『クスリ凸凹旅日誌』▶14話:離島観光と信仰の山巡り

飛島は自転車と散策で探鳥をしながら島を一周しました

 2015年5月15日~20日 
 秋田県飛島 出羽三山 山寺(立石寺)

離島観光の落とし穴
 ボクは釧路、阿寒湖温泉、根室の三つの観光協会に所属している会員である。特に会員マニアというわけではない。市役所在職当時、広域観光でお世話になり、今もネイチャーガイドという仕事のつながりもあり、入会している。その縁で根室バードランドフェスティバルのお手伝いを何度かさせていただいている。
 そんな根室の観光協会からPRプロモーションで飛島に行くお誘いを受けた。全国の熱心なバードウォッチャーが珍鳥をターゲットに集まる飛島に鳥見がてらバードランドフェスティバルの宣伝に行くという。この分野ならではのプロモーションである。


 友人のバーダーから「離島観光はスケジュールに余裕を持って」とのアドバイスを受けた。あまり離島観光の経験がないボクは、そうはいっても5月のいい季節にこの際だから東北を探訪したい。出羽三山に行ってみたい。そうだ芭蕉の山寺(立石寺)にも足を伸ばしたい。そんな夢を抱きながらいつものように旅のスケジュールを組んだ。
 出港地の酒田に着いてご当地出身の写真家・土門拳の記念館を訪れた。高校時代の部活の顧問が写真の指導をする時よく土門拳の話をしていた。記念館は一写真家の記念館としては誠に立派で、土門拳らしい重厚な作りで郷土の誇りというものを感じさせた。

 翌朝、酒田と飛島を約1時間で結ぶフェリーで島に向かった。乗客はほとんどがバードウォッチングで島を訪れる輩のようで、船が動き出すと早速双眼鏡を持って海鳥の観察を始めた。
 5月は春の渡りのシーズンで多くの鳥達が越冬地から繁殖地に移動する。その海を渡る鳥たちが時に休憩地として使う島々が野鳥ファンにとっては垂涎の珍鳥に出会うことのできる場所となる。
 飛島は周囲約10キロで漁業とバードウォッチャーが利用する宿を経営する住民が2百人ほど暮らしている。


 海鳥たちの渡りに見惚れていると島に着いた。宿に荷物を降ろすと早速バードウォッチングに出かけた。レンタル自転車を借りてバードウォッチングをしながら島巡りをする。ボクのお目当ての鳥はコウライウグイス、ブッポウソウ等々である。早速散策ルートにあるトイレの横の屋外に仮設PRブースを作って根室野鳥観光の宣伝を行う。こういうところに来るコアなバーダーたちにとっては道東は知れ渡っているところだが、そこはさらに細い野鳥情報を中心に情報提供をする。
 根室の仲間は何度かこの地を訪れているそうで、はじめてのボクたちはセッティングを終えると探鳥をさせていただいた。

行きはよいよい帰りは??
 飛島には二日間の滞在予定。翌日の午後の便で島を離れ、酒田で根室の仲間とも別れ、ボクたちは出羽三山巡りに赴く予定であった。
 フェリーは波高3メートル以上になると欠航するそうだ。港湾部で8年間の釧路港勤務経験があるボクは、陸側から波を見ることにかけては経験者だ。出発前の天気予報では好天が続く予報だったのではあるが海は別物。翌朝、宿の部屋から海を見ると少し白波が立っていた。風が強いとたつ波なのであるが、この程度の波だとそれなりの大きさのフェリーの航行にとってはあまり問題ではないのではないかと思った。
 宿の主人は元漁師ということでお話をすると、「欠航の時は放送が入る。大丈夫!」とのことで安心して探鳥に出かけた。島を巡っていると防災放送でよく聞き取れないのだがどうやら「本日のフェリーは欠航です」。
 宿に戻って困ったという話を主人にすると、我々が北海道から来て後にスケジュールがあることを知っていた主人は「大丈夫! 俺が仲間を酒田から呼んであげるからその船に乗って戻ればいい。ただ他のお客さんには言わないように」とのこと。

 指定時刻に港について、その酒田からやってくるという船を待っていた。波高3メートルで欠航するフェリーの大きさが双胴船ではあるが沖合底引き船ぐらいの大きさだったので、ほぼそれぐらいの大きさの漁船が来るのかと期待していると、小さなポンポン船が岸壁に向かって近づいてきて接岸した。根室の落石クルーズは地元の漁協と連携して漁船を使っているが、ポンポン船は落石クルーズの漁船よりさらに一回り小さく、案の定、我々4名も含め乗船した10名ほどのお客さんは、クルーズ船のガイドをしている高野さんとボク以外は皆、出航間もなくダウン。我々二人は、波頭に木の葉のように揺れる船から海鳥たちを観察しつつ酒田に戻った。

先人の旅人たちと
 この旅の印象を振り返えると〈旅のスピード感〉について色々考えさせられた。旅の基本である移動手段では、この旅は飛行機、列車、船、自動車、自転車、歩行等、ほぼ想定される移動手段を使い、なおかつフェリーや漁船、山歩きや街歩きなどバリエーションも多彩。レンタカーでぐるっと回った出羽三山は現地確認という感じの行程ではあったが、それでも羽黒山の山道や湯殿山の御神体参拝などもできた。その後、峠を越えて山形の立石寺を訪れた。松尾芭蕉の「閑さや岩にしみ入る蝉の声」で有名な山寺の参道は、整備された岩登りの登山道のようだった。
 旅のスピード感を考える時、芭蕉の『奥の細道』の冒頭「月日は百代の過客にして行き交う年もまた旅人なり」というフレーズを思い出す。
 月日という時間の流れそのものが、旅人のようなものであるというこの言葉とともに、「日々旅にして旅を栖とす」と詠む芭蕉の旅に対する姿勢。
 生き生きとした感受性を取り戻す旅そのものを人生とし、俳句で歩きながら表現し続けた芭蕉は、旅=人生の〈究極の旅人〉だったかもしれない。そこには〈ゆっくり歩かなければ発見できない世界 〉を生きる芭蕉のスピード感があった。


 ボクたち現代人は様々な交通手段を駆使し、広がりを獲得した。世界を知ったような気になったが実は世界の広さというのはもっと深遠なもので、それは理解するものではなく、旅で体感するものかもしれない。
 口を開けば二言目には、スピード感と緊張感を連発していた安倍晋三元首相は「世界を俯瞰する外交」を自負していた。
 しかしながら、彼の世界観は日本を愛する割には一面的で薄っぺらなものに感じた。
〈鳥の目〉だけでは世界は見えてこない。〈虫の目〉の大切さを芭蕉や先達たちの旅はボクたちに教えてくれる。
 ボクたちは東北の山を越え仙台に着いた。帰りはもう廃止になる夜行急行「はまなす」に乗って北海道に戻った。出発前のプラットフォームでは廃止を惜しむ鉄道フアンたちがシャッターを押して名残を惜しんでいた。