『クスリ凸凹旅日誌』▶9話:激安ツアーも使いよう

2009年10月23日~28日 台湾
2010年5月13日~17日 香港

香港の廟で熱心に祈る母娘、何を祈るか??

何処で儲けているのか
 家族旅行というのは娘が小さかった頃は、小学校を休ませて九州半周旅行や本州の山、北海道各地を旅して周った。我が家は泊まる所にはこだわらないのでユースホステルや民宿、ビジネスホテルなどが中心。あまり高級な旅館やホテルには泊まったことがなかった。
 社会人となって東京暮らしも少し落ち着いた娘を誘って、海外旅行に行きたいと思った。お互い休める期間が限られているので、仕事では行ったことがあるが遊びでは行ったことがなかった台湾と香港がデスティネーションとなった。
 宿泊ホテルには拘りがなかったのでネットで検索していると、東京離発着の二、三泊のフリープランがたくさん出ていた。いわゆる「激安ツアー」である。二泊三日もしくは三泊四日、航空券・ホテル、オール込みで39800円! どうやって利益を出すのだろう? そんな興味もあって激安ツアーを利用することにした。

観光客の立場になることも勉強
 台湾二泊三日、香港は三泊四日であった。いずれも一日目に昼食付きの観光バスツアーがついていた。それも日本語を流暢に話すフレンドリーな添乗員付き。さすがインバウンド観光客をたくさん扱っている台湾、香港の観光力を見せつけられたおもいである。仕事では、「北海道に来てください!」というお願いする側だが、実際に来る観光客の気持ちに逆の立場になると近づける。
 代表的な観光地を巡って、そこそこの昼食を頂いて、案の定ショッピングに案内された。台湾は健康枕、香港はお茶のお店だった。お茶はまだしも、健康枕は??? 観光業界の端くれにいるボクとしては「こんなところになぜ連れて来られるんだろう?」と思っていたであろう家族に「こういうところでショッピングをしてもらい、その売り上げの数パーセントが案内した旅行会社へバックするんだ」という業界解説。夕食前にバスツアーは終了するのだが、終了間際に夜のおすすめの食事やナイトクルーズの案内をして、そこに誘導する添乗員の話術の巧みさ。これなら「参加してもいい」と思わせる。
 結局、夜いっぱいお世話になった。この添乗員はきっと夕食のレストランや夜のバスツアー会社からもバックマージンをとっているのだろう。それが観光業界というものである。

異国の友人たちをおもう
 香港のツアー日程を一日増やしたのは、長年の友人である香港のカップルと一日過ごすためであった。釧路の観光協会を通してタンチョウの撮影に訪れた二人を案内したのが最初の出会いで、以降毎年のように釧路に二人は来た。
 折々に一緒に食事をしたり、タンチョウを見に行ったりした。二人はアマチュアではあるが世界中で野生生物を撮影している。阿寒国際ツルセンターで撮影したタンチョウとオジロワシのバトル写真が素晴らしいのでPR素材で使わせてもらった。気持ちよく快諾してくれたとても心根の優しい人たちだ。香港ではラムサール登録湿地の米埔を案内してもらった。1日50人の入園規制がある保護地区を彼らの手配で観察することができた。日本では珍鳥であるソリハシセイタキシギ(英名アボセット)の群れは今でも脳裏に焼き付いている。 


 思えば最初の海外旅行であった中国シルクロードでも香港の旅行者と数日行動を共にした。沢木耕太郎の『深夜特急便』はボクにとって旅のバイブルの一つである。『燃えよドラゴン』を見た時の興奮は今でも蘇る。そんなボクの〈旅の記憶〉の主要な舞台であった香港。
 そしてボクが観光振興の仕事としてインバウンド誘致に関わった時、最初に訪れ、活動のメインステージであった台湾。
 この二つの地が中国共産党政府の政治的影響下にあることを痛感する昨今である。昨日まで普通に楽しめた日常の世界が決して持続可能なものではないことを知る。
 この旅行でお世話になった「てるみくらぶ」という旅行代理店も倒産してしまった。テレビの中で涙ながらに謝罪する女性社長は、きっと旅行好きが高じてこの業界に身を投じた人なのだろう。被害者にとっては言語道断だろうが、どこか同情を禁じ得ない自分がいた。
 明日は誰にもわからない。しかし予兆というのは確かにある。それは歴史の出来事や、日常のなかでスルーした出来事が実は大きな変化の転換点だったのかもしれない。香港と台湾は現在進行形である。世界の大きなうねりの中で自分には何ができるのだろう。
 台湾や香港の友人たちの顔を思い浮かべながらそのことを考える。