〈第八巻〉①釧路川をアドベンチャーツアーでガイド

【第八巻】 塘路から釧路へ
川をくだる、時をかける〈釧路川今昔〉

扉写真はツアーの釧路川カヌーイングで岩保木水門に向かう。上写真は明治44年当時の岩保木での木材流送作業風景。(『くしろ写真帳』北海道新聞社刊より)

▶1858年(安政5)5月28日、塘路湖の湖畔を出発した武四郎一行は釧路川をアイヌの丸木舟で釧路会所まで下る。5月7日釧路を出発し、阿寒、網走を経て斜里から屈斜路、摩周と道東を半周した最終日。これで自身最後の蝦夷地探訪の前半を終了するという感じになる。


▶2021年秋。釧路観光コンベンション協会が企画して釧路湿原アドベンチャーモニターツアーが行われた。ボクはこの企画に参画し、当日は添乗ガイドをした。
モニターツアーの概要は、釧路湿原で楽しめるアクティビティ(湿原ノロッコ号、トレッキング、カヌー、サイクリング)などを盛り込んだアウトドア志向のツアーで、愛好者やインバウンド向けのアドベンチャーツアーを想定したものだった。
▶ガイドの立場でこのツアーを組み立てるにあたり、テーマを考えた。松浦武四郎の道東紀行をモチーフにこんなアプローチをしようと思った。
〝幕末のアドベンチャー松浦武四郎の釧路川探訪の足跡をたどり、釧路川再発見を旅する。先住民アイヌと折り合いをつける異文化融合の姿を地名に探しながら、様々なアクティビティを駆使し、釧路川・新釧路川・旧阿寒川沿いに近世・近代・現代につながる自然と開発のあり方を見つめる〟
ツアーは釧路駅から湿原ノロッコ号に乗って釧路湿原駅まで行き、細岡展望台から釧路湿原を眺望し、細岡カヌーステーションまで約3キロを歩く。その後、カヌーステーションから釧路川を下り、岩保木山水門までのカヌーイング。そこからはクロスバイクやマウンテンバイクに乗ってサイクリングで新釧路川沿いに南下し、新釧路川から、柳町公園沿いに釧路川に向い、釧路川からその河畔を出発地の釧路フィッシャーマンズワーフまで戻るというもの。
徒歩、カヌー、サイクリング+観光列車を利用した盛りだくさんなアクティビティプランだ。ボクは武四郎の足跡をたどる背景に、地域の〈アイヌ地名〉や〈川の歴史〉を加味して、地域の再発見ツアー(マイクロツーリズム)にしてみたいと思った。
体験プログラムを縦軸に、川の開発、地名変遷の歴史を横軸に捉えて見ると色々と地域の歴史や出来事が連なってくる。参加者にも風景の背後にある地域の歴史を少しでも感じとってもらえればと思った。

釧路観光コンベンション協会主催の「釧路湿原アドベンチャーモニターツアー」の行程

▶歴史を遡りながら川を下る
1920年(大正9)8月、未曾有の大洪水により釧路の市街地はほぼ冠水する状態に陥る。この洪水被害を受け、翌年から下流部を直線化する大規模な河川改修工事がはじまる。その起点は現在の岩保木水門で、この水門からの新規直線ルートと、従来の釧路川の2つのルートが出来、有事の場合は水門を開いて、河川の負担を分散する防災措置が施された。
しかし、工事が完成した昭和6年以降、岩保木水門は一度も開いたことがない〈開かずの水門〉といわれている。
現在、釧路川は川の機能としては直線化された新釧路川が担っており、鮭もシシャモもこの川を遡上する。従来の釧路川は岩保木水門から下流は流れのない川となっている。


▶大洪水以前、釧路川は西側から湿原を下って合流する雪裡川、久著呂川などとともに、阿寒湖を水源とする阿寒川も支流としていた。しかし、阿寒川は暴れ川だったので大正7年から現在の新釧路川のルート上(仁々志別川河口)に通水し、海に流す直線ルートが作られたが、この大正9年の大洪水では、阿寒川はさらに上流で分離し、もっと西側の現在のルート(大楽毛海岸口)に変わってしまう。
▶大洪水の翌年から始まった釧路川の直線化掘削工事と合わせて、新釧路川と釧路川の間の旧阿寒川のルート沿いに運河の掘削も進められる。しかし、鉄道網の整備により運河の機能は不要となり、工事はとん挫。その後、運河(旧阿寒川)は埋立により、昭和57年に柳町公園となって〈緑の川〉に生まれ変わる。

雪裡川での大正2年の木材流送作業(『くしろ写真帳』北海道新聞社刊より)

▶今回のモニターツアーのルートは、時代軸で整理すると、武四郎一行が下った〈近世の釧路川〉から〈近代の直線化された新釧路川〉を経て、〈柳町公園に姿を変えた旧阿寒川〉を通り、〈景観整備により再生された釧路川〉を現代に戻ってくるツアーの流れだ。
近代以降の釧路の開発は、湿原を取り囲む後背地に広がる森林帯の木材資源をもとに〈世界の原木供給基地〉として進展する。木材搬送する河川の舟運は、その後、鉄路に代わるが、木材資源は枯渇しはじめ、産業は衰退。運河の埋立を進めていた旧阿寒川は公園整備に計画変更。その様は、開発の時代の変遷を見るようだ。
その後、釧路川に河口型観光開発として観光新時代を期待された釧路フィッシャーマンズワーフの誕生(1989年開業)につながる。
▶これらの河川開発の歴史と共に、アイヌ文化目線で地域の地名やモシリアチャシなどの遺跡群を見て、アイヌにとっての河川の役割、動植物の活用等の視点を解説に盛り込むと、さらに魅力的な地域再発見ツアーができるのではないかとおもう。
しかし、引き出しは沢山出来たけれど、アクティビティのスピードとガイドの解説がうまく折り合うかは、まだまだ検討の余地あり。


▶近代以降の自然資源の開発は、単純化していえばスピードとそれを実現するために直線的。自然は時代適応せざるを得なかった。その後の開発思想の変化は、自然保護や環境との調和をめざし、まちづくりにもそのコンセプトが反映している。ポストモダンを象徴する釧路の毛綱建築物や蛇行河川の面影を遺す釧路川のリバーサイド河畔開発は曲線的。
▶直線から曲線へ、そして釧路の未来はどんな線形を描くのか? 観光が地域経済の発展や雇用の拡大に寄与する方向性は共有されているのだろうが、そこに新たな観光文化は一石を投じることが可能なのか。
温故知新。
大胆に時代を見つめ、時に失敗をしながらも地域の未来を拓いてきた先人達の歴史をたどりながら、今のボク達に欠けているものは何なのか。
ツアーの魅力とその実現策を検証しながら、そのことをあたらめて考えさせられた。(続く)

夕焼けの幣舞橋フィッシャーマンズワーフでツアー終了