に、陸軍で北海道に赴任し屯田兵本部長と北海道長官も兼任し北海道開拓に尽力した永山武四郎も同郷(鹿児島県)でつながりもあるのですが、こちらは私のはやとちりでした。

齢を重ね、ますます「おもい込み」「はやとちり」「かんちがい」が多くなり自戒しております。「お・は・か」チェックで気をつけますが、これからも同様の事例があるかもしれません、その際には、随時修正させていただきます。引き続きよろしくお願いいたします。