「自然と人の共生」カテゴリーアーカイブ

マリモ祭りに参加して、阿寒の秋を満喫してきました

マリモを迎えたかがり火が参加者全員のタイマツにともり街中を行進します
マリモを迎えたかがり火が参加者全員のタイマツにともり街中を行進します
今年の祭主は阿寒アイヌ工芸協同組合長の西田さんが務めました
今年の祭主は阿寒アイヌ工芸協同組合長の西田さんが務めました

阿寒湖温泉最大の祭り、第67回「マリモ祭り」に行ってきました。マリモ祭りは昭和25年に、マリモ保護をすすめるためにアイヌと和人が協同で創作した祭りです。当時、電力需要のため阿寒湖の水位低下によるマリモの枯渇が問題となり「開発か、自然保護か」という見出しが新聞を飾りました。また、マリモを観光土産に売却するのも問題となり、マリモを湖に戻そうという運動が発端となって祭りがスタートしました。
今年は好天に恵まれ、湖からマリモを迎える儀式から観光客も一緒にアイヌコタンまでたいまつ行進、その後、全道から集まったアイヌの方々の各地の民族舞踊披露をおこないました。

温泉街をマリモを先頭にパレード
温泉街をマリモを先頭にパレード

翌日はアイヌコタンから温泉街をパレードし、送る儀式でマリモを湖に戻して終了となりました。
祭りは10月8.9.10日の3日間と決まっていますので、暦周りのいい今年はお客も多い感じでした。初日はマリモの生息地観察がおこなわれますし、2日目の昼からは、温泉街の関係者が参加するマリモ祭り音頭がまちなかを練り歩きます。皆さんも是非一度、「西の札幌雪祭り、東の阿寒マリモ祭り」と謳われた北海道を代表するアイヌと和人が創った自然愛護の祭りをご覧下さい。

夜のアイヌコタンで全道から集まったアイヌの皆さんが各地の踊りを披露
夜のアイヌコタンで全道から集まったアイヌの皆さんが各地の踊りを披露
アイヌコタンをパレードが出発します
アイヌコタンをパレードが出発します
紅葉はこれから本番という感じでした
紅葉はこれから本番という感じでした
前田一歩園の創設者前田正名の像の前で、奉納の舞(クリムセ)
前田一歩園の創設者前田正名の像の前で、奉納の舞(クリムセ)
パレードでは前田一歩園三代目園主で「阿寒のハポ(母)」と慕われた前田光子さんの山荘前でご挨拶
パレードでは前田一歩園三代目園主で「阿寒のハポ(母)」と慕われた前田光子さんの山荘前でご挨拶
前田光子さんの肖像画を中心に関係者が記念写真
前田光子さんの肖像画を中心に関係者が記念写真
送りの儀式前に全道のアイヌ団体が踊りのイベント
送りの儀式前に全道のアイヌ団体が踊りのイベント
最終の送る儀式でマリモは湖に戻っていきます
最終の送る儀式でマリモは湖に戻っていきます

凸凹旅行舎ガイド研修記① 究極の川の道「下の廊下」にシビレた~!

岸壁中腹に登山道(作業道)が削り造られた
岸壁中腹に登山道(作業道)が削り造られた

恒例のガイド研修、今年は5年越しの念願、黒部峡谷「下の廊下」を歩きました。戦時の電力開発を支えた作業道は断崖絶壁沿いに削りつくられた道。人と自然の格闘の現場であり、ここの開発では3百人におよぶ作業員が命を落としている(吉村昭『高熱隋道』を読まれたし)。2日間で約27kmを約16時間かけて、いつでも足を踏みはずせば百メートルほどの川底に滑落する恐怖と過ごした。肉体と神経が疲労する。いろいろおもうところがあるが、消化するには少し時間がかかる。想像を超える現場というのはまだ沢山あるんですね。

有名な黒部ダムを下から見上げる、これから下流に歩き出す
有名な黒部ダムを下から見上げる、これから下流に歩き出す
黒部湖から黒部川沿いに発電所が昭和10年代に建設された
黒部湖から黒部川沿いに発電所が昭和10年代に建設された
この高度感は写真でつたえきれない
この高度感は写真でつたえきれない
初日は好天に恵まれたが深い谷は日陰が多い
初日は好天に恵まれたが深い谷は日陰が多い
木道と左手の鉄線をたよりに進む
木道と左手の鉄線をたよりに進む
幅40cmほどの吊橋を渡り終えホッ。
幅40cmほどの吊橋を渡り終えホッ。
滝で一休み、降雨も心をなごませる
滝で一休み、降雨も心をなごませる
S字峡とよばれるとおり激流が岩を削っている
S字峡とよばれるとおり激流が岩を削っている
人間が高熱下で隧道掘削をした現場
人間が高熱下で隧道掘削をした現場
「水平歩道」とよばれるが、名前ほどやさしくはない
「水平歩道」とよばれるが、名前ほどやさしくはない
右手のえぐれたところを歩く、下は絶壁!
右手のえぐれたところを歩く、下は絶壁!

「マリモ祭りツアー」 いつも訪れる阿寒とは一味違う、阿寒の魅力をガイド付きツアーで体感してください。

迎える儀式は夜の阿寒湖の幻想的なしじまで
迎える儀式は夜の阿寒湖の幻想的なしじまで

秋も深まりつつある今日この頃、お元気でお暮らしのことと存じます。
さて、当舎ではこの度、NPO法人阿寒観光協会まちづくり推進機構主催の
「マリモ祭りと阿寒の紅葉、秋の阿寒紀行」のメインガイドをおこなうこととなりました。
紅葉の季節の連休にぜひ、ツアーでマリモ祭りと紅葉を堪能してください。

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dsc00335ツアーの3つの魅力は、
1.ネイチャーガイドが自然とアイヌ文化を解説します
2.マリモ祭りの真髄に触れ、祭りの魅力を体感します
3.紅葉絶景の阿寒の森の湖を堪能します

ポイントは
1.阿寒の紅葉スポット探訪:光の森(手塚沼のカエデ、樹齢八百年のカツラなど)、阿寒湖湖上遊覧
2.マリモ祭りを楽しむ:迎えの儀式、タイマツ行進、全道のアイヌ民族舞踊鑑賞、送りの儀式
3.マリモと祭りの関係、アイヌと和人の創作した祭りの歴史、阿寒湖のマリモが残ったわけなどの
背景や経過、現状を解説

いつも訪れる阿寒とは一味違う、阿寒の魅力をガイド付きツアーで体感してください。

唄を唄いながらみんな一緒にタイマツ行進でアイヌコタンへ
唄を唄いながらみんな一緒にタイマツ行進でアイヌコタンへ
街中を行進する全道から集まったアイヌの皆さん
街中を行進する全道から集まったアイヌの皆さん

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お泊りは、マリモ保護会の重鎮でスキーやフィッシングなどアウトドア基地のリーダー松岡尚幸さんの御宿
「東邦館」です。(マリモの情報も掲載されています)
http://www.tohokan.net/

ツアーガイドのご紹介はクスリ凸凹旅行舎で

クスリ凸凹旅行舎最新情報

阿寒湖温泉全体の案内情報はNPO法人阿寒観光協会まちづくり推進機構で
http://www.lake-akan.com/

これは何の仕業? 答えは…。

豪快に踏みつけ、荒らされた跡が続く
豪快に踏みつけ、荒らされた跡が続く

先日の阿寒クラシックトレイル「里の道」ウォークでトウキビ畑の脇を歩いていたら、なにやら変な糞ともつかないものが路上に。トウキビ畑をみたら、道路際の列はそのままなんだけど、内側はなにかに踏み倒された跡が列になって広がっていた。やはりヒグマではないか、との推測で、昼休みの小瀬牧場さんでご主人に話をしたら、以前にデントコーン(家畜飼料用トウキビ)の刈り入れをしていたら、クマが出てきたとの話。山に近い畑では結構あることのようでした。

糞なのか、何なのか?後で辻褄があうのだけれど
糞なのか、何なのか?後で辻褄があうのだけれど
食べられた跡
食べられた跡
道路から畑に入り込んだ跡は数箇所
道路から畑に入り込んだ跡は数箇所
デントコーンは実も草や茎も一緒に粉砕して飼料になります
デントコーンは実も草や茎も一緒に粉砕して飼料になります

我が心の山・斜里岳

モノクロ写真を複写。以久科の実家からいつも見ていた斜里岳
モノクロ写真を複写。以久科の実家からいつも見ていた斜里岳
何かのコンテストで賞をとったなぁ
何かのコンテストで賞をとったなぁ
馬や牛が沢山いて、人間も沢山いて、楽しかった~
馬や牛が沢山いて、人間も沢山いて、楽しかった~

BSフジの「絶景日本百名山」で斜里岳が紹介されていた。案内ガイドが阿寒湖温泉の仲間のガイドさんだったので本筋の興味でない方に集中力が拡散。さて、斜里岳は「我が心の山」といってもいいほど所縁のある山。両親の実家が斜里と清里だったので、幼少から中学生まで私の少年時代の夏休み、冬休みはいつも斜里岳の麓でいとこ達と過ごした楽しい思い出がよみがえる。母方の実家は、以久科(いくしな)という処で、もっとも斜里岳が均整のとれた姿を見せる場所だ。実家は農業で入植したが、家畜商も営み、軽種馬やばんばの馬の生産もしていた。写真は私が高校の写真部時代に撮ったもの、馬の背後に裾野を広げる斜里岳の姿をご覧いただきたい。
社会人になって登山をはじめるようになってから、はじめて斜里岳に登ったのだが、若い時は、暗いうちに釧路を出発し、山に登ってから、以久科海岸(砂浜性の植物の宝庫だった)で海水浴をして、釧路に戻ることもあった。山よし、海よしの斜里です。

斜里岳をガイドする加藤ガイド。在阿寒湖温泉で「一歩園森の案内人」でもあります。
斜里岳をガイドする加藤ガイド。在阿寒湖温泉で「一歩園森の案内人」でもあります。